![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/1e/2aa81b9fda05ef362da396893ff9c7b8.png)
宮城県美術館の特別展「ルノワール展」を、先日見てきた。ルノワール級の巨匠の展覧会となれば、大抵は東北では開催されず東京の次は札幌というケースが多かった。しかし、今回は地元で特別展が見られて嬉しい。美術館サイトやチラシでは特別展をこう解説している。
「明るい陽光のなかで、あどけない表情を浮かべる少女。あるいは、柔らかい光のなかで、静かに読書する女性。これらのイメージには、ひとかけらの悩みもなく、画面の隅々まで幸せな情感に満たされています。このことが、ルノワールが多くの人々に愛され続ける理由ではないでしょうか。ルノワールが幸福感に満たされた絵を描いた背景には、楽しげな主題だけが楽しげな絵画を生み出すという確信があったからだといわれています。
今ではルノワールの描き出す光り輝く表現に私たちは無条件に心地よさを感じますが、当時のフランスの美術界ではなかなか受け入れられず、厳しい評価にさらされました。私たちが親しんでいるルノワールのやさしい表現は、実は絵画における革命でもあったのです。
本展覧会では、ルノワールがその才能と絵画の革命を一気に花開かせたいわゆる『第1回印象派展』出品の代表作、《バレリーナ》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)をはじめ、初期の印象派展の時代から、後期の無邪気にたわむれる明るい裸婦像まで、国内外の作品を展示し、ルノワールの魅力をあますところなくご紹介します」
日本でルノワールといえば、少女や裸婦を描いた画家というイメージが一般的だろう。鮮やかな色彩で描かれた愛くるしい少女達の絵画は見ているだけで心が和み、幸せな気分になってくる。
トップ画像は特別展ポスターにも使われた目玉の「バレリーナ」(作品№28)。少女の肌合いやバレエシューズ、サッシュの光沢も素晴らしいが、表情がまた良い。自信と不安、緊張感が感じられ、少女バレリーナの心象まで描かれている。河北新報の解説によれば、発表時にはデッサン狂いの絵と酷評されたとか。
「ピンクと黒の帽子を被る少女」(№30)も、少女の肌に映える衣装やピンクと黒の帽子の色合いは言葉もない。ルノワールに描かれた少女達は、その後どんな人生を送ったのかは不明にせよ、絵画では永遠の美少女になったのだ。
「赤いブラウスの少女」(№33)も印象深い。見るからに健康的、生き生きした眼からしっかり者にも感じられる。モデルはルノワール夫人アリーヌの従妹ガブリエル・ルナールとも言われているが、ガブリエルはルノワール家で家政婦やモデルをしていた。やがてガブリエルは夫人の怒りを買い家を追い出されるが、晩年のルノワールの世話をしたのこそガブリエルだった(※夫人は夫に先立って他界)。
少年を描いた画もひとつだけあり、「ポール・ムニエの肖像」(№3)は、いかにも良家の御坊ちゃん然としている。画の少年も愛くるしいが、同行した友人(2人の息子の母)に言わせると、男の子が可愛いのは小さい頃だけとか。展示された作品群からも男性は殆ど絵には登場せず、描かれていてもあくまでも女が中心で、男は添え物といった扱い。
成熟した女性の肖像画「ヴィクトル・ショケ夫人」(№1)は、落ち着きと気品に溢れ、満ち足りた生活を送っている良家の奥様だろう。制作は1875年、この1世紀前によく描かれた貴族の夫人とは違う品の良さがある。ショケ夫人もルノワールに描かれたことで、人生で最も輝いていた時を画で遺せたのだ。
ルノワールは多くの裸婦像を描いており、本展にも「浴女」が数点展示されている。上の「2人の浴女」(№51)はルノワール最晩年の作品。ルノワールの浴女はどれも豊満だが、現代では完全なおデブ体型だし、裸婦特有の嫌らしさは全く感じられなかった。大自然の中で裸で立っている姿は、豊穣そのものだった。
今回の特別展の解説で初めて知ったが、晩年のルノワールはリューマチに悩まされ、車椅子で制作を続けたそうだ。あれだけ色彩豊かで幸福そうな絵を描き続けていたのだから、画家自身も恵まれた生活を送っていたと思いきや、必ずしもそうではなかったらしい。身体が不自由になるにつれ、色彩鮮やかで豊満な浴女たちを描くようになったとか。
さらに意外だったのは、何とルノワールは他家との共同墓地に埋葬されたこと。国から勲章を何度ももらい、晩年は画壇の大御所となっていたはずなのに、この埋葬の仕方は気になる。
土産物が売られている会場の出口ではルノワールの複製画が置かれ、本展では出品されなかった《鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)》があった。この作品は初めて見たが、これも愛らしい。アルジェの民族衣装だけでエキゾチックだが、制作は1882年。欧州では東洋への関心が高まっていた時代でもあった。
普段から絵画観賞という高尚な趣味がない、ズブの素人から見ても、ルノアールの絵画の色彩は鮮やかで、優しい色使いだと思います。
しかし、これらの絵画が、発表当時はあまり受けがよくなかった、というのは残念ですが、絵画に限らず、美術・音楽・芸術では、しばしば見られますよね。
人は生まれながら一人ではなく、色々な事を学ぶ反面、固定観念に捕らわれがちですよね。
また、斬新過ぎて、生前は報われない事も少なくありません。
どんな人でも最初はビギナーで、少し学ぶと新しい事が思い浮かばなくなりがちですが、失敗から学ぶ事は少なくないので、どんなに悔しい失敗でも、真摯に受け取れられる、そんな人間になりたいものですが、、、。
(失敗に学ぶ事ができないから、また魚から無視もされますが(^_^ゞ)
普段から名画の展覧会の多い首都圏と違い、地方在住者にとって巨匠の絵画鑑賞は別に高尚な趣味ではなく、目の保養になるイベントなのです。西洋絵画は未だにド素人の私ですが、ルノアールの絵画を見て不快になる人はまずいないと思います。
ゴッホがいい例ですが、生前はまるで作品が認められず、死後に評価が高まったという芸術家は少なくありませんよね。その点、ルノワールは生前から評価されましたが、共同墓地に埋葬されたことは今回初めて知りました。晩年は身体が不自由だったにも拘らず、あれだけの作品を遺したのこそ、真の巨匠というものです。
失敗から学ぶことは、そう簡単ではないと思います。どれほど悔しい失敗でも、真摯に受け取れられる人間自体、意外に少ないかも。あれは失敗ではなく成功だった、等と自己欺瞞や自己正当化に陥るだけでなく、「大丈夫精神」で失敗さえ忘れる連中もいますから。