ハレムの話題となると男性はもちろん女性も関心があるのか、2006-10-26付にも関わらず、「オスマン・トルコの後宮事情」は時々拙ブログの人気記事となる。記事のネタとなった『イタリア遺聞』(塩野七生 著、新潮文庫)を久しぶりに読み返したら、「後宮からの便り」の章で興味深い箇所があったので引用したい。
「彼女たちの「固定給」は、日給制で1日4アスプロ。同時代のヴェネツィアの国営造船所の未熟練工の給料とほぼ同じである。これを貯めておいて、ハレムに出入りを許されている女商人たちの持ってくる、香水や宝飾や衣装を買うのに使ったのであろう。ただし、これは最低の給料で、その上は、スルタンの眼を魅けるかどうかにかかっているハレムでは、上限というものがなかったのも事実であった」(175-76頁)
4アスプロが現代の日本円に換算して幾らほどになるのかは不明だが、オスマン帝国のハレムの女たちが日給を貰っていたことには驚いた。欧米人はハレムの女たちをよく「性奴隷」と表現しており、実際には主の所有物に過ぎず、名誉や権利、自由が認められなかったのは事実である。尤も大帝国の後宮となれば掃除も炊事もしなくともよかったし、日本の大奥でも将軍の夜の相手を務める女たちは雑用をしていない。
ただ、一般に奴隷といえばタダ働きを強いられる人々というイメージが強く、一応は固定給を貰っていた女奴隷が存在していたことは、あまり知られていないだろう。
米国映画やТVにもよく登場していることから、現代では奴隷で真っ先に思い浮かぶのは米国の黒人奴隷となっている。ただ、黒人の女奴隷がカネを貰っていたことなど考えられない。白人の主人から、たまに“お小遣い”くらいは貰っていたかもしれないが、日給制など有り得なかった。
もちろん大農場経営者であっても個人に過ぎない白人と、大帝国支配者では事情が違っているし、ハレムの存在自体を許さないのがキリスト教社会なのだ。表向きは女性抑圧とハレムを非難しつつ、欧米男たちのハレムへの羨望や憧憬感情は未だに根強いものがある。
トルコのハレムのエピソードを紹介した塩野氏が、西欧の例を挙げて書いた個所は興味深く、再び引用する。
「戦いで家を外にしがちの男たちが、留守中の妻の貞操を守るために、去勢された奴隷に管理させる必要からはじまった制度だから、同時代の西欧の貞操帯と同じ理屈から発している。ちがうのは、イスラムでは複数の女を所有することが許されている点で、こうなると、大勢の女たちを一カ所に集めて監視させればそれだけ能率的でもあるという理由から、ハレムという組織ができたのであろう」(174頁)
いかにも中世の遺物の観のある貞操帯だが、現代でも生産・販売されているという。貞操を守るためばかりではなく、SMプレイ目的もあるようで、世の中には実に様々な趣味の人々がいる。
一方、現代でも一夫多妻を認めるイスラム圏では、大勢の美女を集めたハレムは遠い過去の話になってしまった。オスマン帝国のハレムでは、皇帝から重臣たちに寵愛を受けなかったハレムの女が時に“下賜”されることもあった。しかし、皇帝の子供を産まなかったり、寵愛されなかった女たちの多くは、皇帝の死去と共にトプカプ宮殿外の「嘆きの家」という離宮に移され、年金を与えられ静かに余生を送った。
欧米における黒人の女奴隷よりは、遥かに待遇の良かったトルコの“性奴隷”。しかし、陰惨な掟はやはりあったのだ。メフメト3世(在位1595年1月15日-1603年12月22日)の時代までは、前君主の余計な子孫を残さぬよう、前皇帝の愛妾で妊娠している者は生きたまま袋に詰められ、真夜中のボスフォラス海峡に沈められた。寵愛されず、“かごの鳥”で生涯を終えるのと、子供を身ごもったまま溺死させられるのと、果たしてどちらがマシだろう?
イスラム圏の“性奴隷”は、クリスチャンがムスリムを糾弾する際の、絶好の口実となっているのだろう。しかしwikiの「イスラームと奴隷制」には、「だが、ヨーロッパ人に奴隷を売っていたのはイスラム教徒のアラブ人商人であり…」の一文がある。そして黒人を狩って、奴隷として欧米人に売り飛ばしていたのこそ、大半が黒人だった。
日給や“引退”後に年金まで貰っていた“性奴隷”の存在は興味深いですよね。一般庶民の女なら何も貰えませんよ。
奴隷がいなかったとはいいませんが、中世以降、奴隷制度が社会にシステムとして組み込まれなかった日本は特殊かもしれません。
「奴隷のように働かされる」という表現があり、強制労働(タダ働き)のイメージが現代では強いですよね。しかし、仰る通り奴隷の定義は所有物であることでした。“所有物”に日給や年金を支払っていたトルコのシステムは興味深いですが。
日本で奴隷制度が社会にシステムとして組み込まれなかったのは、ほぼ同民族という背景があるかもしれませんね。他のアジア諸国では当たり前だった宦官も日本では存在しなかった。
既にご存知かもしれませんが、ヒュッレムとスレイマンのドラマが衛星やケーブルテレビで放送されてますね。しかし、女奴隷から身を起こし、あらゆる競争相手を潰して息子をスルタンにしたヒュッレムと言うのは恐ろしいですね。
https://www.ch-ginga.jp/feature/ottoman/cast/
この頃の服装はヨーロッパとそれほど違いがないので面白いと思いました。
件のドラマは存じていますし、公式サイトだけで面白そうですね。しかし、見るためには新たにケーブルТVを契約しなければならず、今のところ見られません(涙)。ビデオ化されるといいのですが、、、
それにしても、演じるトルコの役者たちは日本人から見ると、欧州人と殆ど変わりないですよ。ヒュッレムはともかくスレイマン役の俳優は碧眼。宦官長役だけが中東風の顔立ちでしたが、実際にはオスマン宮廷の宦官の多くは黒人だったそうです。
あらゆる競争相手を潰して息子をスルタンにしたのはヒュッレムに限りませんし、ハレムで頭角を現すのはそのような女です。但し、後釜にした息子がダメ皇帝、国を傾けることになったので非難されたのでしょう。スルタンになった息子が有能だったならば、評価も違っていたかもしれません。
なんというかローマ帝国の奴隷に似た感じがあります。主人にかわって商店や事業の管理を行い、
場合によっては副業も行い主人より稼いでいる
奴隷がいたり、地中海周辺には
そういう形態の奴隷の歴史がオスマン時代まで
受け継がれていたんですかねえ?
受け継ぐ最後の帝国でした。アナトリアの農民よりも帝都の奴隷たちの方が恵まれていたのかもしれません。