その一、その二、その三の続き
『七柱』第5章「一神教」には、ロレンスによるアラブ人への考察があり、ここからも一部引用したい。
―この人たちとの初対面でまず気付くのは、彼らの信仰がどんな場合も明確ないしは堅個で、数学的といえるほどの限定性をもち、また非情なかたちをしていて我々を寄せ付けないことだ。セム族では考え方の音域に半音はない。彼らは原色、なかんずく黒と白のひとたちで、世の中を何時も輪郭で見る。
また確信犯的な人たちでもあって、西欧の思想家の中にはいとも典雅に頭に載せている人たちもいる、あの現代のいばらの冠、懐疑というものを忌み嫌う。我々の形而上の難問、内省的な疑問がどういうものかは理解できない。真実と不真実、信と不信しか知らず、我々が連れている、微妙な色合いなどというやる気のない従者は持っていない…
彼らは妥協を排し、自分の意見の倫理を追って非常識な結末に至っても相反する結論の不調和には気が付かない。彼らは冷静な頭と安定した判断で漸近線から漸近線へと移動するが、至極沈着で、自分が軽薄な飛躍を演じている意識があるとはとても見えない。
彼らは創意に乏しい、偏狭な人たちで、不活性なその知力は好奇心を失った諦観に安住している。想像力は豊かだが創造性はない。アジアにアラブの芸術作品はほんの僅かしかなく、彼らに芸術はないとまで言われかねない。もっとも上流の人士は気前のいいパトロンで、建築、陶磁器、工芸品などに隣人たち、奴隷たちの見せる才能は何でも奨励したものだった。
またアラブ人は大規模な産業に手を染めたことがなく、精神や身体のことに関わる組織を何処かに作ったこともない。哲学の体系も複雑な神話も生み出していない…(75-76頁)
帝国主義時代の英国人知識層らしく、ロレンスのアラブ観は全般的に辛口なのが伺える。私には欧米人も劣らず、「なかんずく黒と白のひとたちで、世の中を何時も輪郭で見る」ように思える。近代以前は西欧人も大規模な産業に手を染めてはいなかったはずだし、アラブ人が「精神や身体のことに関わる組織を何処かに作ったこともない」とは、デタラメも甚だしい。
「巨大虎猫」さんから、「欧米の植民地主義者たちの書物は、「このように野蛮なオリエントを西洋文明化してやったのだ!」という観点で書かれている場合が多いので、割り引いて考察した方がよいと思います」という指摘があった。第8章「主役を演じた英国人」ではそれが露骨に表れており、東方セム族の世界を何年も経巡り、その習俗を学んだと自負するロレンスは、こう述べている。
「そこで私は、現在よりも将来に関わる意見を持つ知識層もさることながら、無知な大多数を理解し、彼らのために考えてやることが出来るようになった」(105頁)
第一次世界大戦時のアラブ反乱は、完全にアラブによる自発的なものではなく、西欧列強が煽っていたのは現代では知られており、ある意味で代理戦争だったと言ってもよい。2010年から2012年にかけ、アラブ世界を席巻した「アラブの春」も実際のところはどうなのだろう?陰謀論者ならずとも背後に非アラブの煽動者の存在を疑う人もいるのではないか。アラブ世界が混乱して得をするのは何処の誰なのか。
『七柱』でのメッカ、その外港ジッダの描写は興味深い。イスラム発祥の聖地ゆえにアラブ人ムスリムばかりが暮らしているというイメージがあるが、20世紀初めでも異国人地帯にもなっていたらしい。その様子をロレンスはこう書いている。
―そこはインド、ジャワ、ブハラ(現ウズベキスタン)、アフリカなどから来る余所者で何時もいっぱいなのだ。彼らは非常に強い生活力があり、セム族意識に対しては猛烈な敵愾心をもち、世界宗教という人為的な要因によって立場を守られて、経済事情や地理的条件や気候などはものともしなかった(70頁)。
何やら聖地が“移民”で溢れていたとは笑える。おそらく非アラブ人ムスリムは現地で数々のトラブルを起こしていただろう。近代以前はずっと西欧よりも先進的だったイスラム世界ゆえ、移民問題でもキリスト教圏を先取りしていたのかもしれない。
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