遅ればせながら反戦映画として有名な『ジョニーは戦場に行った』(原題:Johnny Got His Gun)を、先日ようやく見た。40年以上前に制作された作品だが、現代見ても考えさせられる名画と思う。単なる反戦映画というよりも、安楽死や人間の尊厳などの課題を突きつけるストーリーだった。
主人公は第一次世界大戦に出征した米国青年ジョニー。当時米国は徴兵制だったが、愛国心や戦意を煽る社会風潮もあり、ジョニーは自由と民主主義を守ることに何の躊躇いもなく、泣き悲しむ恋人に別れを告げて欧州戦線に向かう。しかし戦場で敵の砲弾により、瀕死の重傷を負った。両手足や目、鼻、耳ばかりか顎、舌、歯まで失ってしまう。
かろうじて延髄と性器だけは無事で心臓も動いていたが、知覚の殆どを失った生きた肉塊と化したのだ。軍医はそんなジョニーに意識があるとは思わず、看護婦にも患者に感情移入しないことを求める。「姓名不詳重傷兵第407号」として扱われることになったジョニーは、やがて軍医の命で陸軍病院から人目のつかない倉庫に運び込まれる。
意識はハッキリしており、周囲に人がいるのも感知していたが、それを伝えることもできないジョニー。考えた挙句彼はモールス信号を使うことを思いつく。首を動かし必死で信号を伝える。はじめは単なる発作と間違われ麻酔を打たれたが、新たな担当となった看護婦はそれが何かの信号であることに気付く。看護婦から事情を聴いた軍病院関係者はジョニーの額にモールス信号を打ち、ついに意思疎通が出来た。ジョニーは自分を巡業用の見世物にするのでなければ、死なせてほしいという望みを伝えたのだが…
映画でジョニーがベッドに横たわる場面はモノクロとなっているのに対し、彼の出征前や戦場で無事だった頃の回想シーンは全てカラーなのだ。それだけに「第407号」の悲劇が浮かび上がり、視覚に訴える映像効果も上げている。
なぜ軍医関係者がジョニーを生かし続けたのか、映画ではその理由をあまり掘り下げていなかったが、20歳そこそこで生きる肉塊になるほど惨いことはない。軍医は皆の連帯責任を強調、事の隠蔽を目論むが、誰もジョニーの望みを叶えようとしない。彼の信号に気付いた看護婦だけが安楽死の手助けを図るも、それが発覚、彼女は担当から外された。
ドルトン・トランボ監督は脚本も兼ねており、トランボ自身が1939年に発表した小説が元になっている。小説は戦場で両手、両足、耳、眼、口を失い、第一次世界大戦終結から15年近く生き続けたイギリス将校が実在したという事実をヒントに描かれたという。この話が本当だとしたら、医学の進歩は時に人間の尊厳の破壊にも繋がると言えるだろう。
このケースはジョニーのように戦場で負傷した兵士に止まらない。平和時でも事故で重傷を負い、所謂“植物人間”になる人もいるのだ。彼らは一般に意識がないと思われているが、もし意識があったならば?安楽死というのは容易だが、その実行となれば肉親でも尻込みするはず。映画のラストで再び倉庫に運び込まれたジョニーが、「死なせてくれ」と信号を発し続けるのは惨すぎた。
トランボは戦後のハリウッドに吹き荒れた赤狩り対象となった映画人であり、共産主義者と見なされ逮捕、禁固刑を受けたこともある。実際に彼はアメリカ共産党党員でもあったし、第二次世界大戦中の1944年、『東京上空三十秒』というプロパガンダ映画の脚本も手掛けている。この映画も「負傷兵がテーマだが、それを乗り越えて戦争を遂行する兵士を讃えている」(wiki)とか。
1976年に死去するまでトランボが共産主義にどんな想いを抱いていたのかは不明だが、旧ソ連邦でも戦場に行かされたイワンは夥しい。あちらで負傷兵に手厚い看護を施したとは考え難いし、そのような処置の方が返って苦しみを長引かせなかったはず。ジョニーを苦しめたのは戦争よりも医療行為のかたちをとった問題の先送りだった。
◆関連記事:「大本営発表」
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昔はボーイスカウト・ガールスカウトでモールス符号をならうのですが、最近のアメリカのジュヴナイルでも12歳くらいの少女どうしが隣どうしの家で懐中電灯の光でモールス符号の交信をする場面がありました。
貴方は高校時代すでに鑑賞され、モールス符号習得のきっかけになられたのですか。他にもこの映画を観て、それを習った少年少女もいたことでしょう。
ボーイスカウト・ガールスカウト自体が外来のグループですからね。一般に日本よりも米国の方がモールス符号を習得する少年少女が多いのかもしれません。
実際覚えているのは、ジョニーに意識があることが看護婦さんに伝わり、彼女の反応にジョニーがうなづく(?)シーンです。顔にかけられた白いカバー(あんなに立体的だったんですね)が上下に動くシーンが私の中のこの映画です。漠然とジョニーの置かれた状況ははわかっていましたが、映像的にはこのシーン以外あまり記憶にないのです。多分すごく子供心に衝撃を受けたのだと思います。
mugiさんの記事でこの映画がどういう映画であったのかよくわかりました。大人として機会があったら観てみたい…、う~ん、辛くなるかも…、重いテーマですね。
ほとんど場合には、前者のリスクが大きいため戦争はすべきではないのですが、日露戦争なんかは後者のリスクが大きかったがゆえに開戦したように思います。
ただし計算は難しく、「政権の維持」やナチや中華思想みたいな「レイシズム」のような余計な要素が入ると計算が無茶苦茶になります。
情緒に訴える「反戦映画」も計算を狂わせる要素です。それがある勢力のプロパガンダである場合は特に。
仮想敵国の前者のリスクを大きくすることが抑止力なのに、それを低下させますから。(良い例が、この映画の原作当時のアメリカ国民を厭戦気分を見誤って戦争をしかけた日本です。)
この映画は学生時代に名画と聞いたことがありますが、地元ではリバイバルもされず、行きつけのレンタル店にあったため、ようやく見ることができました。地方都市に住む者にビデオレンタル店は有難いです。
実は私も貴女が挙げられたシーンが一番印象的でした。やっと側にいる人と意志疎通ができ、その日がクリスマスだったというのがキリスト教国らしいと感じました。あの看護婦さんがいたのがせめてもの救いです。
確かにこの映画のテーマは重すぎる。特に息子を持つお母様方には辛いものがあると思います。私もこの映画を再び見ることはないでしょう。
今回も鋭い指摘を有難うございました!反戦平和といえば聞こえは良くても、「戦争をしないことで自国の民が(直接的または間接的に)死ぬリスク」が大。単に戦争反対や非武装を唱えている連中は能天気でなければ、敵国の協力者でしょう。全ての戦争がダメならば、独立戦争も無意味になる。
イフが禁句とされる歴史ですが、日露戦争に負けたら今の日本はなかったでしょうね。朝鮮は確実にロシア支配になり、この点だけは日本や朝鮮にとってもよかった(笑)。
「朝鮮の平和を引き裂いた日本と米国こそ現代に必要な対話と協調のため謙遜と誠意の東洋精神に基く行動を起こす時だ」とは、昨年貴方に低レベルコメントで絡んだ自称パスタフェリアンの妄言です。ロシアの苛政を受けて朝鮮人は大人しく従ったはず。
この映画の原作は1939年に発表されましたが、内容だけに戦争のたびに絶版と復刊を繰り返したことがwikiにも載っています。そして監督はアメリカ共産党党員でもあったことを知りました。
>かろうじて延髄と性器だけは無事で心臓も動いていたが、知覚の殆どを失った生きた肉塊と化したのだ。
この設定が僕にとってはショッキングでした。そして彼の伝達方法。考えた挙句のモールス信号なんですね!
>彼の信号に気付いた看護婦だけが安楽死の手助けを図るも、それが発覚、彼女は担当から外された。
それがジョーにとって幸せなんでしょうか?
>医学の進歩は時に人間の尊厳の破壊にも繋がると言えるだろう。
そうです。こう言う映画を見てすごい衝撃を受けました。
初めまして。コメントを有難うございました。
これほどショッキングな設定の反戦映画は珍しいですよね。安楽死も叶えられず、倉庫の片隅に置かれて続けて「生き続けている」有様。本人にとって、とても幸福とは思えない。まだ若いジョニーは、この先何年もこの状態というのは惨すぎます。