人の人生もいろいろだが、古代ローマも様々な皇帝がいた。先日キリスト教がついにローマをのみ込む『ローマ人の物語ⅩⅣ』を読んだ反動で、改めてローマがローマらしい時代だった巻を読み返してみた。その中で特に私が心惹かれたのは『ローマ人の物語Ⅶ―悪名高き皇帝たち』に出て来たティベリウス帝と『ローマ人の物語Ⅸ―賢帝の時代』のハドリアヌス帝だった。
ティベリウス(在位14-37年)は帝国の基礎を磐石にし、国家財政を安定させた皇帝だったが、とかく官僚的と
評判が悪かった。古代ローマの歴史家タキトゥスまでもが悪く書いている。ティベリウスは皇帝としての責務は見事に果たしていたが、宴会も好まず娯楽にも興
味を示さないストイックな生活だったので、地味で元老院や市民にも人気がなく、また人気取りもしなかった。また、敵対分子を一掃、粛清もしたやり口を、タ
キトゥスは偽善者、陰険と断じたが、偽善は権力者には不可欠だし陽気な反対派の排除などありえない。
ティベリウスは迷信が蔓延る古代に
あってはまれな合理精神の持ち主だった。テヴェレ河が氾濫し公共建造物が集中する都心部が水浸しになった際、元老院はあわてて神託書を開いて神々にお伺い
を求める採択をしたが、彼は洪水対策は人間の仕事であると却下、対策のための委員会設置のほうを求めたのだ。
また、ティベリウスの業績を讃え、彼に捧げる神殿を建てたいとの要請に対しても断っているが、その言葉を一部抜粋する。
「もしも評価されるのならば、それこそが私の神殿である。それこそが最も美しく永遠に人々の心に残る彫像である。他のことは、それが大理石に彫られたものであっても、もしも後世の人々の評価が悪ければ、墓所を建てるよりも意味のない記念物に過ぎなくなる。私の望みは神々がこの私に生命のある限り、精神の平静と共に、人間の法を理解する能力を与え続けてくれるのみである」
21世紀になっても、己の巨大で醜悪な彫像を首都に建てる虚栄心の持ち主がわが国の隣にもいる。
'96年に他界した高坂正堯教授はローマ皇帝の中ではティベリウスに誰よりも共感を抱く、と言っていたそうだ。権力者は誰でも孤独なものだが、彼くらい孤高の皇帝の印象が強いのも珍しい。
もう一人のハドリアヌス(在位117-138年)は五賢帝の一人だが、彼もまた貴族精神の権化だった。晩年、元老院の質の低さに辟易してカプア島に引き篭もってしまったティベリウスと違い、くまなく帝国全体の巡礼視察を行い、ローマ防衛体制とインフラ再構築に力を注ぐ。
ハドリアヌスは複雑な性格の持ち主で仕えるのは難しく、彼もまた権力強化のための敵性分子の一掃は行っているが、陰険と批判する者はいない。反乱を起した
ユダヤ人を徹底鎮圧、エルサレムから追放しているが、ティベリウスも社会不安の源になるとしてイタリアから一時的にせよ彼らを追放していた。
私生活でも孤独だったティベリウスだが、ハドリアヌスは前皇后はじめ年上の女に贔屓されたらしい。さらに寵愛した美少年もいる。現代なら犯罪行為だが、
ローマはギリシアほど承認されなかったが、ご法度でもなかったのだ。この美少年アンティノーが若くして死んだ時、ハドリアヌスは人目もはばからず泣き崩れ
たという。美少年が死亡した地にアンティノポリス(アンティノーの都の意)と名付けた街を建設し、少年の彫像を大量に作らせたのはローマ皇帝ならではだ。
ティベリウスとハドリアヌス、悪名高き皇帝と賢帝の誉れ高い後者の違いはあれ、この2人は似てるように感じるのは私だけだろうか。共に名家の生まれで複雑
な性格の持ち主、美的センスに秀でギリシア文化愛好家、容姿と健康に恵まれ、自制心の強さも並外れている。人気取りというか、アピール力では後者の方が断
然上回っているが。
「傲慢な礼儀をわきまえないローマ」と大英帝国と重ね合わせていたため、ローマには辛辣だったJ.ネルーは最後の五賢帝であるマルクス・アウレリウスには共感していた。ローマ皇帝に倣ってか、このインド首相も自省禄風な自伝も書いている。
◆関連記事:「キリストの勝利―ローマ人の物語ⅩⅣ」
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高坂教授の私生活においても、偉大な先達の後継の苦悩や家庭的な不幸があったとは知りませんでした。TVで見た温厚な印象とは裏腹に人知れぬ事情もあったのでしょうね。
ティベリウス帝は私生活で孤独といえ、少数ながら信頼のおける友人はいました。また、愛する妻がいたのに、初代皇帝アウグストゥスの命で涙を呑んで別れて、皇帝の娘と結婚しました。ティベリウスと皇帝の娘は政略結婚のためより、もともと性格が合わず、皇帝の娘は不倫の果て流刑にされました。ティベリウスは再婚もせず、実の息子がいても後継者に指名しなかったから見事です。
個人的なら私もティベリウスに共感しますが、ハドリアヌスの華やかな人生には憧れます。人の評価は多様です。
私も、故高坂教授の意見と同様ですね。前者と後者では、後者の方が遥かに優れ、名君だと思います。
ただ、友人、部下として付き合うのでしたら。日本的無宗教に近いものならば、ティベリウス帝の仰りようを理解できます。が、世界的にはそうではないでしょうね。特に、その後、○リスト教的価値観では。
個人として付き合うのであれば、あまり面白みがないかもしれません。しかし、それは個人レベルの話ですね。後世の歴史家の批評は、必ずしも、評価しきれない、ということの代表だと思います。私的には、後者の皇帝よりも、ティベリウス帝に魅力を感じます。
人の評価という曖昧なものほど、人は評価してしまう。ローマもしかり、ネルーもしかり、ですね。