トーキング・マイノリティ

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フリーダ・カーロのざわめき

2021-08-26 21:07:52 | 読書/ノンフィクション

 20年ちかく前に東京に遊びに行った時、何かの美術館でフリーダ・カーロの特別展が開催されていた。その時私はフリーダ・カーロというメキシコの女性画家を初めて知ったが、ポスターがとても印章的だったため興味がわき鑑賞することにした。そして現代に至るまで最もお気に入りの女性画家となる。
 先日図書館に行った時、『フリーダ・カーロのざわめき』(とんぼの本)を見かけたので借りてきた。表紙に使われている絵は『折れた支柱』、フリーダ37歳の作品で制作は1944年。フリーダの作品の中で私が最も気に入っている。

 フリーダの作品には鮮やかな色彩と、おどろおどろしいテーマが多くみられる。この辺りは日本や欧州と明らかに感性が違っており、やはりメキシコというお国柄も表れているのだろうか。
 ただ、フリーダの血筋は複雑で、父はメキシコに移住したハンガリー系ユダヤ人、母の父はメキシコ先住民でその母はスペイン人というから3つの民族の血を引いており、純血のメキシコ人ではない。メキシコを代表する画家でも、メキシコ先住民の血は四分の一なのだ。

 フリーダは6歳の時、ポリオに罹り右足に生涯付きまとう後遺症が残る。しかし、彼女の人生を決定づけたのは18歳の時に遭遇したバス事故だった。瀕死の重傷を負い、事故の後遺症での激しい痛みは人生の最後まで続く。特に背骨と右足の痛みに苦しめられた。『折れた支柱』はその激痛を描いた作品だが、もしフリーダが事故に遭わなければ、画家フリーダ・カーロは生まれなかっただろう。



 そして事故と共に彼女の人生を左右したのは夫ディエゴ・リベラ。リベラは生前からメキシコを代表する壁画画家だったが、夫婦間の愛憎も激しいものだった。リベラは女癖が悪く、多くの女たちと浮気を繰り返すが、フリーダの妹とも関係を持つ始末。
 その時に描かれたのが代表作『ちょっとした刺し傷』(1935年)で、このような絵を描いた女性画家はまずいないだろう。但し、フリーダは夫と愛人との三角関係をテーマにすることはなかったそうだ。





 バス事故でフリーダは骨盤や子宮も損傷、リベラの子を持つことを望むものの3度流産し、ついに子供に恵まれなかった。2度目の流産の時に描いたのが『ヘンリー・フォード病院』(1932年)。この制作後まもなく同年に描いたのが『私の誕生』。



 個性的な自画像ばかり描いたというイメージのあるフリーダだが、果物や花々の作品もある。遺作となった『生命万歳』(1954年)はスイカの鮮やかな赤が印象的で、とても死のひと月前のものとは思えない。



 フリーダが最後まで社会主義を支持しており、死去した1954年には『マルクス主義は病人に健康を与える』という作品やスターリンの肖像画も描いていた。作品に描かれたマルクスはまるで慈悲深い神様のようだし、スターリンも温和な紳士といった印象。スターリンが世界史上まれに見る極悪人の大量虐殺者であったことを、フリーダは知らなかったのか。

 夫リベラへの面当てもあろうが、フリーダは複数の男たちと婚外恋愛をしていた。しかも相手はイサム・ノグチトロツキーといった大物。イサム・ノグチとの関係は1年足らずで終わったが、2人の密会現場を押さえたリベラがイサム・ノグチをピストルで追い回したことが原因という。浮気者のくせに嫉妬深いリベラには笑えるが、いかにも情熱的なメキシカンらしい。
 フリーダは生涯に30回以上、晩年には年に7回も手術を受けたと云われ、苦痛と芸術、恋と共に生きた女性画家だった。その激しい生き方は伝説となり、映画フリーダではサルマ・ハエックが演じている。

 先日あるネットユーザーさんがコロナに罹り、自宅軟禁状態という書き込みがあった。家族も様子から感染しているらしく、味覚嗅覚がなくなったという話はショックを受けた。今のところ私や周囲には感染は見られないが、感染された方々には一日も早い快復を願わずにはいられない。
 昨今はコロナ禍のために美術展が軒並み中止となり、公共機関の臨時休館も相次いでいる。宮城県もついに緊急事態宣言が発令され、マスクなしで美術館に行けるのは何時になることやら。

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