トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

デッドマン・ウォーキング 1995年【米】ティム・ロビンス監督

2006-04-07 21:12:39 | 映画
 何人もの死刑囚に精神アドバイザーとして付き添ったカトリック修道女の手記の映画化。「デッドマン・ウォーキング」とは死刑囚が処刑される時のスラングだ。死者(デッドマン)となるのだから。

 ルイジアナ州ニュー・オーリンズのシスター・ヘレンは死刑囚マシューから手紙を受け取ったのがきっかけで、彼の精神アドバイザーを引き受けることになる。マシューは仲間とカップルを襲い、女は暴行した後2人とも惨殺して死刑判決を受けていた。へレンが初めて刑務所でマシューと会った時は事件への改悛の情など見られず、実に横柄な口を叩く若者だった。
 しかし、面会を続けるうちにマシューもヘレンに心を開き始める。マシューは自分の家族の心配をしていた。彼には母親とまだ幼い弟たちがいた。母親は近所で買物をすれば聞こえよがしに息子の悪口を言われ、弟は学校でいじめにあって不登校となっていた。

 最後の面会の際、マシューはヘレンに犯行の事実を告白、殺されたカップルに哀悼の感情を表す。ついに死刑執行時、ヘレンは最後まで彼に付き添う。死刑には被害者の遺族も立会いで、彼らは憎悪の目でマシューを見つめる。彼は処刑台に縛られ、腕に毒物の入った注射針をセットされる。死刑執行人は影でボタンを押すと、ピストンが動き毒物が注射されるやり方だ。マシューは最後に被害者の遺族への謝罪の言葉を口にし、処刑された。

 死刑制のあるアメリカで、処刑に被害者の遺族も立ち合わせる制度があるのは結構なことだ。もちろん見たくなければ立ち会わなくともよいが、処刑されてから一片の通知を受けるだけの日本よりいいと思う。この映画でも被害者の遺族は犯人を決して許してはおらず、処刑されたから心の整理が付くというものではない。だが、少なくとも溜飲は下がるだろう。
 私は死刑制度に露ほどの疑問は持っていない。惨殺には自らの命で購うのは当然だ。死刑廃止論者は「世界の流れに逆行する」と主張するが、“世界”とは欧米世界が主であり、欧米でも死刑制度復活を望む声が少なくないのだ。平安時代に日本はいち早く死刑廃止を行ったが、その結果はどうなったのか。残念ながら自由と秩序は相反するものなのだ。

 死刑反対論者のブロガーで、「本村氏(山口母子殺人事件遺族)や氏に同調的な人々はただ次元の低い応報感情に囚われて情緒的に訴えているに過ぎないが、自分はあくまで理性と良心に基づいてどちらにも偏らない冷静な議論を展開している」とコメントした者がいた。
 この類は死刑廃止で社会的に何がプラスまたはマイナスになるか提示できないのが特徴であり、根拠は「世界の流れに逆行」「人権擁護」と情緒むき出しの非合理感情をカムフラージュしてるに過ぎない。端から「木村さんの方針と姿勢は好きじゃない」と己の個人的感情、つまり理性と乖離した動機に基づいているのだから。
 人間の理性と良心などいかに当てにならないかも分からないとは、人間性に無知と如実に示しており、知性さえも疑われる。人間社会を支配するのは理性と良心ではなく力や欲であり、低次元の感情こそが人間の最も強い意志と行動力の源で、それが人類史を動かしてきたのだ。

よろしかったら、クリックお願いします。


最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
非良心、非人権者 (Mars)
2006-04-08 00:32:50
こんばんは、mugiさん。



すみません、いつもつたないコメントで。某ブログ主やコメント主のように言い訳しつつ。



>彼には母親とまだ幼い弟たちがいた。母親は近所で買物をすれば聞こえよがしに息子の悪口を言われ、弟は学校でいじめにあって不登校となっていた。

だから、どうしたの?そんなの言い訳にも何にもならないでしょう。差別やいじめで殺人をはじめ、犯罪が肯定されるならば、そもそも法などいらない。ましてや、法的に落ち度のない被害者やその親族・友人を思えば。中○や南北朝○のように、法律のいらない国ならともかく、法こそ正義とははいわないものの、それなりの罰を受けるべきでしょう。



>次元の低い応報感情

>理性と良心に基づいて

ある意味面白いと思いますよ、こういう意見は。何せ、人権だ、平等といいつつも、差別主義者の本音が分かるというものですね。理性と良心?理性も良心もない犯罪者を理解するということこそ、人道に反するというものです。こういう言い方は、おかしいかもしれませんが、自称人権者の身内や親族を、その者の目の前で凌辱、殺害しても、その犯人の人権はもちろん守られるのですよね。理性と良心に基づいて、復讐心なんて持っては、もっての他ですよね?(笑)



>人間の理性と良心などいかに当てにならないかも分からない

とは私も思います。が、人間の理性や良心を全て捨てる事は、私はできません。が、かの人のように、それが全てだとは思いませんが。



結局のところ、死刑廃止論者は、被害者も、犯罪者も愛せない者だと思います(他人を見下すだけの、優越主義者だと思います)。そんな、人間愛のない者を、簡単に受け入れられないと思いますが。



愛こそすべて、とはいいつつも、愛しすぎると、他者を傷つけてしまう。愛という言葉は、人それぞれ価値観が違います。が、人をも愛せない輩の言葉よりは、愚者からの言葉の方が、少しはマシだと思うのですが。

(私は夢想家の、理想主義者の、現実を知らない者えすが。)



返信する
弁護士にも復讐を許します (岩手の田舎人)
2006-04-08 02:25:14
Marsさん

>自称人権者の身内や親族を、その者の目の前で凌辱、殺害しても、その犯人の人権はもちろん守られるのですよね。

犯罪被害者の遺族ならそういいたくなって当然でしょうね。

ただし、光市母子殺人の遺族が殺していいのは、犯人と裁判を欠席した安田好弘、足立修一の両弁護士までであって、その家族ではないでしょう。

私は、被害者がそういった復讐(あだ討ち)事件を起こし、その事件の陪審員であったなら無罪判決出すと思いますよ。

返信する
人間愛のない者 (mugi)
2006-04-08 21:11:13
こんばんは、Marsさん。



某ブログ管理人は「山口母子殺人事件の加害者にも大切な家族がいる、もし、あなたの身内がこのような加害者の場合を想定して欲しい」と書いてます。死刑反対論者は拙劣なロジックが十八番ですね。

大切な自分の家族にどん底の苦しみを舐めさせたのは加害者本人です。被害者やその遺族ばかりでなく自分の身内さえも苦しめた罪は極めて重い。さらに自分の家族が殺人鬼となる可能性はゼロとは言いませんが、それより殺人の被害者になる確率の方が遥かに高い。優先順位からすれば、被害者への対応を考える事が先でしょう。



人権主義者はまず応報行為はやれないでしょう。「理性と良心」が理由でなくその気概さえ起きないから。良くも悪くも復讐するのはパワーがいりますが、この類は復讐も相手を許す度量もないと思います。その弱さをお体裁ぶって隠しているだけ。



仰るとおり人間は理性や良心を捨てるべきではありません。これを捨てれば野獣と化しますから理想を掲げながらも、人間の野獣性も視野に入れた対策が必要だと思います。



>人をも愛せない輩

以前のコメントでもリンクを貼った某ブログ管理人の家庭実態を改めて紹介します。

http://blogs.yahoo.co.jp/paul_smith1969/folder/670001.html



奥様が精神を病んで困り果て、「巻き込まないで」と迷惑がられても夫婦双方の親に連絡したり、警察を呼んだりするのも「理性と良心」に従っての事ですか。人権主義者の特異な家庭状況が理解できました。

私の従兄が精神科医をしていて、これよりもっと酷い事を見聞きしているので、ショックも同情も感じませんでしたが。
返信する
あだ討ち (mugi)
2006-04-08 21:17:04
>岩手の田舎人さん。



私は貴方と違って紳士ではありませんから、復讐できるなら加害者の家族の始末をするでしょう。家族を殺された以上、家族の血で報いたいと思いますね。冷酷?家族を殺害されれば鬼にもなるし、ダークサイドに堕ちますよ。

そんな歯止めの効かないあだ討ち防止のため、死刑制度を支持します。一旦あだ討ちを決行すれば、報復行為が治まると思われません。
返信する
本当に申し訳ないですが。 (Mars)
2006-04-09 00:29:00
こんばんは、mugiさん。



本当に不謹慎で申し訳ないですが、殺人事件が起きて、一番苦しむのは誰でしょう?本当に不謹慎で申し訳ないですが、死んだ被害者ではないです。また、もちろん、加害者でも、加害者の家族・友人ではないですね。本当の意味で、事件後に苦しむのは、被害者の家族・親類・友人でしょう。遺族の苦しみからくべれば、加害者の家族の苦しみは比較の対象でないと思います。日本では、何故、こうも、遺族の苦しみを分かってあげられないのでしょうね?



かの人の言葉ではないですが、感情でなく、事実は事実と認めるとして、他人を殺害し、被害者の人生を奪い、遺族の心を痛めたけじめを、どうつけるのでしょうか?死刑反対論者は、単に死刑を批判しますが、それ以外にけじめがつけなければ、仕方のないことではないでしょうか?また、死刑執行に関しても、法務大臣が命令しなければ実行できない事は、説明しているのでしょうか?かの帝銀事件の平沢死刑囚にしても、最終的な法務大臣の命令ができなかったからこそ、刑を執行できなかったのですが。

(かのドラマのように、新聞社の責任が重いのであれば、未だにデマばかりタレ流す新聞社の体質は変わっていないと思いますね)



が、私は仇討ちは認めることはできません。私の言葉が足らないのであれば、申し訳ないですが。気持ち的には、岩手の田舎人さんの言わんとしていることも分かりますが、あくまでも、そういう場面で、本当に同じ判断ができるのか、と、人権者に問いたかっただけです。だからこそ、犯人や、その弁護士を同じ目にあわせたいと思っても、それを実行したものに関しては、同じように死刑を含め、厳罰に処せられても、仕方のない事だと思います。

愛は愛ですが、そうでなければ、法治国家ではない。私はそんな国家に、私は住みたくないです。



>岩手の田舎人さん。

私も、某元左翼の方のブログの愛読者で、あなたの真摯な意見に関心させられました。が、今回の件につきましては、私の言葉足らずのコメントで、申し訳ないです。

これからも、宜しくお願いします。

(宜しければ、これからも、mugiさんのブログにもコメントしてください。私も心から歓迎します)

返信する
法治国家 (mugi)
2006-04-09 20:16:52
こんばんは、Marsさん。



仰るとおり殺人事件で一番苦しんでいるのは被害者の家族・親類・友人です。「犯罪被害者の会」の活動を嘲り「程度が低い応報感情」とこき下ろしたのが人権主義者。この手合いには何を言っても無駄でしょう。何しろ「人が人を裁いてはいけない」が本性の愚か者ですよ。では、神が降臨して犯罪者を裁くのですか?要するに犯罪者を裁くな、と世迷言をほざいているに過ぎません。



犯罪者が裁かれない社会ほど恐ろしいものはない。法も秩序もない世界、それは弱肉強食の野獣の世界です。このような社会で最も被害を受けるのは他ならぬ弱者。「王杖(権力、しいては秩序)に保護されれば、弱者も力を得る」と紀元前にインドのマキアヴェッリことカウティリヤも言っている。



あまり私生活は言いたくありませんが、人権派ブロガーの家庭など無秩序そのものではないですか(笑)。自閉症の子供がいるなら親がしっかりしなければならないのに、妻はキレて親の責務はなおざり、夫も未だに両親に助けを求める依存性。彼は「妻や妻の母は子供っぽいところがある」と書いてますが、すぐ人に頼るのは本人も輪をかけて子供じみてますね。似たもの夫婦でしょうが、一体この人物はどんな人生体験をしてきたのか不可解です。



仇討ちといっても、これは名を変えた報復殺人です。昔も実際に仇討ちをした者はまれだし、山口母子殺人事件の遺族の本村さんが実行するとは思えません。だからこそ本村さんも苦悩していたと思います。本当に行うと決めた者ならマスコミにも出ず、加害者が出所するのは待てばよいだけですから。

私も万一彼が仇討ちをしても、やはり法にのっとり厳罰に処すべきと思います。例外を認めれば法治国家は崩壊しますので。人権主義者がやっているのは人権の名の下での例外の乱発と法の形骸化で、単なる犯罪者より始末が悪い。
返信する
誰も、本村さんを批判できない (poohpapa)
2006-04-22 10:29:28
おはようございます、こちらの記事も拝見させて頂きました。



私は、ご紹介先の管理人や世間の一部が本村さんを批判しているのを読んで、彼らの言い分に一理あったとしても、今、誰も本村さんを批判できないもの、と思っています。



良いか悪いか、だけで言えば、「裁判所が死刑にしてくれなければ、私が犯人を殺す」という発言は穏当ではありません。ですが、無惨に最愛の家族を殺されてしまった遺族の口から、そういう無念の言葉が出たとしても、誰が非難できましょう。たとえ「それは間違っている」と思っても、黙って飲み込んであげるのが人の道、だと思うのですよ。ましてや、安全なところにいる第三者が、さも解かったかのような発言をするのは如何なものか、と思うのです。



そして、批判の言葉が穏やかであればあるほど、薄気味悪さ、底意地の悪さ、を感じてしまいます。



本村さんは、率直に心情を吐露したに過ぎません。社会的な影響も、裁判に与える影響もありません。黙って聴いてあげる度量くらいは持ちたいもの、と思います。



ところで、私のサイトでもよく書いていますが、私は、裁判の量刑では「反省しているかどうか」を考える必要は全く無いもの、と思っています。それほど当てにならないものはありません。判決後、刑務所の中の態度でしか本当のところは判らないものでしょうから、反省度を見て、それから軽減させれば良い、と思っています。もちろん、福田孝行は死刑しかありませんが。



良い記事をまた有り難うございました。
返信する
狭量な独善家 (mugi)
2006-04-23 00:44:01
こんばんは、poohpapaさん。



全く同感です。仰るとおり「裁判所が死刑にしてくれなければ、私が犯人を殺す」発言は仇討ち公言のように見えますが、愛する家族を惨殺されて冷静でいられる者がいるでしょうか?ましてまだ本村さんは報復行為を行ったのではありません。真に人権を唱える者ならば、被害者家族のこの種の発言には黙殺するのが人間としての思いやりだと思います。



被害者家族が心情を吐露しただけで延々非難記事を書いている御仁は、人権を訴えながらも本性は恐ろしく狭量な独善家です。他の意見を認めないのはファシストと同じですね。弱者を装っている姿勢はむしろ卑劣ですらあります。あの類は結局自分しか愛せないのは明らかでしょう。



私も裁判で“改悛の情”など、減刑対象外だと思いますね。人間の本心など当の本人すら分からないものだし、犯罪を犯す者は狡猾なので反省したフリをして刑期を縮める事など朝飯前でしょう。犯行時少年という事で福田孝行に死刑が適用されないのは残念です。



さらに不快なのは、死刑廃止活動家の影に胡散臭い動きがあるのです。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/941f057bf9a9b99d8a596d1c7f8b8fc2



こちらこそ、拙ブログエントリーを再びご覧下さってありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。
返信する
反厳罰化 (Mars)
2006-05-03 22:23:23
こんばんは、mugiさん。



日弁連は厳罰化反対で、以下のような内容を要求するようです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060502-00000137-jij-soci



しかしながら、大阪・浪速区の姉妹殺害といい(容疑者は少年ながらも実母殺害で前歴あり)、こういう内容を要求弁護士にこそ、連座制を採用すべきだと思います。

(例えば殺人犯を生きながらえさせた後、再犯するならば、それを弁護した弁護士にも一定の罰を与えるべき、だと思います)



結局、弁護士とは、加害者個人を守り、社会を守るという者でないことだけは理解できますね。



返信する
逆行勢力 (mugi)
2006-05-03 23:36:43
こんばんは、Marsさん。



>結局、弁護士とは、加害者個人を守り、社会を守るという者でないことだけは理解できますね。

紹介されたニュースを見れば、全く仰るとおりです。

自分が弁護した容疑者が再犯するなら、ある程度責任を取ってもらいたいものです。人権を叫ぶ者に限り、被害者の人権は目に入らない。

日弁連は日本の裁判の癌になっているのは間違いないですね。
返信する