先日ドイツ在住のシリア人作家ラフィク・シャミの本『空飛ぶ木』を読了した。これで読んだシャミの本は4冊目になる。この本の短編物語『吸血鬼とニンニクの真実』は、ドイツ在住のヨルダン人ジャーナリストが主人公となっている。シャミはシリア人だが、明らかに著者自身の投影と思われる主人公はドイツ社会にかなり厳しい目を向けている。
『吸血鬼~』の主人公モハメドはヨルダン出身のムスリムでドイツに住んでいる。雑誌社に勤める彼はあるとき編集長から吸血鬼の企画記事を持ちかけられる。 キリスト教徒の記事なら十字架が奇跡を起こしたというパターンになりがちなので、モハメドに頼んだのだ。ムスリムといえ彼は「イエスもマホメットも信じて いない」と公言するほどの世俗的な人物。それでも支度金で滞納した家賃が払える上、社費で一月もルーマニアに行けるから、喜んで彼は仕事を引き受ける。
モハメドはルーマニアやイスタンブールまで取材し、ニンニクは吸血鬼を追い払う効果があるのは間違いで、逆にニンニクのにおいのする血を好むのを知る。この新発見を記事にするのを編集長に持ちかけるが、却下された。
企画が却下されて何年かした後、モハメドはミュンヘンに取材に行き、車内のコンパートメントで偶然モロッコ人労働者と一緒になる。同じアラブ人同士なので モロッコ人アリと話が盛り上がるが、ふとアリの首筋から血が出ているのを目にする。訳を聞くと、ドラキュラに噛まれたというのだ。初めは信じなかったモハ メドも、アリの話に聞き入る。
モハメドはミュンヘンに行く時、トランクに一冊本を入れた。その理由は暇つぶしだけでなく、こうある。
「以前の僕は車中での暇つぶしといえば読書しか知らないドイツ人を大いに笑ったものだ。 しかしドイツに住んで12年も経つ内に、口を利こうともしない相手にこちらから話しかけるのは止めにした。彼らは隣りあわせた客とおしゃべりを楽しむより も、電気メーカーの広告を3時間も見つめていた方がましだと思っているのだ。12年の敗北から、僕はスマートに順応する術を学んだ」
ドラキュラに狙われたアリの体験話にもドイツ人同僚やドイツ社会への不満が出てくる。
「同僚たちは俺が何か言っても、またアリの作り話かって言うんだ…みんな俺を呆れ顔で見るんだ」
「(吸血鬼に捕われ)通りすがりの人たちに俺は助けを求めたよ。だけど、この国じゃあ、通行人は見て見ぬふりを決め込むんだ。たとえ素面でもね。酔っ払いどもは助けを求めて叫ぶ俺をニヤニヤ見てるだけだった」
もっとも、通行人はアリを捕えた男が吸血鬼とは夢にも思わなかったが。
アリの同僚のドイツ人労働者も吸血鬼に襲われたのを知り、アリは同僚と連れ立って飲み屋に行き、生まれて初めてビールを口にする。さすがに美味しいと感じ、ほろ酔い加減で帰宅する。いい気分になった彼は途中、ドイツ語で大声でわめく。
「ドラキュラも、滞在許可証も、糞喰らえってんだ!」
そして、アリはこう思った。この寂しい国の人々が何故酒を飲むのか、俺にも分かるような気がした。彼らの取り付く島もないしかめっ面にも親近感が湧いてきた、と。
千夜一夜物語を生んだだけにアラブ人は話好きだが、ドイツ人に劣らず日本人も車内では見知らぬ外国人に話しかけられるよりも、雑誌を見ている方がマシと思 う。外国人が助けを求めても現地人が冷淡なのはドイツに限らない。アラブ人も異教徒、異国人に親切な態度を取る者は少数だろう。
『そし てコオロギは鳴き続けた』の一編も面白い。日本でのアリとキリギリスの話が、コオロギに置き換わっているのだ。シリアでもコオロギは褒められてはいないよ うだが、ドイツに至ってはラジオで勤勉なアリを讃え、コオロギを罵倒する歌を流していた。アリよりコオロギが好きだった「僕」はこう感想を漏らす。
「まるで僕の(孫にアリとコオロギの話をした)おばあさんにしつけられたような大人たちと、自動車屋になるために学校へ通っているような子供たちばかりだった」
日本の教育もドイツとあまり変わらないだろう。来日したアラブ人も日本に同じような感情を持つと思われる。シャミの寓話から他民族共生なるもののお寒い実態が浮かび上がってくる。ドイツ人に劣らず移民側も偏見に取り付かれているのだ。
◆関連記事:「門戸を開放」「解放は外からもらうものじゃない」
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『吸血鬼~』の主人公モハメドはヨルダン出身のムスリムでドイツに住んでいる。雑誌社に勤める彼はあるとき編集長から吸血鬼の企画記事を持ちかけられる。 キリスト教徒の記事なら十字架が奇跡を起こしたというパターンになりがちなので、モハメドに頼んだのだ。ムスリムといえ彼は「イエスもマホメットも信じて いない」と公言するほどの世俗的な人物。それでも支度金で滞納した家賃が払える上、社費で一月もルーマニアに行けるから、喜んで彼は仕事を引き受ける。
モハメドはルーマニアやイスタンブールまで取材し、ニンニクは吸血鬼を追い払う効果があるのは間違いで、逆にニンニクのにおいのする血を好むのを知る。この新発見を記事にするのを編集長に持ちかけるが、却下された。
企画が却下されて何年かした後、モハメドはミュンヘンに取材に行き、車内のコンパートメントで偶然モロッコ人労働者と一緒になる。同じアラブ人同士なので モロッコ人アリと話が盛り上がるが、ふとアリの首筋から血が出ているのを目にする。訳を聞くと、ドラキュラに噛まれたというのだ。初めは信じなかったモハ メドも、アリの話に聞き入る。
モハメドはミュンヘンに行く時、トランクに一冊本を入れた。その理由は暇つぶしだけでなく、こうある。
「以前の僕は車中での暇つぶしといえば読書しか知らないドイツ人を大いに笑ったものだ。 しかしドイツに住んで12年も経つ内に、口を利こうともしない相手にこちらから話しかけるのは止めにした。彼らは隣りあわせた客とおしゃべりを楽しむより も、電気メーカーの広告を3時間も見つめていた方がましだと思っているのだ。12年の敗北から、僕はスマートに順応する術を学んだ」
ドラキュラに狙われたアリの体験話にもドイツ人同僚やドイツ社会への不満が出てくる。
「同僚たちは俺が何か言っても、またアリの作り話かって言うんだ…みんな俺を呆れ顔で見るんだ」
「(吸血鬼に捕われ)通りすがりの人たちに俺は助けを求めたよ。だけど、この国じゃあ、通行人は見て見ぬふりを決め込むんだ。たとえ素面でもね。酔っ払いどもは助けを求めて叫ぶ俺をニヤニヤ見てるだけだった」
もっとも、通行人はアリを捕えた男が吸血鬼とは夢にも思わなかったが。
アリの同僚のドイツ人労働者も吸血鬼に襲われたのを知り、アリは同僚と連れ立って飲み屋に行き、生まれて初めてビールを口にする。さすがに美味しいと感じ、ほろ酔い加減で帰宅する。いい気分になった彼は途中、ドイツ語で大声でわめく。
「ドラキュラも、滞在許可証も、糞喰らえってんだ!」
そして、アリはこう思った。この寂しい国の人々が何故酒を飲むのか、俺にも分かるような気がした。彼らの取り付く島もないしかめっ面にも親近感が湧いてきた、と。
千夜一夜物語を生んだだけにアラブ人は話好きだが、ドイツ人に劣らず日本人も車内では見知らぬ外国人に話しかけられるよりも、雑誌を見ている方がマシと思 う。外国人が助けを求めても現地人が冷淡なのはドイツに限らない。アラブ人も異教徒、異国人に親切な態度を取る者は少数だろう。
『そし てコオロギは鳴き続けた』の一編も面白い。日本でのアリとキリギリスの話が、コオロギに置き換わっているのだ。シリアでもコオロギは褒められてはいないよ うだが、ドイツに至ってはラジオで勤勉なアリを讃え、コオロギを罵倒する歌を流していた。アリよりコオロギが好きだった「僕」はこう感想を漏らす。
「まるで僕の(孫にアリとコオロギの話をした)おばあさんにしつけられたような大人たちと、自動車屋になるために学校へ通っているような子供たちばかりだった」
日本の教育もドイツとあまり変わらないだろう。来日したアラブ人も日本に同じような感情を持つと思われる。シャミの寓話から他民族共生なるもののお寒い実態が浮かび上がってくる。ドイツ人に劣らず移民側も偏見に取り付かれているのだ。
◆関連記事:「門戸を開放」「解放は外からもらうものじゃない」
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私も「移民側も偏見に取り付かれている」と思います。
過去に日本から海外に渡った人も、今アジアから日本に来ている人も、ある種の欲望を満たすために海を越えてきているのだと思います。
行った先で、欲望を満たす目的の前に、当然、相手国の法という障壁が立ちはだかるわけで、この法が差別の温床となることは理解できる。
彼らの前に相手国の法が立ちはだかると、それは移民側に偏見という形で内在するのではないかと考えます。
過去の日本人移民も現代の日本や欧米への移民も、ある種の欲望、つまりよりいい生活を求めて移住したのです。祖国の生活に満足してるならばわざわざ文化習慣の違う異国に移住するはずもない。
ただ、どの国も法というものがあり、その法を犯す者が憎まれるのは、人間心理としては自然でしょう。
もっとも移民側も適応性のある民族とない民族がいます。日本人は前者ですが、トラブルが絶えない民族も確実に存在します。
人類史は移住の歴史でもあります。異民族移住で国が滅んだり大打撃を受ける過去を見れば、余所者に警戒するのは当然です。