トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ジャッカルの日 その一

2013-08-10 20:40:39 | 読書/小説

 先日、某シネコンでリバイバル映画『ジャッカルの日』を見てきた。この作品を初めて見たのはТV洋画劇場で、30年近く前のまだ学生時代。エドワード・フォックス扮する腕利き殺し屋もクールで格好良かったが、映画をきっかけに読んだ原作はさらに面白かった。これも構内の図書室から借りてきたのだが、今日に至るまで原作者フレデリック・フォーサイスの小説を愛読することになるとは思いもよらなかった。80年代半ばの作品『第四の核』も良いが、この処女作はそれに劣らぬ最高傑作と思う。

 この作品で初めてフランス元大統領ド・ゴールが、数多くの暗殺未遂事件に遭っていたことを知った。第二次世界大戦時の抵抗組織「自由フランス軍」時代ならともかく、戦後に至ってもド・ゴール暗殺を目論む同国人の秘密軍事組織OASの名も、『ジャッカルの日』で初めて知った。OASは実に6回に渡り、暗殺を企てたという。第三世界の独裁者なら話は別だが、民主主義国の元首で欧州の大国フランスの指導者が、これほど執拗に命を狙われていたとは一般の日本人には信じ難いだろう。自由フランス軍を弾圧した占領ドイツ軍よりも自国民の方が危険だったようだ。

 OASがドゴール暗殺を企てた背景にアルジェリア戦争(1954-62年)がある。これはフランス支配に対するアルジェリア人民の独立戦争であり、8年間に亘る凄惨な闘いとなった。この戦争が複雑化したのはアルジェリア、フランス共に一枚岩ではなかったこともある。アルジェリアにはピエ・ノワールと呼ばれるフランス人を中心とした植民者が百万人はいたと推定され、「フランスのアルジェリア」を断固支持していたのは書くまでもない。
 かくして現地のフランス軍人や民間人はOASを結成、アルジェリア民族解放戦線(FLN)やアルジェリア民間人を弾圧、殺戮を続け、FLN側も負けずアルジェ在住フランス人を狙ったテロを繰り返した。

 フランス国内世論は長引く戦いと戦費の増大で、ド・ゴールによるアルジェ独立承認政策を支持する者が多数となる。だが、それはアルジェで戦う軍人やピエ・ノワールには受け入れがたいものであり、OASはFLNや現地人ばかりか、フランス政治家や官憲攻撃への攻撃を開始する。OASにとってド・ゴールは許し難い裏切り者だったのだ。
 何やらアルジェはフランス版満州と化した感があり、満州引き上げよりも状況は良かったにせよ、ピエ・ノワールの大半も身一つで脱出している。フランス政府は長くこの戦いを戦争として認定せず、「アルジェリア事変」「北アフリカにおける秩序維持作戦」しており、正式にアルジェリア戦争と記すようになったのは1999年10月だという。

 アルジェ側も現地人が一丸となってフランスに抵抗したのではなく、フランス側に立ち戦った親仏派が約25万人もいたそうだ。アルキと呼ばれるアルジェリア人兵士及びその家族がそうであり、現地人部隊として最前線で戦った。戦争締結後、彼らの多くはFLNに裏切り者として処刑された。残った者は一部フランス軍人の協力で14万人がフランスに脱出したという。フランスに移住してもアルキは差別され、周囲から孤立、貧しい暮らしを強いられた。

 OAS掃討に最も功績のあったのがフランス秘密情報機関SDECEの第5部だったと、小説『ジャッカルの日』で記されていた。第5部はアクション・サービス(行動部)と呼称され、この組織に所属する男たちの殆どはコルシカ人だったそうだ。彼らは特別訓練であらゆる戦闘技能を叩きこまれ、破壊工作のエキスパート集団であった。アクション・サービスは任務遂行中、人を殺す権限が与えられており、しばしばそれを行使したという。

 アクション・サービスの幾人かはOASメンバーになり、幹部会にまで食い込んだ者もいた。そこから彼らは情報を送り、仲間の工作を導く。身元がバレて惨殺された者もおり、コルシカ人は昔から彼らの伝統になっている復讐に基づき、OASに対し復讐を開始する。OASメンバーの多くもピエ・ノワールでコルシカ人と同じ気質を持っていたため、両者の闘いは同族相食むといった様相を呈した。
 そしてパリとマルセイユの暗黒街を牛耳るのもコルシカ人であり、フランス版マファアは彼らにちなみ「ユニオン・コルス」と呼ばれていることを、この物語で初めて知った。ノルマンディー上陸作戦時、連合国軍とユニオン・コルスは協力し、戦後後者は協力の結果として、コート・ダジュール一帯の非合法事業の利権を一手に握ったことも書かれている。
その二に続く



◆関連記事:「第四の核
 「戦争の犬たち

よろしかったら、クリックお願いします
  にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る