トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃 12/伊=ポーランド

2014-08-06 21:10:48 | 映画

 最近の史劇の邦題には、“進撃”の言葉を入れるのが流行りなのか?『300~帝国の進撃~』に続き、この作品でも“進撃”が使われている。英題は『The Day of the Siege』だが、原題は『11 settembre 1683』。欧州人にとっては“包囲”だけで、第二次ウイーン包囲を指すことが判るらしい。『300』、この作品ともに中東の大帝国による欧州侵攻を描いていることは共通している。

 冒頭の字幕にはこうだった。「現代の認識への誤りは、過去への無知によるものである」。何故この言葉が引用されたのかは不明だが、イスラム教徒の常なる好戦性・侵略性を強調する意図はあったと私は見ている。主人公は第二次ウイーン包囲で活躍した2人の人物で、1人はヴェネツィアのカトリック修道士マルコ・タヴィアーノ。もう1人はポーランド王ヤン3世ソビェスキ
 この作品で初めてポーランドから、オスマン帝国の進撃を食い止めた英雄を出していたことを知った。18世紀末、3度に亘る分割の憂き目に遭った国とは思えないほど、当時のポーランドは軍事強国だったらしい。

 戦闘シーンは後半なので、修道士マルコ・タヴィアーノを中心に物語は進んでいく。やたら奇跡を起こす修道士として描かれており、盲人や重病人を治したシーンなどは、やはりキリスト教圏の作品だと苦笑した。
 いかにも脚色くさく、架空の人物?と疑がった。試にこの人物について検索したら「クリスチャン新聞」というサイトに、「2003年にカトリック教会の福者に列せられた」の一文があったので、実在の人物らしい。彼は常に褐色の修道服をまとっており、フランシスコ会の修道士だろうか。

 修道士マルコは絵に描いたような聖人であり、高潔な聖職者となっている。彼は教会や戦場でこう説法する。「家や家族、信仰、伝統を守れ!」。そして「キリスト教世界は危機に瀕している」と訴える。この種の危機を煽る説教は現代でも続いており、拙ブログにも自称カトリック信者から、「カトリックは今、危機に瀕している」という主旨のコメントがあった。異教徒には通用しない脅し文句でも、クリスチャンには未だに効果的らしい。

 当然この作品の敵役はオスマン帝国大宰相カラ・ムスタファ。「全世界を征服しようとするイスラム」の台詞もあり、コーランには次の一節がある。
アッラーとその使徒に対して戦い、または地上を攪乱して歩く者の応報は、殺されるか、または十字架につけられるか、あるいは手足を互い違いに切断されるか、または国土から追放される外はない。これらはかれらにとっては現世での屈辱であり、更に来世において厳しい懲罰がある。だがあなたがたがとり抑える前に、自ら悔悟した者は別である。アッラーは寛容にして慈悲深くあられることを知れ。(5:33~34)

 教義上は自ら悔悟(つまり改宗や降伏)しない限り、殺傷され国土から追放される他ないという原則であり、カラ・ムスタファは幾度も神聖ローマ帝国にイスラムへの帰依を呼びかけている。
 しかし、キリスト教も侵攻と信仰はセットだったし、全世界に福音を与える意志は現代も持ち続けているのだ。イスラム、キリスト教ともに異教の寺院をモスクや教会に変えてきたし、21世紀でも敵対する異教徒を邪教徒呼ばわりする。

 第二次ウイーン包囲の敗戦を問われたカラ・ムスタファが処刑され、彼の首がオスマン皇帝メフメト4世の元に送られたと聞いていた。そのためてっきり斬首と思っていたが、この作品では絹のような帯による絞殺になっていた。ただ、カラ・ムスタファの妻子の前での処刑はありえないはず。幼い息子はともかく、妻はヴェールも被っていなかった。
 wikiにはその処刑方が載っており、「弓の弦で絞め殺された後、遺骸の首は切断され、皮を剥がれ剥製にされてから、メフメト4世の許に届けられた」とある。世界史教科書では第二次ウイーン包囲の失敗で、オスマン帝国衰退のきっかけになったという印象を受けるが、帝国はその後、欧州との16年に及ぶ大トルコ戦争に突入、これが決定打となった。

 この作品での神聖ローマ皇帝レオポルト1世はバカ殿そのもので、トルコ侵攻の報を受けても、平和条約を結んでいるから…と信じようとしない。それが現実になると、首都を早々に脱出する。当時のフランス王はルイ14世だが、神聖ローマ帝国への対抗もあり、救援もしなかった。尤もキリスト教徒防衛のため自発的に参加するフランス貴族もおり、若きプリンツ・オイゲンも登場していた。
 映画での戦力は、籠城側が1万5千人に対しオスマン軍が30万人となっていたが、wikiでは後者が15万人となっている。30万は多すぎると感じたし、たぶんwikiの方が実数に近いかも。

 第二次ウイーン包囲で目覚ましい活躍をしたのがポーランドの「有翼重装騎兵」。有翼重装騎兵なるものも初耳だったが、ポーランド重騎兵は「フサリア」と呼ばれ、羽飾りまでつけた派手な騎兵で知られていたという。映画のポスターにも有翼重装騎兵の姿が使われている。
 ネットでは戦闘シーンへの辛口なレビューもあったが、私を含め軍事に疎い人なら気付かなかったと思う。私はオスマン帝国側の華美な軍団見たさにこの作品を見に行ったし、映画館の大画面での戦闘は迫力があって満足させられた。

 キリスト教世界の擁護者として、名声を得たポーランド王ソビェスキだが、大トルコ戦争を引き続き戦ったことから国内は物質的にも疲弊、内政は置き去りにされた。それに加え東隣のロシアの台頭は、東欧でのポーランドの覇権を失墜させた。一連の戦争でポーランドはトルコと共倒れになり、イスラム帝国ではなくキリスト教諸国こそがポーランドの自由と独立を奪ったのは、歴史の皮肉というべきか。



◆関連記事:「カティンの森
 「300 ~帝国の進撃~

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る