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もし、ヒトラーがタイムスリップして現代に甦ったならば?そんな奇想天外な設定で制作されたのがこの映画。原題:Er ist wieder da「彼が帰ってきた」。全般的にはシュールなコメディだが、ラストでは実に意味深い台詞が用意されている。
試にタイトルを検索したら、wikiでも解説されていた。これで初めて原作の風刺小説があることを知ったが、2012年に発表、ドイツでベストセラーになったと記されている。「ヒトラーに対する数々の肯定的な描写から物議を醸した」のは、欧州の言論状況では当然だろうが、著者ティムール・ヴェルメシュはこう述べていたという。
「ヒトラーを単純に悪魔化するだけではその危険性を十分に指摘できない…リアルなヒトラー像を表現するためにあえてその優れた面も描き出した」
映画化で多少の設定変更はあったようで、原作と違い映画ではヒトラーが甦ったのは2014年となっている。主要登場人物で初めにヒトラーを発見したのはテレビ局社員ザヴァツキだったが、彼も含め誰もが本物とは思わない。ヒトラーを見た人々は、変人だが単に演技力に秀でたお笑い芸人としか見ていなかったのだ。
当前だ。没した1945年に満56歳のヒトラーが、69年後にそのままの姿で甦るなど、下手なSF小説でも考えられない。ヒトラー生前説は20世紀から一部にあったが、さすがに21世紀には聞かれなくなってきた。
DVDを見ながら、私はこの設定には最後まで違和感があった。現代でもクリスチャンの殆どは教祖の復活を信じているにせよ、それすら僅か死後3日目である。私のような異教徒なら一笑に付すが、キリスト教に教祖の復活は絶対的ドグマと化している。ドイツでヒトラー復活物語がウケたのも、そのような思想背景があったのやら。
甦ったヒトラーは現代が2014年だったことを知り、衝撃を受ける。だが稀有な指導者としての勘は衰えておらず、新聞を読み漁るだけでなくPCも駆使、現代の社会情勢を把握していく。最高指導者を目指すのは書くまでもない。
ヒトラーをめぐる2人の女がいる。1人はテレビ番組制作会社の女副社長。メルケルを陰気なデブと腐したヒトラーだが、頭の切れる美人の副社長はレニ・リーフェンシュタールと比して認めている。この女副社長の台詞に、「70年近くもの歴史教育に、子供たちも飽き飽きしている…」というのがあったのは意味深い。
もう1人はユダヤ人の専属秘書。こちらは善良な若い女だが、ユダヤ女が秘書という設定は皮肉というべきか。この秘書には強制収容所の生存者である祖母がおり、祖母だけがヒトラーを本物と見抜くが、認知症の老女の言い分など孫でも信じない。
街に出て庶民の声を聴くヒトラーに、人々のぶつける本音は興味深い。難民問題に直面しているドイツゆえか、もうこれ以上外国人が来るのは望まない、と口々に庶民は訴える。私には一女性店主が語った話が印象的だった。彼女はヒトラーにこうこぼしている。移民の子供たちは最悪、石を投げてガラスを壊す、叱ろうものなら親に刺される…
警察も移民や外国人犯罪には及び腰であり、日本もすでに同じ状況になっているため、この台詞は重い。
ようやくヒトラーが本物だったことに気付いたザヴァツキは、「また大衆を煽動するのか」と責めるが、その答えが振るっている。君は分っとらん、私は明確に政策を提示しただけで、大衆が私を選んだ…
さらに怪物、と面罵するザヴァツキへの反論は、ある意味正論なのは確かだろう。違う、自分は普通の人間だ。普通の人々がなぜ私に従うのか?それは彼等と考えや価値観が私と同じだからだ…
ヒトラーが甦ったと訴えたザヴァツキは狂人扱いされ、強制入院となる。ヒトラーが登場するテレビ番組は高視聴率となり、ある事件により大衆の人気を確立する。ネオナチに襲撃され、負傷したヒトラーを見た大衆はすっかり同情、ますます信用されるようになった。
だが、この事件は仕組まれたものであり、ヒトラーが息のかかった若者にわざと襲撃させたものだった。街では彼を見かけた大衆は例の手を斜めにあげる敬礼をするようになり、復帰の機が近いと感じているヒトラー。
フィクションといえ、何ともブラックなオチだった。怪物とは大衆の夢の投影でもあるということなのか。独裁者は時代がつくるものだが、「意外にも評価が高かった初期のヒトラーの政治手腕」という興味深いサイトがある。単なる煽動家だけではなかったのだ。
◆関連記事:「ヒトラー 最後の12日間」
「ヒトラー一族の責任」
「アンネの日記と日本人」
「謝罪しなかったドイツ人医師たち」
なお、私は映画ではなく、原作のみを読んでいます。
ヒトラーの論旨は首尾一貫していてブレない。聞いていると全く正当な主張に思えてしまう。
実は前提そのものに誤りがあるのだが、聞いているうちにそれがどうでもよくなってしまう。
第一声に『案外マトモじゃないか?』。次を聞いて『確かにそうだろう』。段々と『そりゃそうだ』→『いや全く・・・』→『そうだそうだ!』→『その通りだ!』から『ジーク(勝利)!』,『ハイル(万歳)!』,『ジーク!』,『ハイル!』の大合唱に繋がっていく過程が描かれて不気味です。
初コメを有難うございました!私は原作未読でドイツ事情には疎いのですが、強いドイツを待望するドイツ国民は少なくないと思います。ただ、口に出せばたちまち極右やらネオナチ呼ばわりされるし、現代ではヒトラー復活が難しいかも。
指導者には演説の才能が求められますが、前提そのものに誤りがあるなら恐ろしいですよね。国民が誤った方向に簡単に誘導されてしまう。
ヒトラーを支持した過去のドイツ人は愚か者の
様にとらえる既成の論説がかねてより気に食わない
私にとっては刺さりました。
当時のひっ迫した情勢、本人の魅力やひきつける技術や、時代を超えて説得力を失わない議論を抑えてるところ、そういう支持してもおかしくな要素にちゃんと向き合っているのが好感が持てました。
往々にしてヒトラー的な手法や意見を嫌う
連中に限って、彼の手法に引っかかる奴の多いことよ。まるで「私はそんな詐欺に引っかからないよ」と言ってオレオレ詐欺引っかかる人がいるように。
ヒトラーに懐疑的だった人物でも、実際に会って話すと支持者になったケースが多かったので、人をひきつける技術は天性のものでした。やはりクリスチャンは救世主を求めたがるようです。
私的にはドイツは過去を真摯に反省しているの類の論説にかねてより疑問でした。しかし映画だけでそうではなかったのが判ります。ホグロムは東欧やとロシアだけではなく、ドイツでも行われていた。そんな過去を持つドイツが簡単に過去を真摯に反省すると見るのは浅はか。