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仙台駅東口の「TFUギャラリー ミニ モリ」の特別展・大アマゾン展を先日見てきた。この時期、博物館などでは子供向けの特別企画をよく開催するが、大人も充分楽しめる特別展だった。ミニ モリの公式HPもあるが、2017/7/18付の仙台圏の情報サイト「仙台経済新聞」では、こう紹介されている。
―「アマゾン川流域に生息する生き物の多様性」をテーマに、アマゾンを総合的に紹介する同展。化石・はく製・骨格標本など約300点を展示する。
「大河アマゾンは世界最大の流域面積を持ち、日本の面積の20倍といわれる広大な地域に熱帯雨林が広がり、多種多様な生き物の宝庫となっている」と同展担当者。約420種類の哺乳類、3000種以上の魚類、約1800種の鳥類、約6万種の植物、地球上の種の4分の1に相当する100万種以上の昆虫がすむとされるという…
先ずアマゾンの歴史についての解説があり、どのような経緯で現代の姿に至ったのか説明されている。このコーナーでは主に1億1千年前の植物や魚、昆虫などの化石が並べられていて、子供には退屈な展示だったかもしれない。私も植物の化石は興味なかったが、魚や昆虫類は面白かった。
これら化石の殆どは国立科学博物館蔵とのことだが、1億1千年前にも拘らず、魚や昆虫類は現代とあまり変わらなかった。アジやイワシ、サケと同じ大きさや姿の化石もあったし、昆虫類も同じだった。今と殆ど同じサイズのトンボや茶羽ゴキブリの化石まであった。南米で絶滅した哺乳類も多かったのに、魚類や昆虫は未だに顕在なのだ。
地味な化石群の後は、哺乳類の剥製。アマゾンに生息する猿やナマケモノ、アリクイ、アルマジロ、バクはもちろん、クマまであったのは予想外だった。日本のツキノワグマより小さめだったが、もっと大型の種もいるのだろうか?
次は鳥類。特別展で私が最も関心のあるコーナーだが、色鮮やかな複数のコンゴウインコを見られて満足だった。ハチドリもあったが、やはり小さかった。熱帯のアマゾンに生息する鳥類は全てが色鮮やかというわけではなく、日本の野鳥にもよく似た地味な鳥類も結構おり、そんな鳥類も展示されていた。
2番目に見たかったのは爬虫類並び両生類のコーナー。特別展の目玉のひとつオオアナコンダは、そのデカさに改めて息を呑む。剥製(死骸)でもその迫力に圧倒された。会場に置かれたVTRにはオオアナコンダを捕える映像があったが、大の男4人がかりでも苦労している。現地で人間が絞め殺されることがあるのも納得できた。
対照的に小さいのが毒ガエル。日本のアマガエルよりも小さかったし、とかく大型の生き物が目立つアマゾンでは、小型カエルも豊富にいるとは知らなかった。
昆虫コーナーは子供たちに一番人気だったかもしれない。南米の蝶といえば鮮やかなメタリックブルーのイメージがあり、イメージ通りのモルフォチョウの標本は息を呑むほどの美しさ。尤もアマゾンには大型の美しい蝶ばかりではなく地味な種もおり、日本の蝶とさして変わらぬものも展示されていた。
カブトムシやカミキリムシの標本は子供、特に男の子好みだろうが、これまたデカい。日本のカブトムシやカミキリムシと並べて展示されていて、日本の甲虫があまりにも貧相で哀しさを覚えたほど。昆虫ではないがタランチュラの標本もあり、クモ嫌いの来場者ならば目にしたくないものだったはず。
最後は魚類。アマゾンにはカワイルカもいるそうだが、展示されていたのは魚類のみだった。さすがに魚類は豊富だったし、有名なピラニアやピラルクーもあった。アマゾン流域の市場ではこれら魚類も売られ、現地人の食料となっているそうだ。このような説明を見て、是非アマゾンの淡水魚を食べてみたい…と思った方もいるかもしれない。海鮮丼ならぬ河鮮丼やかば焼きにしたら、美味しいのだろうか?
展示されたビラルクーの鱗は来場者が自由に触れたが、1枚だけでもかなりの大きさ。「大きな鱗は靴べらや爪やすりにも使われ」(wiki)るのも納得。間近で見るとピラニアは小型の鯛ほどもあり、思ったよりも大きかった。
ピラニアはアマゾンの獰猛な肉食魚の代名詞となっているが、現地でそれより怖れられているのがカンディルという。カンディルという魚は今回初めて知ったが、外見だけでは恐さを全く感じられない。アンモニア臭に敏感に反応、細い体を潜り込ませ時に人間の肛門や尿道、膣に侵入するというのだから恐すぎる。
約300点の展示品だけで広大なアマゾンには、改めて様々な生き物が存在していることが伺えた。人間の手の及ばぬ大自然は、何処かロマンもあるが、やはり弱肉強食の苛酷な世界なのは確かだろう。
心なしか最近の日本では、探検家に憧れる子供が少なくなったように感じる。気概と度胸を抱き、原始的にちかい道具で大自然に立ち向かった探検家は、過去の話になりつつあるのか。