トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

国盗り物語

2020-06-25 21:40:14 | 音楽、TV、観劇

 何年も前からNHKの看板番組である大河ドラマは見ていないが、かつては毎週日曜日に欠かさず見ていた。小学生の頃に夢中になって見たのは『国盗り物語』。6月21日の「麒麟がくるまでお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル」は『国盗り物語』を取り上げており、以下は番組サイトでの紹介。

明智光秀斎藤道三織田信長など「麒麟(きりん)がくる」で中心をなす武将達がこぞって登場する「国盗り物語」。1973年に放送した司馬遼太郎原作の作品だ。注目は希代の女ったらしとして描かれた“美濃のまむし”こと斎藤道三の成り上がり人生。信長と光秀との緊迫したやりとり、そして本能寺の変だ。
 名場面の数々を紹介するとともに信長を演じた高橋英樹、光秀を演じた近藤正臣深芳野役の三田佳子が当時の秘話を語る。

「麒麟がくる」の代役「国盗り物語」を懐かしむ声「これぞ大河の中の大河という華がある」...」(J-CAST)というニュースサイトにはより詳しい紹介があり、ネットでも多くの意見が寄せられていたらしい。オープニングのメインテーマ曲が素晴らしいという声には禿同と言いたいが、中西龍のナレータも見事だった。これぞ時代劇!という重厚な声だし、今のNHKにこのような声質のアナはいないだろう。
 紹介された名場面を憶えている視聴者も多かったはず。若き日の斎藤道三が深芳野を得ようとして、絵の中の虎の眼を槍で突くシーンは、本当に格好良かった。尤も子供だったためか、絵の虎を突くことになった要因はすっかり忘れていたが、主君の愛妾を盗るため…というのは面白い。オトナにならないと意味は分からないかもしれないが。

 本能寺の変で白装束の信長が奮戦するシーンも忘れ難い。私的には大河ドラマの中では高橋の信長を超える役者はないと思っている。森蘭丸役の中島久之はイケメンでも男らしい風貌で、線の細い女顔のジャニーズ系アイドルが持てはやされる現代とはかなり違う。
 そして印象的なのは正室・濃姫の最後。薙刀で戦い、絶命するのは創作であり、実際は彼女の死没が何時なのかも不明という。それでも子供時代は史実と思っていたし、番組では紹介されなかったが、濃姫の亡骸を見た光秀の「手厚く葬れ!」のシーンは今でも憶えている。

 ドラマでの比叡山焼き討ちは、まるで憶えていない。現代でもこれを以って信長を非難する者は少なくないが、迷信深かったあの時代、よく実行できたものだと驚嘆させられる。番組では武士にすがって命乞いする僧侶が登場したが、本当に情けない。いかに破戒僧の巣窟になっていたにせよ、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の気骨のある僧はいなかったのか?

 数多い登場人物の中では光秀が人気があったようだ。私の一つ年上の従姉もドラマのファンで、近藤正臣の光秀がお気に入りだった。今はすっかり老けたが、当時の近藤はなかなか二枚目でカッコよかった。
 しかし、私はさして好きになれなかった。かといって信長がイイのではなく、私が一番好きだったのは林隆三扮する雑賀孫一。野心むき出しで国盗りに狂奔する主人公たちよりも、自由闊達な生き方をする雑賀孫一の方が好ましかった。当然今回の放送では出番がなかったのは残念。

 国盗り物語の制作は1973年。当時はこれだけ質の高い時代劇が作られていたのだ。撮影技術は格段に進化しているはずの現代だが、国盗り物語を見た世代からすれば、今の麒麟など見るに堪えないと感じている視聴者は少なくないのかもしれない。演出、脚本、役者が劣化している現状では、見ごたえのある時代劇は望めそうもない。

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:文章の書き換え その3 (mugi)
2020-07-12 21:50:58
>スポンジ頭さん、

 光圀の身分や権威が無力な話は、のちの勧善懲悪を見慣れたファンには考えられないですよね。現代からすればリアリズムのある第一部も面白そうです。

 病名を「病人」と抽象的な言葉に置き換えるようでは、文章の流れがちぐはぐになりそうですよね。先ず業病と記してから症状を描く方が文章の流れは自然体なのに、今や「業病」も禁句になってしまったのやら。

「白子の土○」では読者はアルビノと想像しますが、「色の白い黒人」では意味が違ってきますよ。白人とのハーフと誤解する読者もいるかも。
 私は未見ですが、黒人俳優がドリトル先生を演じた映画がありました。原作とはストーリーがかなり違っているそうですが、動物と話せる主人公というのは現代でも魅力的なキャラでしょう。
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文章の書き換え その3 (スポンジ頭)
2020-07-12 00:22:44
>助けを求めた藩士も無念だったことでしょう。

 黄門一行が来るので善人側は希望を持つのですが、結局それが無駄になってしまいました。光圀の身分や権威が無力な話でした。

> 病名を明記せずにハンセン病と分からせるためには、病状を記す必要があります。 

 病状は記しているのですが、以前は病名を記してから登場した際の病状を記していたので、文章の流れが自然です。ところが、今は病名を「病人」と言う言葉に置き換え「既に皮膚が崩れだしていた(記憶モード)」と書き、原因(病名)と結果(症状)の流れではないので文章の据わりが悪いのです。

> ドリトル先生物語でも書き換えられていたのですか!

 世界地図を開いて目をつぶって鉛筆を突き立て、突き立てた地点に行く旅行は昔だと「め○ら旅行」となっていましたが、今は「運まかせの旅行」。「白子の土○」と言う言葉は「色の白い黒人」。旅行の方は意訳とも言えますが、白子の~は意味が違います。こちらはストーリーの背景にも関わるのですが、書き換え前だと登場人物のアフリカの王子が無知と言う話になるので、書き換えたのでしょう。

 しかし、子供のときに読んだドリトル先生は時代背景に古さを感じませんでしたが、海を隔てていたとは言え、先生はフランス革命やナポレオンの時代をリアルタイムで見聞きしていた世代ですから、先生も激動の時代にいたキャラクターだと思いました。
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Re:文章の書き換え その2 (mugi)
2020-07-11 22:22:30
>スポンジ頭さん、

 光圀が無念の思いで涙を浮かべるのは救われますが、先の「黄門一行が来なかった方がまだよかったなあ」の意味がやっと分かりました。助けを求めた藩士も無念だったことでしょう。

 病名を明記せずにハンセン病と分からせるためには、病状を記す必要があります。それもなければ文意が通りにくくなるのは当然でしょうね。「サスケ」でカッタイは何と書き換えられているのか不明ですが、業病さえ現代では相応しくない?

 映画『ベンハー』で主人公の母と妹がハンセン病になりますが、日本語吹き替え版では「レプラ」となっていました。外国の場合は今のところ大丈夫でも、今の吹き替え版はどうなのやら。

 ドリトル先生物語でも書き換えられていたのですか!子供の頃に1度読んだだけなので殆ど忘れていますが、wikiで見たら、米国では人種差別が理由で長く絶版状態が続いていたとありました。その影響で過去の作品として忘れられているのは複雑な思いになります。
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文章の書き換え その2 (スポンジ頭)
2020-07-11 11:03:26
> 悪家老が問題を起こしている藩を見捨てる黄門様という回があるのもスゴイ。

 光圀が無念の思いで涙を浮かべ、「政とは冷たいものじゃ」と言う場面がありますが、統治者として厳しい判断をする光圀は異色です。

> 司馬遼の「関ヶ原」は未読ですが、大谷吉継の病名とはハンセン病ですよね?

 そうです。ただ、ハンセン病とは書かずに病名を記しているのですが、病名がなくなったので文意が通りにくくなったり、家康の罵声も普通レベルになってしまってます。>カッタイ だから、家康の苛立ちと、家康を苛立たせる吉継の奮戦も最初よりインパクトが落ちています。
 英語やフランス語のウィキだと「レプラ」関係の病名になっていますから、外国の場合、そちらの言葉の禁止はされていませんね。
 
 ナルニア国物語もドリトル先生物語も書き換えられており、ドリトル先生ものだと完全に意味が異なってしまっているので、本当に難しいものです。
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Re:文章の書き換え (mugi)
2020-07-10 22:29:43
>スポンジ頭さん、

 悪家老が問題を起こしている藩を見捨てる黄門様という回があるのもスゴイ。第一部ではかなりブラックな話があるのに、勧善懲悪に変わっていったのも不思議です。

 色盲が絡む話に注釈が入ったのは結構でも、「身体的に何らの欠陥も…」では「五体満足」と書き換えたですか。“欠陥”の用語が入るだけで現代ではダメなのは解せません。
 司馬遼の「関ヶ原」は未読ですが、大谷吉継の病名とはハンセン病ですよね?白土三平の劇画「サスケ」ではカッタイと呼ばれていたし、昔のSFにはレプラとあったような……今ではレプラも禁止用語になってしまったのやら。

 銀英伝さえ書き換えされるほどなので、仰る通り戦前の作家は殆どダメでしょう。かえって青空文庫のような電子書籍の方が書き換えなしで読めそうです。こちらに書き換え圧力が及ばないといいのですが、、、
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文章の書き換え (スポンジ頭)
2020-07-09 23:37:21
>黄門一行が現れたために事態が逆に悪化して終わった例もあったこと。

 二派に別れて争う悪家老たちに悩まされる藩の藩士が黄門一行に助けを求めるのですが、登場人物のある一言で光圀がその藩を見捨てる事になります。こちらもこの台詞には「え?」となりました。結局「黄門一行が来なかった方がまだよかったなあ」と言うのがこちらの感想でした。

> 銀英伝の小説版で、文の書き換えや用語の注釈が入りだしているとは初耳です。

 外伝で描かれた、色盲が絡む殺人事件に注釈が入ったそうです。読めばどのような意図で書かれたか分かるはずですが、近頃は非常識な抗議がありますから。
 他、ラインハルトの息子が誕生した際、「身体的に何らの欠陥も見受けられません」と言うのを「五体満足」と書き換えたとか。こちらの方はルドルフもラインハルトも思想が同じ、となるので変えたのだろうと思います。しかし、30年近く何もなかったのを変更するのも時代の流れなのだろうと。

>おそらく他の小説にも起きていると思いますが

 それこそ、司馬遼太郎の「関ヶ原」で、大谷吉継の病名が消滅してしまいました。ですから、文章の意味が通りにくくなったり、家康が関ケ原で奮戦する吉継を罵倒する言葉の酷さも見えなくなってしまいました。元は家康が吉継に苛立ち、彼の病名を絡めて罵るのです。こちらはかなり最近まで隔離問題がありましたから、難しいところですけどね…。

>現代では問題のある言葉や表現でも、注釈をつけてそのまま残してほしいものです。

 書き換えをされたら江戸川乱歩は台無しになります。戦前の作家はほぼ全滅しそうですね。青空文庫は注釈をつけてそのままにして紹介しています。書き換えのあるなしですが、著作権が切れるほどの時間が経過すれば大丈夫なのかも知れません。
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Re:水戸黄門の第一部 その3 (mugi)
2020-07-07 22:38:08
>スポンジ頭さん、

 佐藤慶はあくの強い俳優でしたね。恩知らずな家老役はぴったりですが、人を殺す黄門様の話があったことを知らない人が多いでしょう。
 さらに驚いたのは、最初から正体を知っていて殺害を企む悪人がいたり、黄門一行が現れたために事態が逆に悪化して終わった例もあったこと。それが一転して勧善懲悪とハッピーエンドが定着しましたが、現代ではむしろバッドエンドのストーリーも面白いかも。

 銀英伝の小説版で、文の書き換えや用語の注釈が入りだしているとは初耳です。おそらく他の小説にも起きていると思いますが、このような改ざんは、米国のポリコレのようで不愉快ですよ。現代では問題のある言葉や表現でも、注釈をつけてそのまま残してほしいものです。
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水戸黄門の第一部 その3 (スポンジ頭)
2020-07-06 21:21:45
。 光圀が人を殺す話ですが、光圀の信頼が厚い有能な家老(佐藤慶)が柳沢吉保と通じて光圀を陥れようとするのです。その家老は身分の低い出自だったのを光圀に引き立てられた人物で、実に恩知らずな話です。それでも、黄門様が人を殺すと言うのは想像できない内容です。

>たまに破れかぶれで光圀に襲いかかる悪人が登場していました。

 破れかぶれどころか、最初から正体を知っていて殺害を企むのです。自分の野心に利用しようとするのもいて、全体的に図太いのです。

 それに、黄門一行が現れた結果、事態が逆に悪化して終わった例もあり、黄門一行は決して万能ではないのです。

>1972年に放送されたアニメ「海のトリトン」にも「き○がい」「め○ら」のセリフがありましたが、DVD化された時には音声カットされていました。

 ネットでつい最近見た話によると、銀英伝の小説版も本文の書き換えや用語の注釈が入りだしているとか。30年以上前の話は引っかかるようですね。
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Re:水戸黄門の第一部 その2 (mugi)
2020-07-05 22:02:12
>スポンジ頭さん、

 第一部の第一話、つまり番組のスタートは光圀が政治絡みで人を殺す話でしたか!佐藤慶が出演というだけで凄みがありそうですが、好々爺のイメージの強い東野英治郎の光圀が人を刺し殺すシーンなど想像も出来ませんよね。

 パターン化した水戸黄門では、たまに破れかぶれで光圀に襲いかかる悪人が登場していました。それを助さん格さんや光圀自身が防ぎますが、それでもいったんは印籠にひれ伏すのです。「田舎爺として殺せば万事安泰」という考えの悪人が登場する話はリアリティがありすぎ、娯楽時代劇に相応しくないため消えていったのでしょうか。

 wikiを見たら大岡越前は1970年から始まったそうです。1970年では白○狂人と言う言葉が連発されていても問題はなかった。1972年に放送されたアニメ「海のトリトン」にも「き○がい」「め○ら」のセリフがありましたが、DVD化された時には音声カットされていました。地上波で昔のドラマの再放送が難しいのは、差別用語が使われているからでしょう。
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水戸黄門の第一部 その2 (スポンジ頭)
2020-07-04 22:58:26
 私も水戸黄門の第一部は再放送ですら見た事がありませんでした。全く今の水戸黄門とは違う、とネットで見たので借りたのですが、一般的に思われている内容とはかけ離れていました。第一話は光圀が政治絡みで人を殺す話で、佐藤慶が出演していました。
 大体、助さん格さんが悪人を殺すのはともかく、光国まで人を刺し殺すのですから驚きです。史実に則っていますが、今の水戸黄門ではあり得ない内容です。

 水戸黄門の身分も悪人たちには通用しない事が多く、「田舎爺として殺せば万事安泰」と言う思考で悪人たちは襲いかかってきます。悪人として実にまともな思考です(笑)。政略結婚に悩む姫君を諭す回に悪人は登場しません。

>しかも誠実さ故に悲劇的な結末を迎える話があったとは、ワンパターン化した水戸黄門では考えられないですよね。

 光圀でさえ無力、と言う話ですから。この「光圀でさえ無力」と言う話は他にもあり、実に後味が悪かったです。

>加藤剛の大岡越前もTBSの看板番組でしたが、これにもバッドエンドの話があったのでしょうか?

 それは分かりません。ただ、あまり酷い話は記憶にありません。放送禁止用語なら、ユー○ューブに大岡越前の第一作が一部流れており、白○狂人と言う言葉が連発されていました。あれを地上波では放映できないでしょう。
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Re:水戸黄門の第一部 (mugi)
2020-07-04 21:47:20
>スポンジ頭さん、

 水戸黄門の第一部は未見ですが、印籠で解決するパターンはなくバッドエンドになる話があり、加藤剛が出演していたことは初めて知りました。しかも誠実さ故に悲劇的な結末を迎える話があったとは、ワンパターン化した水戸黄門では考えられないですよね。加藤剛の大岡越前もTBSの看板番組でしたが、これにもバッドエンドの話があったのでしょうか?

 田中邦衛が強盗殺人犯として登場する回も面白そうですね。水戸黄門の第一部を見たくなりましたが、こちらのTS○TAYAには置いてあるのやら。このような回は是非ТV放送してほしいものですが、何故しないのでしょうねぇ。昔の番組だと放送禁止用語があるため?
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水戸黄門の第一部 (スポンジ頭)
2020-07-04 08:14:32
> 仰る通りTBSに限らず、今の民放であのレベルのドラマが制作できるとは思えません。

 TBSの看板番組だった水戸黄門はマンネリ化が進み過ぎで放映されなくなりましたが、以前TS○TAYAで水戸黄門の第一部を借りて見たことがあります。内容も迫力も段違いでした。印籠で解決するパターンはまだ存在せず、事件発生がない回もあるのですが、一番異なるのはバッドエンドになる話がある事でした。そのバッドエンドの話に加藤剛が出演していて、誠実さ故に物事が悪い方に動いて悲劇的な結末を迎えます。黄門一行も不幸な行き違いで悪人に殆ど騙されて利用されかけます。

 水戸黄門で加藤剛が出る話はこれ以外に記憶がないのですが、これ以降の水戸黄門と加藤剛が得意とする役柄が合わないからでしょうか。

 全話見てはいませんが、一番良かったのは田中邦衛が強盗殺人犯として登場する回で、光圀の身分も役立たない中、悪人と対決する筋立ては凝っていました。放映する番組がなければこちらを放映して欲しいのですが、無理ですかねえ。
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Re:大河ドラマ その2 (mugi)
2020-06-28 21:26:58
>スポンジ頭さん、

 視聴率=広告費が重要な民放ならともかく、国営放送が毎回「見てね」ではゲンナリさせられますよね。しかもニュース以外にも韓国に絡んだ情報を入れてくるから不愉快です。

 渡辺謙は「壬生義士伝」に出ていましたか。このドラマも未見ですが、米映画『ラスト・サムライ』は政宗の印象が強かったし、時期も影響していたかもしれません。

 庶民から太閤にまで上り詰めたほどだから、秀吉が英雄なのは理解できます。晩年は殆ど別人格となっていますが、彼が奥州仕置を行ったため、家康も天下統一を確立できたのです。もし秀吉が奥州仕置をしなかったら、家康がやっていたはず。

「関ヶ原」を見た時は子供ではなかったので、家康=狸オヤジと既に知っており、そのためドラマを見ても「こんな悪い奴」とは思いませんでした。豊臣家を滅ぼしたやり方は実に卑劣だし、まさに狸オヤジに相応しい。それでもこれで乱世は終わり、江戸時代の平和を築いた功績は大いに評価されるものだと思います。

 仰る通りTBSに限らず、今の民放であのレベルのドラマが制作できるとは思えません。結局資金に困らないNHKが時代劇をやれるのです。
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大河ドラマ その2 (スポンジ頭)
2020-06-27 23:13:07
>ただ、NHKの宣伝があまりにもうるさいのは興ざめだし、

 NHKに限らずですが、近頃の番宣は露骨ですね。視聴率=広告費の関係もあるのでしょうが、視聴者にはっきり分かるのは興ざめです。

 渡辺謙に関しては政宗の印象が強すぎて一時低迷していたイメージがありますが、昔テレビで放映していた「壬生義士伝」だと、政宗の印象はありませんでした。

>むしろ秀吉の方が人気がなく、奥州仕置が響いている?

 そうですか。場所により人物に対する見方は異なりますから。近頃の秀吉は陰惨な面が知られるようになり、「真田丸」でも「結局豊臣家を自滅させた原因」と言う描かれ方でした。しかし、やはり、出世して日本を支配したイメージもまだ根強いです。個人的には、静岡などに建立されている家康の銅像写真を見ると違和感があります。 

> TBSが制作した「関ヶ原」とは、家康役が森繁久彌でしたよね?

 そうです。私は子供向けの偉人伝などで、家康は最終的に日本の統治者になった偉い人、と言う程度の知識はありました。しかし、このドラマを見て「こんな悪い奴やったんか」状態です(笑)。逆にそれまで単に「関ケ原で負けて殺された人」と言う三成のイメージが、このドラマをベースにしたものに上書きされてしまいました。あまり印象がないところへ名作ドラマが入り込んだのです。

 しかし、今のTBSにこのレベルのドラマができるかどうか疑問です。
 
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Re:大河ドラマ (mugi)
2020-06-27 21:44:57
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 近年の大河ドラマをかなり非難しても、今回の麒麟は褒めていた歴史ブロガーさんもいます。ただ、NHKの宣伝があまりにもうるさいのは興ざめだし、何かと麒麟と絡めて宣伝するので見る気が失せるのです。昭和時代ならこれほどまでの宣伝はなかったですよ。

 国盗り物語当時はマスターテープがまだ高価だったにせよ、上書きされたため作品が現存していないのはとても残念です。この頃は質の良い時代劇が作られていたのに、現存しているのは民間人の八ミリフィルムというのは哀しい。

 渡辺謙も政宗が当たり役になってしまい、大河ドラマで他の役をやっても政宗の延長にしか見えません。当たり役に恵まれると、役者にとってよいことばかりではないかも。

>>私は関西人の端くれとして家康が嫌いなのですが、

 おおむね関西人は家康が嫌いと聞いたことはありますが、やはり本当でしたか!東北では家康は好かれてはいなくとも、特に嫌われてはいません。むしろ秀吉の方が人気がなく、奥州仕置が響いている?
 TBSが制作した「関ヶ原」とは、家康役が森繁久彌でしたよね?私は三成役の加藤剛のファンでしたが、家康は特に悪印象はありませんでした。ドラマを見ながら、三成ってこんなにカッコ良かったの?と思いました(笑)。
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大河ドラマ (スポンジ頭)
2020-06-27 08:50:26
 お早うございます。

 個人的な感想ですが、麒麟は結構盛り返している感があり、戦国時代を舞台にした近頃の大河ドラマでは面白い口だと思います。そう感じる理由としては、その時代を扱った大河ドラマの水準が近年ひどすぎたのもあります。出演俳優が気の毒に思えるレベルの脚本、俳優の技量でその出演場面だけまともになっている作品がありましたから。脚本家が現代と感性の違う時代を尊重する気持ちを持たずに書いているのは困ります。

 国盗り物語は見たことがないのですが、通して見ようと思ってもマスターテープが上書きされて作品が現存していないのですね。半官半民の放送局でもテープの使い回しをする時代だったとは驚きです。

 優れた作品は史実からかけ離れていてもドラマの通りの人物だったと印象付けられるもので、伊達政宗は独眼竜政宗の渡辺謙のイメージで固まっていて、それ以外の俳優が演じていても違和感がありますね。私は関西人の端くれとして家康が嫌いなのですが、それを決定づけたのはTBSが制作した「関ヶ原」がきっかけです。私が子供の頃父が見ていて、偶然画面を目にして途中から見ました。見終わったら家康が大嫌いになっていました(笑)。

 無論、当時の社会通念や、その後の歴史研究の進歩で家康の事情や関ヶ原の戦いに関してもドラマの通りでなかったのは分かりますが、それでも感情に刷り込まれた印象は残っています。ある意味洗脳ですね。このドラマを見ていなければ、家康嫌いはそこまでなかったと思ってます。
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