1972年のミュンヘンオリンピックで、イスラエル選手団11人が、パレスチナ過激派により人質にされた挙句、殺害される事件があった。直ちにイスラエ
ル政府は報復として事件に関連したとされるパレスチナ人を同じく11人抹殺する計画を企てる。このノンフィクションはスピルバーグ最新映画『ミュンヘン』の原作なのだ。
私は'80年代末に『標的は11人』を1度読んだが内容はほとんど忘れてしまった。暗殺チームの1人が女殺し屋に殺害された箇所は何故か憶えている。映画 『ミュンヘン』を見たので改めて読み返してみたが、とても興味深い記録だった。意識不明の重態ながらまだ存命しているシャロン首相は、'70年代初めは陸 軍少将でこのノンフィクションにも登場する。将来首相になるとは、'80年代に予測した者がいたのだろうか。
イスラエルは欧米からの移 民が支配する国なのは、この国に詳しくない方でもご存知だろうが、欧米系ユダヤ人にもさらに出自による階級格差があるのだ。イメージとは裏腹にイスラエル を牛耳っているのは西欧系でなく、東欧系ユダヤ人である。同じイスラエル人でもこの二者はまるで異なる。本から抜粋してみる。
「キブツの主流は東ヨーロッパ系ユダヤ人の「ガリシア人」が占めていた。ガリシアとはポーランド南東部からウクライナ北西部にかけての地域で、排他性、自堕落、自惚れ、狡猾、嘘つきを特性とする下層ユダヤ人の居住地だった。ガリシア人は反面機敏で活力にあふれ、意志が強いことで知られる。しかも素晴らしいユーモア感覚を持ち、勇敢で祖国に献身的である。が、常に付け入る隙に眼を光らせているから油断がならない。概して洗練されたものには関心がなく、平然と嘘をつくし、信念よりも物質に重きを置く。おまけに地縁血縁を軸とした派閥意識が極めて強く、何かというとすぐ手を結びたがり、お互いをかばい合う」
これではポーランドやロシアで度々ポグロム(大量虐殺)が起きた背景も判るような気がする。ガリシア人と酷似した民族が日本にもいるではないか。ユーモア や勇敢さには欠け、日本は当然にせよ、精神上の祖国にも献身的と呼べない姿勢なのは異なるが。ガリシア人は安全で豊かな欧米よりもイスラエルに住んでいる のだから。
一方、西欧系ユダヤ人はイッケーと呼ばれ、西欧社会に吸収された「同化ユダヤ人」を指す。彼らは礼儀正しく万事に几帳面で清潔、 書物を集めクラシック音楽に耳を傾ける。しかも政治的にはイスラエルが北欧三国のような解放社会、独立国家になることを望んでいる。物不足になれば配給制 を主張し、長時間の買物行列に加わることも厭わない。ガリシア人のように裏工作をしたり、不正な手段で物質を入手したりするのを忌み嫌う。ドイツ系ユダヤ 人が圧倒的に多い街などは区画整理が行き届き、ある点で彼らはドイツ人よりずっと“ゲルマン的”だ。
イッケーとかなり似た民族も極東にいる。ユダヤにも礼節を重んじる人々がいたとは意外だった。
キブツでは東欧系ユダヤ人、特にポーランド、ロシア系ユダヤ人を徹底的に面倒をみる流儀だった。最高の働き口やチャンスは全て彼らの手に渡るよう仕組ま れ、キブツの主導権をがっちり握っているのはガリシア人だった。例えば誰かの息子が有名医学校に進むかという問題になると、学力、能力は無視された。建前 は民主的に運営され、総会にかけて全員が投票して進学者を決めても、常に当選するのはガリシア人の子弟だった。
キブツばかりでなくイスラエル社 会全体がガリシア人の優位がついて回る。ドイツ系、オランダ系、アメリカ系ユダヤ人の出る幕もないほどで、オリエント系に至ってはガリシア人の助けがない 限り手も足も出ない始末。同じイスラエル人でも'80年代までは、欧米系とオリエント系ユダヤ人の結婚さえ禁じていたのだ!
モサドの諜報活動ではむしろ西欧系が喜ばれた。粗野ですぐユダヤとわかるガリシア人と違い、イッケーはすぐ西欧社会に溶け込むからだ。パレスチナ人暗殺班のリーダー・アフナー(映画ではアヴナーとなっていた)はドイツ系イッケーであり、さらにサブラだった。サブラとは生粋のイスラエル生まれを指し、階級社会のこの国では貴種扱いなのだ。
映画を見た後、以前読んだ原作と異なる印象が強かったので読み返したが、やはりスピルバーグ流の様々な色付けがあった。特に違うのは仲間が女殺し屋に殺害 され復讐に行く際、爆薬係は「俺たちは高潔な民族のはずだ。その魂を忘れるなんて」と異議を唱えるが、原作では一言も反対していない。アフナー以下女を殺 害して後悔の念などなく、「(女の遺体に)服をかけるべきだった」は脚色だった。
著者のジョージ・ジョナスは1935年ハンガリーに生まれたユダヤ人で、20歳の時カナダに移住する。日本題は『標的は11人』だが、原題はVENGEANCE、ずばり仇討ち、報復だ。モサド工作員にも出来損じはいるが、パレスチナ組織も内ゲバが凄まじかったそうだ。
◆関連記事:「ミュンヘン」
よろしかったら、クリックお願いします。
私は'80年代末に『標的は11人』を1度読んだが内容はほとんど忘れてしまった。暗殺チームの1人が女殺し屋に殺害された箇所は何故か憶えている。映画 『ミュンヘン』を見たので改めて読み返してみたが、とても興味深い記録だった。意識不明の重態ながらまだ存命しているシャロン首相は、'70年代初めは陸 軍少将でこのノンフィクションにも登場する。将来首相になるとは、'80年代に予測した者がいたのだろうか。
イスラエルは欧米からの移 民が支配する国なのは、この国に詳しくない方でもご存知だろうが、欧米系ユダヤ人にもさらに出自による階級格差があるのだ。イメージとは裏腹にイスラエル を牛耳っているのは西欧系でなく、東欧系ユダヤ人である。同じイスラエル人でもこの二者はまるで異なる。本から抜粋してみる。
「キブツの主流は東ヨーロッパ系ユダヤ人の「ガリシア人」が占めていた。ガリシアとはポーランド南東部からウクライナ北西部にかけての地域で、排他性、自堕落、自惚れ、狡猾、嘘つきを特性とする下層ユダヤ人の居住地だった。ガリシア人は反面機敏で活力にあふれ、意志が強いことで知られる。しかも素晴らしいユーモア感覚を持ち、勇敢で祖国に献身的である。が、常に付け入る隙に眼を光らせているから油断がならない。概して洗練されたものには関心がなく、平然と嘘をつくし、信念よりも物質に重きを置く。おまけに地縁血縁を軸とした派閥意識が極めて強く、何かというとすぐ手を結びたがり、お互いをかばい合う」
これではポーランドやロシアで度々ポグロム(大量虐殺)が起きた背景も判るような気がする。ガリシア人と酷似した民族が日本にもいるではないか。ユーモア や勇敢さには欠け、日本は当然にせよ、精神上の祖国にも献身的と呼べない姿勢なのは異なるが。ガリシア人は安全で豊かな欧米よりもイスラエルに住んでいる のだから。
一方、西欧系ユダヤ人はイッケーと呼ばれ、西欧社会に吸収された「同化ユダヤ人」を指す。彼らは礼儀正しく万事に几帳面で清潔、 書物を集めクラシック音楽に耳を傾ける。しかも政治的にはイスラエルが北欧三国のような解放社会、独立国家になることを望んでいる。物不足になれば配給制 を主張し、長時間の買物行列に加わることも厭わない。ガリシア人のように裏工作をしたり、不正な手段で物質を入手したりするのを忌み嫌う。ドイツ系ユダヤ 人が圧倒的に多い街などは区画整理が行き届き、ある点で彼らはドイツ人よりずっと“ゲルマン的”だ。
イッケーとかなり似た民族も極東にいる。ユダヤにも礼節を重んじる人々がいたとは意外だった。
キブツでは東欧系ユダヤ人、特にポーランド、ロシア系ユダヤ人を徹底的に面倒をみる流儀だった。最高の働き口やチャンスは全て彼らの手に渡るよう仕組ま れ、キブツの主導権をがっちり握っているのはガリシア人だった。例えば誰かの息子が有名医学校に進むかという問題になると、学力、能力は無視された。建前 は民主的に運営され、総会にかけて全員が投票して進学者を決めても、常に当選するのはガリシア人の子弟だった。
キブツばかりでなくイスラエル社 会全体がガリシア人の優位がついて回る。ドイツ系、オランダ系、アメリカ系ユダヤ人の出る幕もないほどで、オリエント系に至ってはガリシア人の助けがない 限り手も足も出ない始末。同じイスラエル人でも'80年代までは、欧米系とオリエント系ユダヤ人の結婚さえ禁じていたのだ!
モサドの諜報活動ではむしろ西欧系が喜ばれた。粗野ですぐユダヤとわかるガリシア人と違い、イッケーはすぐ西欧社会に溶け込むからだ。パレスチナ人暗殺班のリーダー・アフナー(映画ではアヴナーとなっていた)はドイツ系イッケーであり、さらにサブラだった。サブラとは生粋のイスラエル生まれを指し、階級社会のこの国では貴種扱いなのだ。
映画を見た後、以前読んだ原作と異なる印象が強かったので読み返したが、やはりスピルバーグ流の様々な色付けがあった。特に違うのは仲間が女殺し屋に殺害 され復讐に行く際、爆薬係は「俺たちは高潔な民族のはずだ。その魂を忘れるなんて」と異議を唱えるが、原作では一言も反対していない。アフナー以下女を殺 害して後悔の念などなく、「(女の遺体に)服をかけるべきだった」は脚色だった。
著者のジョージ・ジョナスは1935年ハンガリーに生まれたユダヤ人で、20歳の時カナダに移住する。日本題は『標的は11人』だが、原題はVENGEANCE、ずばり仇討ち、報復だ。モサド工作員にも出来損じはいるが、パレスチナ組織も内ゲバが凄まじかったそうだ。
◆関連記事:「ミュンヘン」
よろしかったら、クリックお願いします。
