学生時代、スウェーデンの警察小説『マルティン・ベック』
シリーズが好きで読み漁った。この小説はマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー夫婦作家の作品で、'60年代半ばから一年一作のペースで書かれており、
角川文庫から全十巻出版された。『バルコニーの男』は第3巻目で、シリーズで私が初めて読んだ小説だ。高度福祉とフリーセックスの国の印象が強い国の、意
外な側面も見えてくる。
題の通り、ストックホルム(首都)に日がな一日バルコニーにたたずむ中年男がいた。身体障害者ではないが、「広 場恐怖症」と認定され働かず、精神障害者支給金で暮らしている。一日中バルコニーで通りを眺めているだけならまだしも、実はこの男、連続幼女殺人鬼だった のだ。公園で幼女を狙い殺害する。彼は幼女に声をかけても警戒されないコツも身に付けているのだ。犯罪は後になるほど残酷度を増すとされるが、この男も最 後の犯行では凶器のハンマーを現場に残す。幼女の遺体の股に柄を押し込むかたちで。
この小説が書かれたのは1967年だが、宮崎勤事件といい、現代の日本でこの種の犯罪者は珍しくもなくなったから、性犯罪でもスウェーデンは先進国だった。
警察小説といえ、主人公のマルティン・ベックは初めは警部、のち警視になるし、同僚も警部が多いので一般のお巡りさんや刑事よりも格上だ。抜群の頭の切れ と体力を誇るヒーローなどではなく、家庭不和と胃痛に悩む疲れた中年男なのがよい。ワンマンに程遠く地味な性格ながら、体力でもずっと優る同僚や部下にも 一目置かれる存在。むしろベックより、彼を取り巻く脇役、特にダメ警官の方が生き生きと描かれているように思えた。仕事をサボりたいがために、出来るだけ 事件を見ないようにする警官コンビもいるが、パトロール中の彼らの一人の話題は女房へのグチばかりなのは笑えた。
欧州の日本と言われるくらいスウェーデン人は礼儀正しいようだ。ベックが今時の若い警官が先輩に挨拶をしないのを不快に感じているし、「お年寄りにぶつかっても謝りもしないストックホルム人種」との表現もあった。
小説からスウェーデン人はドイツにさほど悪い感情は抱いてないように思われる。戦争中侵略されなかったこともあるだろうが、ナチという言葉は重いものでも ないらしい。警察官は週に何度もナチ野郎と呼ばれるそうだが、憎悪より揶揄に近い感じを受けた。ベックが飛行機で移動中、隣に尊大な口を利くイギリス人が 座り閉口するが、イギリス人が下りた後ドイツ人が乗って安心した、という場面もある。
小説に描かれるスウェーデン社会は下手なガイド本 より余程ためになる。陸続きの国ゆえ車の盗難は当り前、外国人問題も出てくる。外国人を刺した長髪の若者は、当時その言葉はなかったもののネオナチなのは 明らかだ。中東に少女を売り飛ばす犯罪集団に言及したところもあった。日本の中学生くらいの少女がヌードスナップをベックに売りつけようとする箇所がある が、麻薬ほしさのためだった。この本を読んだ時は唖然とさせられたが、その後日本でも援助交際が起きるようになる。
スウェーデンは高福 祉の国で有名だが、その問題も小説に出てくる。確か9作目の『警官殺し』だと思うが、何が福祉国家だと祖国をボロクソ罵っている生粋のスウェーデン男が出 てくる。暴力亭主で妻に逃げられ、仕事もうまくいかない男だったが、己の不甲斐なさを周囲や国のせいにするのは、最近の日本人にもいるではないか?社会が 息苦しいと言うなら、アフリカにでも行けばよいものを。
このシリーズは'75年で完結しているが、その後のスウェーデンは福祉政策を大きく転換することになる。かつてスウェーデンの福祉をもてはやしていた日本の左派活動家たちは、かの国の問題点は見えなかったのだろうか。
よろしかったら、クリックお願いします。
題の通り、ストックホルム(首都)に日がな一日バルコニーにたたずむ中年男がいた。身体障害者ではないが、「広 場恐怖症」と認定され働かず、精神障害者支給金で暮らしている。一日中バルコニーで通りを眺めているだけならまだしも、実はこの男、連続幼女殺人鬼だった のだ。公園で幼女を狙い殺害する。彼は幼女に声をかけても警戒されないコツも身に付けているのだ。犯罪は後になるほど残酷度を増すとされるが、この男も最 後の犯行では凶器のハンマーを現場に残す。幼女の遺体の股に柄を押し込むかたちで。
この小説が書かれたのは1967年だが、宮崎勤事件といい、現代の日本でこの種の犯罪者は珍しくもなくなったから、性犯罪でもスウェーデンは先進国だった。
警察小説といえ、主人公のマルティン・ベックは初めは警部、のち警視になるし、同僚も警部が多いので一般のお巡りさんや刑事よりも格上だ。抜群の頭の切れ と体力を誇るヒーローなどではなく、家庭不和と胃痛に悩む疲れた中年男なのがよい。ワンマンに程遠く地味な性格ながら、体力でもずっと優る同僚や部下にも 一目置かれる存在。むしろベックより、彼を取り巻く脇役、特にダメ警官の方が生き生きと描かれているように思えた。仕事をサボりたいがために、出来るだけ 事件を見ないようにする警官コンビもいるが、パトロール中の彼らの一人の話題は女房へのグチばかりなのは笑えた。
欧州の日本と言われるくらいスウェーデン人は礼儀正しいようだ。ベックが今時の若い警官が先輩に挨拶をしないのを不快に感じているし、「お年寄りにぶつかっても謝りもしないストックホルム人種」との表現もあった。
小説からスウェーデン人はドイツにさほど悪い感情は抱いてないように思われる。戦争中侵略されなかったこともあるだろうが、ナチという言葉は重いものでも ないらしい。警察官は週に何度もナチ野郎と呼ばれるそうだが、憎悪より揶揄に近い感じを受けた。ベックが飛行機で移動中、隣に尊大な口を利くイギリス人が 座り閉口するが、イギリス人が下りた後ドイツ人が乗って安心した、という場面もある。
小説に描かれるスウェーデン社会は下手なガイド本 より余程ためになる。陸続きの国ゆえ車の盗難は当り前、外国人問題も出てくる。外国人を刺した長髪の若者は、当時その言葉はなかったもののネオナチなのは 明らかだ。中東に少女を売り飛ばす犯罪集団に言及したところもあった。日本の中学生くらいの少女がヌードスナップをベックに売りつけようとする箇所がある が、麻薬ほしさのためだった。この本を読んだ時は唖然とさせられたが、その後日本でも援助交際が起きるようになる。
スウェーデンは高福 祉の国で有名だが、その問題も小説に出てくる。確か9作目の『警官殺し』だと思うが、何が福祉国家だと祖国をボロクソ罵っている生粋のスウェーデン男が出 てくる。暴力亭主で妻に逃げられ、仕事もうまくいかない男だったが、己の不甲斐なさを周囲や国のせいにするのは、最近の日本人にもいるではないか?社会が 息苦しいと言うなら、アフリカにでも行けばよいものを。
このシリーズは'75年で完結しているが、その後のスウェーデンは福祉政策を大きく転換することになる。かつてスウェーデンの福祉をもてはやしていた日本の左派活動家たちは、かの国の問題点は見えなかったのだろうか。
よろしかったら、クリックお願いします。

人は、よく色眼鏡で人や物事を見てしまいますし、現実においてもそうですね。人はイメージで、というコメントを、以前、いたしましたが、嘘であっても信じたい現実を信じ、事実であっても信じたくなければ嘘と思うものですね。病的な大陸・半島人程でなくても、我々日本人もそうですし、同じ島国根性の英国人、米国人、独逸人もそうでしょう。只、信じたくない事実を受け入れることができる、ということにおいては一概ではないですね。
無知は罪だといいますが、本当に大罪だと思います。反日TVの筑○氏の番組では、ナ○ムの家という自称、従○慰安○の嘘吐きババ○の話で洗脳していますね。そして、ピー○・ロー○という気○い・差○とも繋がっていますね。伏字ばかり申し訳ないですが、これをまともと思っていた、無知な以前の私を恥ずかしく思います。
結局、サ○クの方(以前の自分も含めて)は、理想はいえども、現実は理解できない。例え、映画や物語の中では主人公はルール違反をしても、その主張を曲げないことが美学ですが、実際、そういうものが同じ組織にいたら嫌でしょうね。それよりも、現実の世界では、賛成、反対もまとめあげる調整能力の方が、よっぽど重要視されるでしょうね(物語的にはつまらないでしょうけどね)。
誰かが仰っていましたが、英雄を求める世界は不幸だと。私も同意見ですが、日本は、まだその世界ではないでしょうね。今が、そうでないから安全とは必ずしもそうはいえないとしても、お近くの某半島や大陸国家は?全体主義で、首長の血縁による相続の違いはあれども、特権階級の血縁による相続は同じです。
日本が嫌いな人は戦前の日本を貶しますが、某半島や大陸国家は戦前以前の江戸時代か、それ以前(それ以下かもしれません)であることを非難しません。それはどうしてでしょう?
まぁ、某半島や大陸国家の人のいうように、日本人も歴史を学ぶべきだと思います。ただ、自○的でなく、事実は事実と知り、根拠のない要求には反論できる知識を学ぶべきだと思います。
人は色眼鏡で見て、損をしても個人の責任です。が、人を育てる立場の人間が、眼鏡で世界や物事を見るようにさせる。その罪は、個人の責任以上であると思います。
(まぁ、昔から、他人に責任を追求する人間程、無責任ですね。私も、その例に外れないと思います。)
『ローマ人の物語』にあったカエサルの名言です。
「人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう」
「人間ならば誰にでも、全てが見える訳ではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない」
私もネットをする前は筑○氏の番組の多事争論を結構見てましたが、今では見なくなりました。あのドーランべったりの顔を見ただけで気分が悪くなります。私は彼方以上に無知でしたから、あの類を知的なキャスターと感じていた自分が恥ずかしいです。
「無知とは受動的な態度ではない。知らないでいることを自ら選んでいるのだ。無知は全ての衝突のもとだ」(D.ワレンボイム氏、イスラエルでワグナーを演奏したユダヤ人指揮者)
生粋の日本人だろうが在日だろうが、日本が気に食わないなら出て行けばよいだけの話です。ただ、うたうだ日本の悪口を並べる者に限り、親元から離れられない過保護の子供みたいに日本に居座ってる。日本を離れる気概も技術もない甘ったれの管巻きに過ぎません。
この手合いはいくら日本の歴史的根拠を提示したところで、必ずマイナス面ばかり指摘、糾弾するのがおちでしょう。
歴史をより客観的に学ぶのはまず自国の歴史から始めて、次に世界史を調べるのがいいでしょう。ネルーも娘宛に書いた世界史で「ある一つの国または特定の地域だけでなく、他の世界と比較する事によって初めて自国の歴史が理解できる」と言ってます。