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共生へ手を差し伸べて

2006-04-03 21:06:28 | 世相(日本)
 先月27日の河北新報に、東京外国人支援ネットワーク代表の杉沢経子さんの寄稿が載った。中央に共生”へ手差し伸べて」、脇に「日常的差別、異文化トラブル」という見出しが付いていた。その一部を紹介したい。

―「九州から飛行機で来ました」。都内で開催された外国人を対象にした相談会に、一人の女性が訪ねて来た。どうしてそんなに遠くから来たのか聞くと、日本 人の夫との仲や周囲の人間関係の悩みを打ち明けた上で、「こんなことを相談したことが周りの人に知られたら、私は生活できなくなります」との答えが返って きた…
 相談の多くは在留資格の他、労働災害、給与の不払いといった労働問題、結婚や離婚などの法律に関るものだが、最近は「心の問題」が増えている…相談会では精神科医を指名してくる外国人もいる…こうした精神障害を引き起こす要因の一つとして、外国人が異なる文化の中で暮らすことで生じる「異文化ストレス」があると専門医は指摘する。

  アパートの入居を拒否されたネパール人、肌が浅黒いからとレストランでのアルバイトを断られた東南アジアからの留学生、小学校の時に「外国人は早く国に帰 れ」といじめられて傷付いたというミャンマー人。これまでに受けた相談の中から、日本人が外国人を差別しているという意識のないままに、日常的に差別をしている実態が浮かび上がってくる。
 冒頭の女性は日本語で充分意思疎通が出来るほど日本の生活には慣れているようだったが、身近な人に相談できない「何か」を感じていたのだろう…

 外国人が日本の社会に入ってくるという国際化は、今後ますます進んでいくだろう。そうした流れの中で私たち日本人は、こうした異文化の人々と「共生」出来る社会をどのように構築すればいいのだろうか。それにはまず隣人として、一人の人間として異文化の人々に手を差し伸べることから始めたい。


 つくづく思うのは外国人支援団体の主張はどれも同じようなパターンであり、必ず挿入される言葉は“日常的に差別”“国際化”“共生”の3点セットだ。日本社会の画一性を批判する連中の、いつもながらの変わり映えのしない画一的主張の繰り返し。
  冒頭の九州から飛行機で東京まで相談に来た女の例は呆れる。豪勢なプチ家出と見なされても文句は言えまい。おそらく東京見物がてら、のうのうと飛行機で帰 るのだろう。また「異文化ストレス」なる言葉もあるとは唖然とさせられた。日本では精神障害者がかなり優遇されているのを外国人は知っているのだ。すでに 精神疾患の詐病で支援金を受け取る者すらいるかもしれない。その類は確かに病気だ。「移住先依存症」とでも呼ぶべきか。平たく言えば、甘えとたかり。

  もちろん日本で来日外国人に対する差別や偏見は存在する。だが、差別のない国など地球上皆無なのだ。それより来日外国人と結婚して、トラブルや「心の問 題」を抱えている日本人が少なからずいるのは案外知られていない。滞在許可証目当てに日本人と結婚し、来日したとたん蒸発する者、やはり結婚したものの、 後から次々と配偶者の親族が来日して、彼らのために相当な資金を要求された人、結婚詐欺、暴力…日本人もまた被害に遭い、差別されているのだ!だが、外国 人と関りのある日本人を支援する団体は皆無ではないか。

 これまで外国人支援団体が果たした功績は、外国人犯罪者への闇雲の弁護、国際化の名の多額の税金の投入、日本社会への貢献より依存者の増加数などが挙げられる。つまり、相互理解に何の力もなかった欧州の人権団体と同じだ。

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