トーキング・マイノリティ

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ローマ誕生―やはり一日にしてならず

2006-03-18 20:57:14 | 読書/欧米史
 ローマを建国したのはロムルスであり、紀元前753年4月のこととされている。もちろんこれは伝説であり、ローマ人が信じていた“神話”に当たる。その背景を『ローマ人の物語Ⅰ』の著者・塩野七生 氏はこう記している。
「い ずれの民族も伝承なり伝説なりを持っている。自分たちのルーツをはっきりさせたいという要求は、人間にとってはごく自然な願望なのだろう。科学的に解明す るのはほとんど不可能といってもよい難事だが、人々はそのようなことは求めていない。彼らを納得させる程度の論理性と、彼らの精神を高揚させるロマンがあ ればよい。ローマ人にとってのそれは、トロイの落城にまつわる一エピソードであった」

 ギリシア軍により落城したトロイか ら、王の婿であるアイネイアスは家族と僅かな人々を引き連れ脱出に成功する。それは彼が美と愛の女神ヴィーナスと人間の男との間に生まれた子であったから だ。アイネイアスら一行は何席かの船に分乗して炎上するトロイを後にし、地中海を遍歴して神々の導くままにイタリア半島西岸を北上する。後のローマ近くの 地の王が彼に惚れこみ娘婿にしたので、やっと定住し難民生活を終える。古代ローマ最高の詩人ヴェルギリウスの叙事詩『アエネイス(アイネイアスの物語の意)』の世界だ。
 アイネイアスの死後は落人暮しを共にした息子が王位を継ぐが、30年の治世の後にその地を去りアルバロンガと名付けた新しい街を建設する。この都市がローマの母体とされる。

  これよりロムルスによるローマ建国までの長い期間は、ローマ人自らが相当に無理して作り上げたようだ。ローマは紀元前753年にロムルスにより建国され、 ロムルスはアイネイアスの子孫だと昔からローマ人は信じていた。だが、ギリシアと交渉し始めるようになると、ギリシア人はローマ人にトロイの陥落は紀元前 13世紀頃の出来事であると告げる。ローマ人は4百年の空白を埋める必要に迫られるが、あまり困らなかった。伝承伝説の世界では合理的であるよりも、荒唐無稽であった方が喜ばれる。適度に4百年を消化して、伝説は一人の王女の登場を迎える。ロムルスの母だ。

 アルバロンガ王女は父の死後王位を狙った伯父により、処女のままで神に仕える巫女にされていた。しかし、神事の合間に川のほとりでまどろんでした王女に軍神マルスが一目ぼれ、天から降りてきたマルスは王女と愛を交わす。塩野氏の表現では「王女が目覚めないうちにことが成ったというのだから、こういうのを神業と呼ぶのだろう」。これで生まれた双子ロムルスとレムスはマルスの子となる訳だ。
  これを知り伯父の王は激怒、王女を幽閉し双子を籠に入れテヴェレ河に流す。赤ん坊の入った籠は河口近くまで流れ河岸の繁みに引っかかってとまった。付近に いた狼が赤子の鳴き声に気付き、乳を飲ませる。しばらくは狼が面倒を見たが、幼児たちを見つけ人間のもとに連れ帰って育てたのは羊飼いだった。

  ロムルスとレムスの兄弟は長じてこの辺の羊飼いのボスとなる。彼らと抗争を重ねながら勢力圏を広げ、自分たちの出生の秘密も知った。配下の羊飼いを引き連 れ兄弟はアルバロンガに攻め込む。戦いに勝利し王を殺すが、母は既に牢生活で死亡していた。だが、兄弟はこの地に留まらず、生まれ育ったテヴェレ下流に新 しく都市を建設する。これが後のローマとなる。
 共同の敵を倒した後、兄弟は不仲となった。しばらくは分割統治していたが、境界線を示すためにロムルスが掘った溝をレムスが飛び越えたため、権利侵害として兄は弟を殺す。建設者ロムルスの名をとって、ローマはこうして誕生した。

 ローマ初代の王となったロムルスだが、政体確立後やったことは花嫁略奪だった。暴力に訴えてまで周辺民族から女を補充しなければならなかった男たちの素性を、塩野氏はこう解釈している。
「ロ ムルスも配下の男たちも、それぞれの部族のはみ出し者ではなかったかと思われる。部族の移住ならば妻子を伴うのが普通だからだ。ただしこれでは後の偉大な るローマ建国譚としてはどうにもお粗末で、何よりも子孫たちの気分が高揚しない。それで美と愛の女神ヴィーナスの息子でトロイの勇将でもあるアイネイアス の遍歴譚が考え出され、それとロムルスが結び付けられたのではないだろうか」
 続けて塩野氏は神話や伝承について記す。
「神話や伝承の価値はそれが事実か否かよりも、どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある。ローマ人はずっと自分たちはトロイの勇者の末裔と信じてきたし、ギリシア人でさえもそう思っていたのだった」

 おとぎ話と一蹴するなら聖書にしても同じだ。だから日本人も日本神話を貶めたがる左派系学者の説に怯むことは全くない。これらの神話を攻撃していた者たちが、唯物史観論という愚にもつかない“神話”に取り付かれていたのだから。
 ドイツ在住のシリア人作家ラフィク・シャミの小説『ミラード』で、主人公は「モーゼやイエス、ムハンマドが雲をつかむ話をしなかったら、預言者になれたかどうか疑わしい」と言っていた。

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2 コメント

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seigo_I@yahoo.co.jp (タツ)
2006-04-18 21:49:04
コメントいただきまして、ありがとうございました。



奇しくも、今国分町の某ホテルで、このコメントを書いています。



カエサルはガリア戦記をよんでも、一流の言葉の使い手であり、洞察者であり、行動者だったのだなと感じます。



丁寧に作られたブログですね。



今後ともよろしくお願いします。



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コメント&TBをありがとうございます (mugi)
2006-04-19 22:00:35
初めまして、タツさん

コメント&TBをありがとうございました。



国分町ですか。かつて国分町は東北のシカゴと呼ばれた福島県いわき市より平和な歓楽街でしたが、最近は外国系の飲み屋も増え物騒になりました。



ガリア戦記は私はまだ味読ですが、優れた英雄は文章をものしても見事な作品を残しますね。。



こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。クリック投票をありがとうございました。

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