その①の続き
インドには様々なカーストがあるが、強盗カーストの悲劇を描いた作品が『アクライの池』。バグディというカーストは男は強盗殺人をし、女は死体を隠すのだ。あるバグディの男が霧の深い夜、誤って自分の最愛の息子を獲物と思い込み殺害する。夫を愛している息子の嫁は舅を告訴する。被告人となったバグディの男は裁判所でこう話す。
「裁判長様、私どものカーストはバグディです。私どもはかつてはナワーブ(ムスリムの太守)の軍隊で仕事をしておりました。今でも我々の誇りとするところは、この棒による戦いっぷりと胸の厚さです。東インド会社の時代になってから私たちの軍隊としての仕事はなくなり、この有様になりました。私どもは畑仕事を嫌っております。 土と一緒に働いていたら、人間も土のようになってしまいます。土なんぞ女のようなものです。けど会社や警察の目が厳しく、骨のある旦那は一人、また一人と いなくなってしまいました。何とか残った旦那がたもその角を折ってすっかりよい子になってしまいました。今やあの人たちの家で働くとしたら、低いカースト の仕事をしなきゃなりません。便所に水は運ばなきゃならん、頭に荷物を載せて運ばなきゃならん、靴を揃えたりもしなきゃならんのです。それで我々はこの道 を選びました。もう四代に渡ってこの仕事をしてきたことになります」
バグディは表向きはジョミダル(またはザミンダール、地主)のお抱えとなっているが、夜な夜な強盗を繰り返していた。獲物を待つ間酒をすすり、人を見かけると棒を使って倒し、首の骨を折る。
「ど れだけの人間を殺したか、数は分かりません。その瞬間は何も耳に入ってこないんです。・・・慣れてしまえば何でも出来るんです。・・・けれど私はいつかこ ういうことが起こると分かっていました。私の父が言っていたものです。我々の家系は続くまい。絶えなきゃならんのさ、と」
いかに英国支配で社会が激変したといえ、強盗カーストがでるのはインドらしい。しかも、父から子に強盗方伝授もするから呆れる。息子を殺害した男に裁判長はこう判決を下す。
「こ の場合、極刑こそが原則である。しかし私が固く信じるところでは、この世界の目に見えざる演出者が既にその罰を自ら被告に科したのである。よってこのケー スにおいては、最高刑を一段減ずることとする。私は神の名のもとに裁判官の席に座っている以上、神の仮借ない決定に従わない訳にはゆかないものである。終 身追放刑がこの被告には科せられる」
いかに物語にせよ、日本人には腑に落ちない判決だ。因果応酬が色濃いのはインドゆえ か。仏教と共に棒術は日本に伝えられたとされる。武器を持てない仏教僧の護身だったが、ルーツもまた天竺だろう。ハードボイルド小説『峠に棲む鬼』のヒロ インは杖術で強大な敵に立ち向かっていた。
ベンガル地方のボイシュノブを描いた作品が『花輪』。 ボイシュノブまたはヴァイシュナヴァと呼ばれるのは中世ベンガルに起こった抒情詩人たちの一派を指す。ヒンドゥーのヴィシュヌ派、特にクリシュナ信仰をす る人々で、神への親愛を謳う吟遊詩人も多いのは、さすが大詩人タゴールを生んだ土地だ。タラションコルの本で初めて彼らの存在を知ったが。主人公の美しい ボイシュノブの女性が、もう一人若い妻を娶ろうとする夫の元を去る最後は物悲しくも誇り高い。
著者タラションコル・ボンドパッタエは1897 年、現代のインド西ベンガル州に生まれる。彼はジョミダルの家に生まれたが、ごく小さなジョミダルで父が8歳の時亡くなったので、小説のような栄華を誇っ た暮しをしていたのではない。それでもジョミダルを主人公とする小説を多く書いており、作風が保守的と批判される事もあった。彼は1971年に他界するま で精力的に創作活動を続け、現代もベンガルで最も読まれている作家の一人だそうだ。
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インドには様々なカーストがあるが、強盗カーストの悲劇を描いた作品が『アクライの池』。バグディというカーストは男は強盗殺人をし、女は死体を隠すのだ。あるバグディの男が霧の深い夜、誤って自分の最愛の息子を獲物と思い込み殺害する。夫を愛している息子の嫁は舅を告訴する。被告人となったバグディの男は裁判所でこう話す。
「裁判長様、私どものカーストはバグディです。私どもはかつてはナワーブ(ムスリムの太守)の軍隊で仕事をしておりました。今でも我々の誇りとするところは、この棒による戦いっぷりと胸の厚さです。東インド会社の時代になってから私たちの軍隊としての仕事はなくなり、この有様になりました。私どもは畑仕事を嫌っております。 土と一緒に働いていたら、人間も土のようになってしまいます。土なんぞ女のようなものです。けど会社や警察の目が厳しく、骨のある旦那は一人、また一人と いなくなってしまいました。何とか残った旦那がたもその角を折ってすっかりよい子になってしまいました。今やあの人たちの家で働くとしたら、低いカースト の仕事をしなきゃなりません。便所に水は運ばなきゃならん、頭に荷物を載せて運ばなきゃならん、靴を揃えたりもしなきゃならんのです。それで我々はこの道 を選びました。もう四代に渡ってこの仕事をしてきたことになります」
バグディは表向きはジョミダル(またはザミンダール、地主)のお抱えとなっているが、夜な夜な強盗を繰り返していた。獲物を待つ間酒をすすり、人を見かけると棒を使って倒し、首の骨を折る。
「ど れだけの人間を殺したか、数は分かりません。その瞬間は何も耳に入ってこないんです。・・・慣れてしまえば何でも出来るんです。・・・けれど私はいつかこ ういうことが起こると分かっていました。私の父が言っていたものです。我々の家系は続くまい。絶えなきゃならんのさ、と」
いかに英国支配で社会が激変したといえ、強盗カーストがでるのはインドらしい。しかも、父から子に強盗方伝授もするから呆れる。息子を殺害した男に裁判長はこう判決を下す。
「こ の場合、極刑こそが原則である。しかし私が固く信じるところでは、この世界の目に見えざる演出者が既にその罰を自ら被告に科したのである。よってこのケー スにおいては、最高刑を一段減ずることとする。私は神の名のもとに裁判官の席に座っている以上、神の仮借ない決定に従わない訳にはゆかないものである。終 身追放刑がこの被告には科せられる」
いかに物語にせよ、日本人には腑に落ちない判決だ。因果応酬が色濃いのはインドゆえ か。仏教と共に棒術は日本に伝えられたとされる。武器を持てない仏教僧の護身だったが、ルーツもまた天竺だろう。ハードボイルド小説『峠に棲む鬼』のヒロ インは杖術で強大な敵に立ち向かっていた。
ベンガル地方のボイシュノブを描いた作品が『花輪』。 ボイシュノブまたはヴァイシュナヴァと呼ばれるのは中世ベンガルに起こった抒情詩人たちの一派を指す。ヒンドゥーのヴィシュヌ派、特にクリシュナ信仰をす る人々で、神への親愛を謳う吟遊詩人も多いのは、さすが大詩人タゴールを生んだ土地だ。タラションコルの本で初めて彼らの存在を知ったが。主人公の美しい ボイシュノブの女性が、もう一人若い妻を娶ろうとする夫の元を去る最後は物悲しくも誇り高い。
著者タラションコル・ボンドパッタエは1897 年、現代のインド西ベンガル州に生まれる。彼はジョミダルの家に生まれたが、ごく小さなジョミダルで父が8歳の時亡くなったので、小説のような栄華を誇っ た暮しをしていたのではない。それでもジョミダルを主人公とする小説を多く書いており、作風が保守的と批判される事もあった。彼は1971年に他界するま で精力的に創作活動を続け、現代もベンガルで最も読まれている作家の一人だそうだ。
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