その一、その二、その三、その四の続き
1947年、インド独立と共にマハーラージャ制が廃止、これに伴い特権と経済基盤を失った多くのマハーラージャたちは、競うように彼らの宮殿の地下収蔵庫から、何百というつづらに山と詰まっていた歴代の衣装や宝飾品を売りに出す。彼らは新たな経済基盤を得るため、会社やホテル経営などの新興実業家に転身することを迫られ、そのための膨大な資金が必要だった。
とうに久しく忘れ去られ、地下収蔵庫の奥で埃を被っていた細密画もまた「投げ売り」され、欧州市場に出回ることになる。秘蔵され、日の目を見なかった芸術品は、独立により世界の美術品市場に登場したのだった。
殆どタダ同然のモノとして処分した紙切れが、ロンドンやパリなどで根が付き、瞬く間に値上がりした時、惜しいことに多くのマハーラージャの収蔵庫には、もはや売るべき細密画は残っていなかった。だが、宮殿には地下収蔵庫以外にも細密画が遺されており、それが窃盗の対象となる。
インドでは古くから壁面に細密画をはめ込み飾る習慣があり、依然として宮殿には多くの細密画が「絵画の間」などの壁に、はめ込まれたままとなっていた。かつては主しか入ることの出来なかった部屋には、「カーマ・スートラ」をテーマとした様々な性愛を描いた絵まであったという。
1950年代になると、主がいなくなり警備が手薄になった宮殿の壁に、窃盗団とミドルマンたちが群がった。ミドルマンとは窃盗団と客、または窃盗団と美術商との間に位置し、盗品の処分という仕事に専従する者を指す。彼らは単に盗品を売りさばくだけでなく、積極的に“顧客”の注文も引き受けた。
ミドルマンを通し“客”の注文を引き受けた窃盗団は、宮殿の壁から指定された細密画を期日まで盗み出す。警備が厳しく盗みが困難な場合、彼らは宮殿の番人を買収し、絵を易々と手に入れた。
かくして1970年代はじめまで、ラージャスターン州やパンジャーブ丘陵地帯、デカン高原などに偏在する宮殿の壁の至る所に、無数の長方形の穴が開けられる有様。窃盗はさらにエスカレート、宮殿の壁を飾るフレスコ画の傑作をチェーンソーを用い白昼堂々と切り取る者も現れる。フレスコ画の最後の仕上げに、時として金箔が使われることがあり、窃盗団はその個所も削った。
壁板はその場で枯草を詰めた大形の箱に梱包され、国が許可を与えた大型トラックを利用して運ばれた。これら盗品が決して骨董市場に出回らなかったのは書くまでもない。それらは全て、客の指定を受けた“注文品”だったからだ。
1940年代後半から約20年間のインドは、東西パキスタンとの分離独立による政治的軍事的激動の時代であり、それ他にも中印国境紛争を体験している。美術史上においても未曽有の混乱の時期だったのは言うまでもなく、その規模は隣国イランのナーディル・シャーによるデリー侵攻(1739年)や、過去数百年間に行われたどの軍の破壊や略奪をしのぐものだったと、山田和氏は言う。
共和国を宣言したその日から、各地のマハーラージャやナワーブ(ムスリムの太守)が蒐集、秘蔵してきた「インドの秘宝」が一挙に流失、その余波は1970年代まで続いた。
1977年、インド古美術界と蒐集家にとって重大な転機が訪れる。同年、インディラ・ガンディー首相により骨董法が改定され、百年以上の骨董を海外へ持ち出すことが禁じられる。そして、美術館や蒐集家が所有する多くの細密画の裏面に、政府の登録印が押され、ナンバーが打たれた。条文改正後、当然のことだが骨董の闇価格は一気に高騰、同時に贋作の飛躍的な質的向上も始まった。
だが、改正後にも骨董法は役に立たなかった。不可解なことにこの法律には罰則規定が設けられず、登録スタンプが押されている細密画は、美術館や著名コレクターの所蔵する作品に限られていた。改定後もデリーやボンベイ(現ムンバイ)の超高級ホテルのアーケードばかりか、巷にも堂々と古美術品が溢れていたという。
ただ、骨董法はインド経済にある役割も果たしていた。罰則規定無き故に骨董の、正確には贋作の質と価格を跳ね上げさせ、その結果大いに外貨を稼ぐことになる。巷に見られる逸品の古美術が実は贋作だったりすることも珍しくなく、安絵を売っていた土産物屋は手間暇かけた贋作を喜んで扱うようになる。もはや一点数十ルピーの商売ではなく、古美術商として一点数万或いは数十万ルピーの商いとなったそうだ。
その六に続く
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