トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

ためになり、面白いメッセージか?

2006-06-25 20:43:03 | 読書/ノンフィクション
 4年前に出版された『「超」文章法』(野口悠紀雄 著、中公新書)のカバー裏に、こんな端書がある。
企画書、評論、論文など論述文の目的は伝えたいメッセージを確実に伝え、読み手を説得することだ。論述文の成功は、メッセージが「ためになり、面白いか」どうかで決まる

 プロローグで野口氏は論述文の目的は、読者を説得し、自分の主張を広めることだという。そのためには内容が有益であり、読者が興味を持って読み始めるものでなければならない、つまり、目的は「ためになり、面白く、分かりやすい」文章とのこと。これはブログにも全く当てはまる。第一章の一部を抜粋したい。

「「面白く」は読者を惹きつけようとする営業努力である。講義の担当教授が書いた指定教科書なら、面白くなくても分かりにくくても、講義をとった学生は読む。しかし、文章執筆業者が常にそれほど恵まれた立場にいるわけではない。読者におもねる必要は全くないが、謙虚であることは必要だ。

 このことを自覚さえしていないのが多くの教授と学者である。「あなたの話は面白くないね」と、面と向って言われたことがないからだ。学生は試験があるから、つまらない講義をやむを得ず聞いているだけなのに。
 こうした人々は文章を書く時にも同じ態度になる。読者に読んでもらうという謙虚さがない。それどころか、
「分からないほうが高級」と思っている人も多い。読者諸氏よ、このような文章に決して惑わされてはならない。訳の分からぬ文章は高級な文章ではない。ほとんどの場合、読むに値しない文章なのだ。
 日本の学者の大部分は輸入学問を教えている。教えることの内容が正しい(つまり「ためになる」)ことは既に外国で証明されている。だから権威主義になり、「教えてやる」という態度になる。「私の考えが正しいことを、どうか理解して欲しい」という気持ちにはならないのである


  どんぴしゃり!学生時代を思い起こせば、面白くもない講義をする教授が大半だったではないか。反って講義に関係ない脱線話を憶えていたりする。ネットにお ける自称(似非)研究者も全く同じ姿勢なのは面白い。元来が「自説を主張したり、自身の専門知識を(悪く言えば)ひけらかすことに快感を感じたりする連 中」だから、本物の学者より権威主義の虜となる。

 第三章で著者は、「文章を言い訳から始めてはならない」とも言っている。日本人は謙虚だから最初に言い訳をするのだ、と弁護も出来るが、多くの場合は後で批判された時に、「だから言っておいたでしょう」と言えるための保険であり、言い訳は「アリバイ作り」である、と。著者はこの種の文を「アリバイ文」と名付けたが、絶妙なネーミングだ。「アリバイ文」は実は自信のなさの表明でもある。
 野口氏の挙げたアリバイ文の一例を紹介したい。
私はこの問題の専門家ではないのだが」(真意:間違っていても大目に見てほしい。私自身もれっきとして専門家だが、実は専門は別の分野で、そちらでは間違うことはない-あなたは知らないだろうが)
 著者は専門分野でやらないのは執筆者本人の責任と手厳しい。

 ネットでも自称(似非)研究者は「アリバイ文」が常套手段だが、私は以前にも冒頭から「アリバイ文」で始まるTBを送られたことがある。3月28日付けの記事で取り上げたが、TB送信主の人権主義ブロガーは本文、コメント問わず終始言い訳と弁解の「アリバイ文」だった。

 野口氏は文章の始めは客引きだという。「ドラマティックに始め、印象深く終えよ」が理想とのことで、人気ブログを見ていると、そのパターンのものが多い。私も大いに見習いたいが力量から言うは易し、行うは難し。謙虚さだけは忘れないようにしよう。

◆関連記事:「キツネ文と出羽ギツネ-似非学者たちの正体

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2 コメント

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酔夢、暴論 (Mars)
2006-06-26 21:58:39
こんばんは、mugiさん。



仰るとおり、人は面白そう、自分の為になりそう、役に立ちそうそと思うことには、自ら進んで知ろうとします。しかし、何とか知ろうとしても、チンプンカンで理解できなければ、途中で挫折してしまいますよね。



確かに、人に教える為に、分かりやすくするには、詳細は省かなければならないです。しかし、基本が理解できずに、その先の詳細なんて、理解できるわけないと思います。



他人に説明するときに、小学生にでも分かるように説明する、という例えもあります。確かに、子供を馬鹿にしているというお叱りもありますが、ようはそうだと思います。それなのに、それすら許せない者もいます。



TV業界、大学の先生などは、○泉的、二者択一はだめだそうです。しかし、人が判断するときは、良いか悪いかで、その先の事を考えられるのは、もう少し、理解も出来、冷静に判断できるときだと思うのですが。



本当に、人に理解できるように、興味を持てるように説明することは、知っていることの10倍位、難しいですね。

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二者択一思考 (mugi)
2006-06-26 23:06:01
こんばんは、Marsさん。



野口教授のように明快なメッセージを持った学者は少ないですね。権威主義が蔓延り、「教えてやる」のもったいぶった態度こそが教養人と勘違いしてるかもしれません。

これが本物の学者ならまだしも、ネットの自称(似非)研究者となると、滑稽です。ネット読者も見る目は肥えてますから、詐称には簡単に騙されないのに、狼少年を繰り返している。



TV業界、大学の先生などの○泉的、二者択一ダメ論は、彼ら自身がしてきた事は棚に上げてますよね。昨年11月8日のエントリーでも書きましたが、河北新報で「二者択一的思考を危惧」のコラムを書いた教授の方こそ、判断は二者択一思考。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/afb45cdffbb1d5d9442cfd9d61638df3



人の振り見て、わが身見直す事が最も不得手なのは、TV業界や大学の先生たちかもしれません。
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