おいらが鬱病で暗黒の時代を味わっていた際に見舞って下さった方、変わらずに接して下さった方に感謝............................
おいらが最悪な環境で心配して下さり、変わらず接して下さった方たちがいます。
それと鬱病で暗くて気持ちが悪かったであろうおいらに気さくに声を掛けて下さった方がいます。
もしおいらが自分自身ならば話し掛けるとは思いますけどね。
どれだけ苦しい思いをしているかは鬱病の苦しさを知っていますし、辛さや悲しさ、絶望感、疲労感を大体は知っています。
そして行動するに到るまでがどれほど苦しいかも知っています。
鬱病というのは自分に厳しいからこそ起こる自己否定型の病気である場合が少なくありません。
自分の価値を認めない
自分には価値がない
存在価値も認めない
というのが鬱病の真骨頂でしょう。
そのような人間にお見舞いに来て下さり、お土産やPresentを持ってきて下さる有り難さをおいらは知っています。
書いていても涙が出てくるぐらいなのですが、感謝の念がこみ上げてきて泣けてきます。
辛い状況で其れが如何に救いになったのか、気に掛けて下さっていることが有り難かったのかを思いますね。
半年前までとは言いません。
3ヶ月前までも暗黒の時代を味わってきました。
ここ最近は少しずつ上がり始め調子を取り戻しつつあります。
そして自分の近くに住む方たちにお礼をすることも出来るようになりました。
何も変わらずに接して下さり、声を掛けて下さった人や近づいて下さった方には絶対に何かしらの礼儀を尽くそうと心に決めています。
鬱病を患って10年近くになります。
その間に結婚された方も幾人かおられますし、子供も生まれた方がいます。
ご夫婦お二人ともに恩があるご家族もおられますが、概ねでご夫婦でおられる時に近づくと奥さんの方がおいらを見る際に気持ち悪そうに見られることが少なくありませんでした。
此方の状況を知らずに相手を判断すると言うこと自体をしないおいらからすると非常に軽率な判断だとは思いますけどね。
おいらは奥さんにはなにも報いようとは思いませんし、恩を感じることもありません。
しかしご主人には恩があります。
特においらが報いたいと思う方々は会う度に気遣って下さった方たちです。
一度や二度の気遣いというのは誰にでも出来ます。
口だけでも出来ますし、顔を見ればできますからな。
女性というのは表面的な所でしか見られない所があるんだな~と思う所が少なくないんですけどね。
おいらの意図というのは表面化するのが非常に遅い傾向があります。
よって女性からの理解を得るのは当面ではまず不可能です。
結果が出だすまでに時間が掛かるのですから理解できないでしょうからな。
しかしおいらの行動を理解できる人というのはかなりの状況把握力が無ければ無理なのだと気が付いたのは最近です。
女性が悪いと書いているのではありません。
しかし即物的な傾向が強いのは事実なのだとも認識しつつあります。
男性でもこういう傾向が強くなりつつあります。
恩がある人に少しずつお礼をするようになったことを書きました。
A3ノビの写真をPresentしていることはこのBlogでも書いてきましたからな。
Canon PIXUS Platinum GradeのA3ノビを使用していることも書いています。
このPaperは1Packageに20枚入っています。
そして19枚はおいらの手元から出て行きました。
家族内で4枚程度、おいらの参加している集まりの中で8枚程度、それ以外の7枚が町外に出ているようです。
その内の1枚がお礼の為に出て行きました。
昨年の建設に関してはDigital Photoで書きました。
その際においらとそれほど親しくない方で顔は知っている人が居ました。
今回の大きな集まりの際に写真をPresentした方と親しい方なのですがね。
掌を返したように接してきます。
おいらはこのような人は余り好きではないんですよね。
此方のStanceは建設の時も大きな集まりの時も全く変わっていません。
写真をPresentした方は何時も変わらずに接して下さっている方です。
そういう人には最大限の礼儀を持って尽くすのはおいらの中では定められていることです。
たしかにおいらは「暗くて気持ちの悪い」人間だったことは間違いありませんし、今でも継続的にそうなのですがね。
自己否定型の人間ですし、自己評価も最低で何をするにしても価値がないと考えていました。
其れは事実ですし、揺るがない事実でもあります。
だからこそ変わらず接して下さる方の有り難みを強く感じるのは当然のことでしょう。
これからはおいら自身に変わらず接して下さった方で近くにいない方にお礼をしていこうと画策中です。
しかし接しやすくなったから接してくる人や近づきやすいから近づいてくる人にはおいらは何もしようとは思いません。
表面的な関係でしか繋がっていられない人間にはそもそも価値がないでしょう。
そこまでしか見ることが出来ない人間とはお近づきになりたくはありませんし、接し続けようとは思いもしません。
人間の本質というのは自分自身が逆境に立って辛い思いをしている時に出てくるモノです。
もし苦しい時に手を差し伸べてくれ続ける人は貴重な知人です。
其れを大事にするのはおいらの見地では定められていることです。
動物でさえ忠誠を示すことが出来るのです。
人間の忠誠というのは本当に大きなモノでしょう。
おいら自身は2009.08.07~2009.08.09までの集まりで大きな収穫がありました。
人を見る価値基準が一新されたことも感じます。
本当に気遣いを示し続ける人をおいらも気遣い礼儀を尽くしていきたいモノです。
おいらが最悪な環境で心配して下さり、変わらず接して下さった方たちがいます。
それと鬱病で暗くて気持ちが悪かったであろうおいらに気さくに声を掛けて下さった方がいます。
もしおいらが自分自身ならば話し掛けるとは思いますけどね。
どれだけ苦しい思いをしているかは鬱病の苦しさを知っていますし、辛さや悲しさ、絶望感、疲労感を大体は知っています。
そして行動するに到るまでがどれほど苦しいかも知っています。
鬱病というのは自分に厳しいからこそ起こる自己否定型の病気である場合が少なくありません。
自分の価値を認めない
自分には価値がない
存在価値も認めない
というのが鬱病の真骨頂でしょう。
そのような人間にお見舞いに来て下さり、お土産やPresentを持ってきて下さる有り難さをおいらは知っています。
書いていても涙が出てくるぐらいなのですが、感謝の念がこみ上げてきて泣けてきます。
辛い状況で其れが如何に救いになったのか、気に掛けて下さっていることが有り難かったのかを思いますね。
半年前までとは言いません。
3ヶ月前までも暗黒の時代を味わってきました。
ここ最近は少しずつ上がり始め調子を取り戻しつつあります。
そして自分の近くに住む方たちにお礼をすることも出来るようになりました。
何も変わらずに接して下さり、声を掛けて下さった人や近づいて下さった方には絶対に何かしらの礼儀を尽くそうと心に決めています。
鬱病を患って10年近くになります。
その間に結婚された方も幾人かおられますし、子供も生まれた方がいます。
ご夫婦お二人ともに恩があるご家族もおられますが、概ねでご夫婦でおられる時に近づくと奥さんの方がおいらを見る際に気持ち悪そうに見られることが少なくありませんでした。
此方の状況を知らずに相手を判断すると言うこと自体をしないおいらからすると非常に軽率な判断だとは思いますけどね。
おいらは奥さんにはなにも報いようとは思いませんし、恩を感じることもありません。
しかしご主人には恩があります。
特においらが報いたいと思う方々は会う度に気遣って下さった方たちです。
一度や二度の気遣いというのは誰にでも出来ます。
口だけでも出来ますし、顔を見ればできますからな。
女性というのは表面的な所でしか見られない所があるんだな~と思う所が少なくないんですけどね。
おいらの意図というのは表面化するのが非常に遅い傾向があります。
よって女性からの理解を得るのは当面ではまず不可能です。
結果が出だすまでに時間が掛かるのですから理解できないでしょうからな。
しかしおいらの行動を理解できる人というのはかなりの状況把握力が無ければ無理なのだと気が付いたのは最近です。
女性が悪いと書いているのではありません。
しかし即物的な傾向が強いのは事実なのだとも認識しつつあります。
男性でもこういう傾向が強くなりつつあります。
恩がある人に少しずつお礼をするようになったことを書きました。
A3ノビの写真をPresentしていることはこのBlogでも書いてきましたからな。
Canon PIXUS Platinum GradeのA3ノビを使用していることも書いています。
このPaperは1Packageに20枚入っています。
そして19枚はおいらの手元から出て行きました。
家族内で4枚程度、おいらの参加している集まりの中で8枚程度、それ以外の7枚が町外に出ているようです。
その内の1枚がお礼の為に出て行きました。
昨年の建設に関してはDigital Photoで書きました。
その際においらとそれほど親しくない方で顔は知っている人が居ました。
今回の大きな集まりの際に写真をPresentした方と親しい方なのですがね。
掌を返したように接してきます。
おいらはこのような人は余り好きではないんですよね。
此方のStanceは建設の時も大きな集まりの時も全く変わっていません。
写真をPresentした方は何時も変わらずに接して下さっている方です。
そういう人には最大限の礼儀を持って尽くすのはおいらの中では定められていることです。
たしかにおいらは「暗くて気持ちの悪い」人間だったことは間違いありませんし、今でも継続的にそうなのですがね。
自己否定型の人間ですし、自己評価も最低で何をするにしても価値がないと考えていました。
其れは事実ですし、揺るがない事実でもあります。
だからこそ変わらず接して下さる方の有り難みを強く感じるのは当然のことでしょう。
これからはおいら自身に変わらず接して下さった方で近くにいない方にお礼をしていこうと画策中です。
しかし接しやすくなったから接してくる人や近づきやすいから近づいてくる人にはおいらは何もしようとは思いません。
表面的な関係でしか繋がっていられない人間にはそもそも価値がないでしょう。
そこまでしか見ることが出来ない人間とはお近づきになりたくはありませんし、接し続けようとは思いもしません。
人間の本質というのは自分自身が逆境に立って辛い思いをしている時に出てくるモノです。
もし苦しい時に手を差し伸べてくれ続ける人は貴重な知人です。
其れを大事にするのはおいらの見地では定められていることです。
動物でさえ忠誠を示すことが出来るのです。
人間の忠誠というのは本当に大きなモノでしょう。
おいら自身は2009.08.07~2009.08.09までの集まりで大きな収穫がありました。
人を見る価値基準が一新されたことも感じます。
本当に気遣いを示し続ける人をおいらも気遣い礼儀を尽くしていきたいモノです。