普段はZoomから参加しているのだけれど、先日の
参加できるんだから集会で王国会館の集会に参加してみろよw
的な文言が耳に入ってきたので、早速いってみたわけだ。
じつは2018年の夏ぐらいからいろいろあって、ここ4年ほどで身も心もぼろぼろ。
家族とも不仲になり、泣き暮らしている。
それが周囲にも認知されてきているし、他の人からみてもわかるようで明らかに馬鹿にされることが増えている。
そろそろ年貢の納め時だと思ってしまうこともあるんですよね。
もう十分に生きたし、というより生きたくもない人生を生きてきたんだから誰か褒めてほしいw
「親ガチャ失敗」という言葉がしばらく前に流行ったが、まさにわたしのための言葉だろうと思う。
ところで集会に行ったものの、ろくに話も聞かずにパソコンを持って行ってたのでHTMLとCSSをいじってました。
カフェとかファミレスでは集中できると聞いてたが、まさにそのとおりで集中して作業できた。
仕事がしたいと願いつつも、クリスチャンとして「儲け話はだめだ」という条件反射がでてきて何も行動できずにいる。
それえに住んでいる地域全体にわたしの事が認知されつつあることを感じるので、この地域では無理とも感じる。
もともとこんなところに来たくなかったというのもあるし、馴染めない自分が許せずに苦しんできた。
同調圧力で違うことをしていると村八分になるようなところだとわかっていたが、理由などを言っても理解もできないだろうし自己責任だとも思っているだろう。
それに全員に伝えようにも不可能だともわかっている。
というよりわかってくれる人がわかっていればいいと最近は考えている。
家族でも親族でもわからない人間ほど馬鹿にするし、馬鹿にする人のほとんどは知恵の浅い短絡的な人だともわかっているのだから。
そういえば数年前に病院を変えた。
以前通っていたクリニックはやたら待ち時間が長く、この点は自分に合っていなかった。
先生との対話はあまり変わらないような気もするが、変わってからのほうが建設的な方向に行っているような気もする。
暗闇の中で生きている人生の中で、なんとか這い上がりたいともがき続けて四半世紀あまり。
宗教関連の教えが邪魔をしていつでもなんでも諦め、何もできずにいる。
何もできない自分が悪いのはわかっているし、諦めたくはないという気持ちが強いのに、すべてを諦め絶望してきたわたしは今でも動けずにいる。
何かしなければと必死で学習し、技術を身に着けようと努力し続けていることが無駄になるとわかっていてもだ。