コンディションが良くない...........
生きていることが辛い。
合理的に考えられない他人が蒔いたものを、なぜ自分が刈り取らなければならないのか理解できずに生きている。
「自分が選んだから自己責任」
という言葉をよく使われる。
エホバの証人二世にとって、これは正しくはないだろう。
わたしは
"自分で選んだことはない"
と言い切れる。
それを「自分で選んだ」と言われ、
「起きてしまったことは取り返しがつかないのだから忘れたほうが良い」
「これからが大事だ」
と言われても受け入れられない。
なぜなら、
・こうなることが解っていた
からこそ当時はなんとかしようと、親や長老たちに将来を語り、進学や手に職をつけることを訴えたのだ。
しかし親は当然のように進学をさせてはくれなかった。
当たり前のように「開拓奉仕をさせる」とほかのクリスチャンに公然と言っていたし、周囲のクリスチャンもそれが当然だというように説得に努めた。
長老や開拓者との交わる(交流)ことを薦め、度重なる交わりや集会での圧力などに封殺されていった。
そしてあきらめ、長老やクリスチャンたちの意向をくんで開拓奉仕をし仕事もアルバイトで生計を立てることになった。
アルバイトで得た収入は良いときで80,000円、悪い時では40,000円のこともあった。
平均は63,000円ぐらいだった記憶がある。
収支を計算して平均を出したんですよね。
もっと仕事を入れたかったが、他の仕事をするにしても中途半端な時間帯でほかの仕事をできるはずもなかった。
開拓奉仕は毎朝おこなわれる奉仕に参加することが求められる。
毎月の支払いで精一杯でなんとか生きていて、贅沢とは無縁の生活をしていた。
なにを買うにしても計画的に買わねばならない。
高額なものを買うのであればローンを組んだりもした。
200,000円程度のレンズを24回払で買ったな。
あれは懐かしい。
200,000円は父が専門職で手にしていた月の収入の半分の金額だった。
それを分割で払い、生活をするのは残りの53,000円でしなければならない。
可能であれば専門職でどこでも仕事ができる職種につきたかった。
自分がやりたい仕事であれば、将来性を考え初期は収入が少なくとも耐えられたのだ。
そして専門職なのだから開拓奉仕もできる余裕はあるはずだ。
わたしはそのような職種を選ぶつもりだったからね。
少し掃き出したほうが良さそうなので出しました。
ただただ前に進めずに生きている。
自死を考えてしまったので気をつけねばならない。
どれだけ蔑ろにされねばならないのか。
愛をください。