昨日の昼と夜に別々の会話の中で鬱病に関して話さねばなりませんでした.....................................
正直、まだまだ早いのではないかと思っていたのですがね。
落ち込まずに過ごせています。
こういう時に落ち込むのは過去の暗黒面に引きずり込まれることによって起こるのですがね。
記憶の線を断線することに近いことが出来ているのかもしれません。
過去の記憶を思い出す際にはこのBlogは格好の保存Toolとして用いてきました。
これは意図せずに保存してきたことに成ります。
このBlogはその日その日の心境を不特定多数の人に読んでもらえているという事実があるからこそ書いてきた過去があります。
今でも少なからず依存していると言ってもいいのかもしれませんがね。
欝の度合いが酷い時は毎日のように書き綴ってきました。
病院も定期的に通っていましたし、隔週で行っていました。
ところが必要性を感じなくなりつつあります。
確かに睡眠薬はまだ飲んでいますし、精神安定剤も寝る前に飲むようにしています。
精神安定剤を飲まずに過ごそうとしたのですが、おいらは極度の緊張状態に陥り寝るどころではなくなったということもありました。
睡眠導入に重要なのは精神の安定なのだということが理解できてからは睡眠導入剤を抜いてみると寝ることが出来ました。
ただガッツリとは寝れないので定期的に飲む必要があるようです。
さらに落ち込む要因としては過去の自分との比較などがあります。
これは昔の自分のほうが痩せていたり、充実した生活を送っていたという美化が伴っているからなのでしょう。
「健康な生活を送ることが出来ていた」という事実は確かに今の自分が劣っているように感じることは間違いありません。
でもより自分自身を的確に捉えることが出来、自分の業(行った行動)が人に喜んでもらえるという事実を理解できるという点では今の方が断然優っています。
過去の自分がいるからこそ、今の自分がいるのだということもわかりますしね。
昔の自分の考えというのは理解できますが、今の自分の考えは昔の自分には到底理解出来ないだろうとも分析できます。
「若気の至り」も沢山してきました。
昨日の日中に会話した人はおいらが健康なときのことを知っておられ、人聞きに聴いていたようです。
かなりActiveに生きていたころもありました。
でもあの頃のことを考えると全く自尊心がありませんでしたし、自分の価値がないということを常々考えている頃でした。
昔のほうが若くてStyleも良かったのは間違いありません。
かなり痩せていましたしね。
今から考えるとどこにあのような体力があったのだろうと思う仕事量をしていました。
そういえば健康というのは健全な思考から作られます。
逆説的に書くと
「健全な思考からしか健康は作り出せない」
と書いてもいいでしょうね。
人は体の健康には気を使いますが、心の健康をなおざりにしがちです。
それに「自分が我慢すればいいだけなのだ」という区切り方をします。
おいらも今でもこういうTypeなのですが、これは大間違いです。
人間というのは都合の良いモノで何の問題も無いとすぐに忘れてしまうという傾向があります。
我慢した側はそれを覚えているのにそれらの恩恵に預かった人たちは問題がないならばすぐに忘れてしまうのです。
これって我慢した側が一方的に損することに成りますな。
よって我慢しなければならない事態が起こったならば、それは早急に報告すべきなのです。
これはその場で共同に活動する人間全てに伝えられるべきだと思われます。
でなければ忘れてしまうのですからな。
軛をともにする人間すべてが同じ程度の負担を強いられるのであれば何ら問題がないでしょう。
しかし不平等が発生したならばそれはすぐに改善されねばなりません。
「喜んでしているのであれば構わない」という意見もあるかと思われますがね。
喜んで出来るのは「楽しい時だけ」であるということを吟味すると妥当な仕事量を妥当な量として割り当てられる重要性がわかるかと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少し長くなりそうなので此処で一旦区切ります。
書く事は苦痛ではないのですが、綴るというのは時間がかかりますね。
知らない間に数時間が経っています。
しかし「忙しい」というのは言い訳だと思われます。
時間があるときに綴っていきたいものですな。
正直、まだまだ早いのではないかと思っていたのですがね。
落ち込まずに過ごせています。
こういう時に落ち込むのは過去の暗黒面に引きずり込まれることによって起こるのですがね。
記憶の線を断線することに近いことが出来ているのかもしれません。
過去の記憶を思い出す際にはこのBlogは格好の保存Toolとして用いてきました。
これは意図せずに保存してきたことに成ります。
このBlogはその日その日の心境を不特定多数の人に読んでもらえているという事実があるからこそ書いてきた過去があります。
今でも少なからず依存していると言ってもいいのかもしれませんがね。
欝の度合いが酷い時は毎日のように書き綴ってきました。
病院も定期的に通っていましたし、隔週で行っていました。
ところが必要性を感じなくなりつつあります。
確かに睡眠薬はまだ飲んでいますし、精神安定剤も寝る前に飲むようにしています。
精神安定剤を飲まずに過ごそうとしたのですが、おいらは極度の緊張状態に陥り寝るどころではなくなったということもありました。
睡眠導入に重要なのは精神の安定なのだということが理解できてからは睡眠導入剤を抜いてみると寝ることが出来ました。
ただガッツリとは寝れないので定期的に飲む必要があるようです。
さらに落ち込む要因としては過去の自分との比較などがあります。
これは昔の自分のほうが痩せていたり、充実した生活を送っていたという美化が伴っているからなのでしょう。
「健康な生活を送ることが出来ていた」という事実は確かに今の自分が劣っているように感じることは間違いありません。
でもより自分自身を的確に捉えることが出来、自分の業(行った行動)が人に喜んでもらえるという事実を理解できるという点では今の方が断然優っています。
過去の自分がいるからこそ、今の自分がいるのだということもわかりますしね。
昔の自分の考えというのは理解できますが、今の自分の考えは昔の自分には到底理解出来ないだろうとも分析できます。
「若気の至り」も沢山してきました。
昨日の日中に会話した人はおいらが健康なときのことを知っておられ、人聞きに聴いていたようです。
かなりActiveに生きていたころもありました。
でもあの頃のことを考えると全く自尊心がありませんでしたし、自分の価値がないということを常々考えている頃でした。
昔のほうが若くてStyleも良かったのは間違いありません。
かなり痩せていましたしね。
今から考えるとどこにあのような体力があったのだろうと思う仕事量をしていました。
そういえば健康というのは健全な思考から作られます。
逆説的に書くと
「健全な思考からしか健康は作り出せない」
と書いてもいいでしょうね。
人は体の健康には気を使いますが、心の健康をなおざりにしがちです。
それに「自分が我慢すればいいだけなのだ」という区切り方をします。
おいらも今でもこういうTypeなのですが、これは大間違いです。
人間というのは都合の良いモノで何の問題も無いとすぐに忘れてしまうという傾向があります。
我慢した側はそれを覚えているのにそれらの恩恵に預かった人たちは問題がないならばすぐに忘れてしまうのです。
これって我慢した側が一方的に損することに成りますな。
よって我慢しなければならない事態が起こったならば、それは早急に報告すべきなのです。
これはその場で共同に活動する人間全てに伝えられるべきだと思われます。
でなければ忘れてしまうのですからな。
軛をともにする人間すべてが同じ程度の負担を強いられるのであれば何ら問題がないでしょう。
しかし不平等が発生したならばそれはすぐに改善されねばなりません。
「喜んでしているのであれば構わない」という意見もあるかと思われますがね。
喜んで出来るのは「楽しい時だけ」であるということを吟味すると妥当な仕事量を妥当な量として割り当てられる重要性がわかるかと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少し長くなりそうなので此処で一旦区切ります。
書く事は苦痛ではないのですが、綴るというのは時間がかかりますね。
知らない間に数時間が経っています。
しかし「忙しい」というのは言い訳だと思われます。
時間があるときに綴っていきたいものですな。