扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Digital Photo No.125 2015.03.05

2015-03-05 19:27:37 | Photo & Photography & Camera
わたしはDigital Cameraに切り替えたのは早い方です.....................

1996年に写真を撮り始めました。
そして2003年までずっとFilmで写真を撮り続けました。
写真をとった本数としても36枚Filmを1000本は下回らないでしょう。
9年間で1000本の中には結婚式や記念的行事も多数あります。
残っているネガも相当数有り、日の当たらない場所に置いてあります。

ネガというのは写真を撮ったんだな~という確認を確りできるものでした。
反転されネガるだけではなくネガとしての色も加色されていますので、茜色になっています。
そしてわたしは写真屋さんで現像機、プリンターと使用していました。

比較すると現在はプリンターしか必要とせず、下手をするとプリンターも使用しない状態になっています。
Mailやファイル共有サービスによって各々が好きなメディアで楽しめる時代になってしまったのです。
Film時代には現像し、プリントするまでがRoutine Workとしてありました。
そしてそこにお金が発生するのが当然だったのです。
Initial CostとしてFilmと現像は必然的に必要としていたのです。

Film Makerが既得権益として

・Film
・現像にまつわる費用
・プリントにまつわる費用

を得るのは当然のことで罷り通っていたのです。
Film全盛の時代にはその利益は莫大なモノでした。

日本では「富士フィルム」
南北アメリカや全世界的には「コダック」
ヨーロッパでは「アグファ」

がこれらを享受していたのです。
しかし現在、Filmを見かける方が稀になりつつ有ります。
わたしはDigital Cameraが出て来た時に一般向けでは早く手にしたほうだと書きましたね。
Digital Cameraが爆発的に普及する切っ掛けを作った初代 EOS kiss Digitalを予約して発売日当日に松山のカメラのキタムラの店舗で手に入れました。
Digital Cameraの出たばかりの頃は、Filmを使用している人と会話をしているとDigital Cameraなんてまだまだ発色が悪いし、使いものにならないという主旨の話になったモノです。
Digital Cameraを使用している時点で「負け組」のような風潮が最初はあったように感じていました。
しかしこれが一気に引っ繰り返っていくというのは当然だとわたしは確信していました。
理由は単純です。
Running Cost、Initial Costが必要なく写真を撮れるという事実は一般ユーザはもとよりProfessionalも認めざるを得なくなり取り入れざるを得なくなるだろうことは明白だったからです。
これは覆ろうはずもないでしょう。
確かに階調表現では当初はFilmに及びもしませんでしたし、ラチチュードもFilmには及びませんでした。
しかしDigitalの環境変化というのはとてつもなく早いTempoで大きく変わっていきます。
ドッグイヤーと言われるほどの環境の変化が起こる部分に属することになったのです。
そして毎年どこかしらが新しいCameraが発表される時代になり、誰もがこの現象に飲み込まれる時代になったのです。
Digital CameraはStandaloneなCameraだけでは無いというのも大きいでしょうね。

現在、写真を撮っている人の多くがどのように写真を撮っているを思い浮かべるでしょうか?

一眼レフならまだしもコンパクトカメラでさえ無いでしょう。
現在の主流はスマホ並びにTabletです。
そしてこれらが当然のように写真機能を備えている風潮が有ります。
普通に写真を撮りプリントに耐えられる画素数として400万画素あれば良いと言われています。
であれば今普及しているモバイルに搭載されているCameraの殆どはこの条件を当然のようにクリアしていることをご存知でしょう。

Digital Cameraが当然のように使える現在、Film Makerの立場はどのように変わったでしょうか。
主流だったFilm事業は衰退し、目も当てられない状態になってしまいました。
そしてそこにいつまでも縋っていたMakerは既得権益として享受していた莫大な資金をFilmの開発に投資するという誤った選択を繰り返してしまった経緯があります。
富士フィルムはFilmの開発で培った技術をメディカル系や化粧品系に転用することに成功しました。
上記に上げたコダックの帝国と言っても良かった状態は壊滅状態になり、アグファに至っては会社そのものが無くなってしまいました。

Innovation(革新)に敏感に反応し、それに対応する事が出来たMakerは多少なりとも生き残ることが出来ていますが、既得権益に胡座をかき居座っているMakerは淘汰されるという事実を受け入れなかったのです。
これはどのような世界でも発ししますし、自然界では当然のように起こっている現象です。
この冷徹とも取れるCycleに巻き込まれるのを一人のUserとして観察し続けることはとてもつらく悲しいと感じていましたね。

なぜもっと積極的にDigital化の波に関わってこなかったのか
なぜもっとDigital化を受け入れなかったのか
なぜ莫大な資金を抱えたいながら他の事業に注力しなかったのか

ということです。
有る方の言葉として「権力というのは必ず腐敗する」という言葉があります。
人間の世界ではこれが当たり前のように起こっているのですが、特に既得権益の享受を得ていた人間はこの傾向が強いのです。
企業体質もそうそう簡単に変わるわけは有りません。
企業が大きければ大きいほど変化に対応するのが後手後手になり、結局は改善の手も付けられない状態になってしまいます。

Filmの世界が気の毒なのはこの世界が100年単位の安定した世界だったことです。
映画の歴史の殆どはFilmと共にあったと言ってもいいでしょう。
それが急にDigitalに切り替わったのです。

わたしはこの現象をDejavuのように見たことが有ります。
テープとCDで占有され入り込む余地がなかった音楽の業界にAppleが会心の一撃を放ち、圧縮音源によって音楽業界の編成が書き換えられたのと同様なのです。
そしてこの音楽業界の写真業界の再編は同時進行で成されました。

わたしは録音に関しても同様で直ぐにIC Recorderを導入しました。
ただ、わたしがどんなに説明しようともわたしの家族はIC Recorderの有用性を認めず、ずっと暫くはテープを使い続けました。
わたしの家族でさえ録音に関しての理解をしようとしなかったのですから、企業体質としては対応するつもりもなかったのは当たり前なのかもしれませんね。
ただでさえ、音質の劣化がないDigitalの録音ができるRecorderの方が良いのは解っていましたが、ロケーションが悪い状態であれば尚更にIC Recorderの優位性は明白でした。
それを何度も何度も、それこそテープを購入する金額で購入できるのにテープを使い続けるのを見ているとわたしとしては無力感を感じていたのでしょう。
そして今、自分の方が知識や知恵を得ているということを確信できるようになってからは、あの感情は「哀れ」だという感情だったのだと確認できるようになりました。

写真業界にわたしはHigh Amateurの立場として関わっていますのでとても深い深度で理解できています。
Film Makerの隆盛、そして雪崩の如く一気に崩れ去った感が否めません。
100年以上続いたFilmといいう帝国が10年も立たずに崩れ去ったことに一般の方たちは目も向けないでしょうね。
殆ど全ての人が、「今」使っているものが「当たり前」のようにあって、「今」使っているものが「全て」だと感じているでしょう。
そして昔使っていたメディアを思い出すことも少ないでしょう。

嘆かわしいことですね。
10年前まではスマホも無くてFilmで撮るのが当たり前だったのですよ。
スマホが出て来たのは8年前です。
たった8年で多くの世界が変わってしまったというのは恐くないですか?
しかし事実として世界は変わってしまったのです。
誰もがスマホを使う時代で、誰もがマルチパーパスな使い方が当たり前になっているのです。

感慨深いものが有りますね。
激動の10年でした。
そしてこれからもInnovationは起こっていくのでしょう。

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