![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f8/859f7c2659050d09448f5a22f6fcd124.jpg)
撮るときの気持ちが変わった時..............
いつもどこかに行って帰ってくるといつもと違った撮り方に気が付きます。
毎日のように撮っていますが、旅行や帰省などから帰ってきていつも通りカメラを構えると「空気間」が違うのです。
今回は「フィーリングをあわせる」ものがあり、それにあった撮り方もあることに気が付きました。
こうした変化は日常生活では気が付きません。
非日常的な事が起こり、それらによって感性に影響し、何かを実際に作り出すときに現れるまでには時間がかかります。
今回の帰省ではテレビがなく、インターネットは携帯電話のmailしかほとんどせず、時間がありました。
今の自分の状況を冷静に考えて、客観的にみることによって現時点での自分に「作れる絵」や「作れる写真」を考察する時間がありました。
また撮影方法にも思いを巡らし、変化を加えようと感じたのです。
今までは自分からアクティブにカメラの機能を使うまでには達していないと考えていましたので「色温度」などを使ってきませんでした。
おいらの観点では、もう普通の撮影に離れてきましたし、普通の使い方をだいたいできるようになりました。
あくまでおいら自身の観点なので当てにはなりませんが、それでも普通に撮ってできる事と出来ないことに気がつきましたし、限界があるのも気がついています。
デジタルカメラなので多くの点でフィルムに劣っています。
よってカメラ側の機能によってそれらをカバーしようと言うわけです。
変わっていないと言われるとそうなのかもしれませんし、クオリティに関しては悪くなる可能性もあるでしょう。
しかし
「撮っていて楽しいか?」
という習慣となった自分への質問に対して
「めっちゃたのしい!!」
と言う返事をし続けたいと願っています。
おいらは写真を撮るに当たって
「楽しくなければ撮ってはいけない」
「写真に対しては誠実であり続ける」
「気持ちを込めてシャッターを押す」
などの自分の中でのポリシーがあります。
もっと撮影方法を広げることによってさらに楽しんでいきたいですな。
写真には撮り手の気持ちがすべて写ります。
見られると恥ずかしく感じるぐらいなのですが、撮った写真は心に訴えるものだろうかという自分への問いもあります。
また甘えをなくすという意味も込めて公開するようにしています。
加えて写真というのは自分が作るのではなく、瞬間を切り取っただけなのです。
何を誇ることがありましょうか?
語弊を招く可能性がありますが簡単に書くと「記録」でしかないとも感じます。
「記録」に自分の気持ちを乗せるのですからかなり気を遣います。
「記録」というのは客観性と正確性が求められます。
これが出来ている人の写真というのは「乾いた空気間」であったり、独特の空気間が写真からあふれ出ています。
おいらの写真を撮り続ける強い動機となっているのはロバート・キャパの写真展に行って彼の写真に感銘を受けたからです。
彼の写真には彼自身の
「深い洞察力」と
「行動力」
「勇気」が写っており、
それに
「客観性」
「人々の偽ることのない気持ち」
そして撮った当時にリアルタイムに人々に伝わったであろう記録写真に欠かせない
「正確性」
が余すことなく写っています。
かくありたいと願いながら自分の写真の腕の未熟さというのを日々痛感します。
彼の写真展に行ったのは10年以上前だと思うのですが、今でも心の奥底には彼の写真から受けたインスピレーションが燃えさかっています。
かなり制御できるようになってきましたが、炎というのは人間には制御することが難しいように、昔はただ写真を撮ることしか考えず、彼のような写真を撮りたいという気持ちを制御できませんでした。
若かったな~.......
さすがに今は行き当たりばったりという事はほとんどなくなりましたけどね。
ガスレンジなどのように必要なときに必要な火を使うすべを身につけることが出来つつあります。
少なくとも「昔に比べて」ですけどね。
シャッターチャンスを必然とするためにはあらゆるシチュエーションで撮れるようになっておかなくてはなりません。
難しいのですが出来る限りいつもと違うシチュエーションだった場合に外に出て撮るようにしています。
いつもどこかに行って帰ってくるといつもと違った撮り方に気が付きます。
毎日のように撮っていますが、旅行や帰省などから帰ってきていつも通りカメラを構えると「空気間」が違うのです。
今回は「フィーリングをあわせる」ものがあり、それにあった撮り方もあることに気が付きました。
こうした変化は日常生活では気が付きません。
非日常的な事が起こり、それらによって感性に影響し、何かを実際に作り出すときに現れるまでには時間がかかります。
今回の帰省ではテレビがなく、インターネットは携帯電話のmailしかほとんどせず、時間がありました。
今の自分の状況を冷静に考えて、客観的にみることによって現時点での自分に「作れる絵」や「作れる写真」を考察する時間がありました。
また撮影方法にも思いを巡らし、変化を加えようと感じたのです。
今までは自分からアクティブにカメラの機能を使うまでには達していないと考えていましたので「色温度」などを使ってきませんでした。
おいらの観点では、もう普通の撮影に離れてきましたし、普通の使い方をだいたいできるようになりました。
あくまでおいら自身の観点なので当てにはなりませんが、それでも普通に撮ってできる事と出来ないことに気がつきましたし、限界があるのも気がついています。
デジタルカメラなので多くの点でフィルムに劣っています。
よってカメラ側の機能によってそれらをカバーしようと言うわけです。
変わっていないと言われるとそうなのかもしれませんし、クオリティに関しては悪くなる可能性もあるでしょう。
しかし
「撮っていて楽しいか?」
という習慣となった自分への質問に対して
「めっちゃたのしい!!」
と言う返事をし続けたいと願っています。
おいらは写真を撮るに当たって
「楽しくなければ撮ってはいけない」
「写真に対しては誠実であり続ける」
「気持ちを込めてシャッターを押す」
などの自分の中でのポリシーがあります。
もっと撮影方法を広げることによってさらに楽しんでいきたいですな。
写真には撮り手の気持ちがすべて写ります。
見られると恥ずかしく感じるぐらいなのですが、撮った写真は心に訴えるものだろうかという自分への問いもあります。
また甘えをなくすという意味も込めて公開するようにしています。
加えて写真というのは自分が作るのではなく、瞬間を切り取っただけなのです。
何を誇ることがありましょうか?
語弊を招く可能性がありますが簡単に書くと「記録」でしかないとも感じます。
「記録」に自分の気持ちを乗せるのですからかなり気を遣います。
「記録」というのは客観性と正確性が求められます。
これが出来ている人の写真というのは「乾いた空気間」であったり、独特の空気間が写真からあふれ出ています。
おいらの写真を撮り続ける強い動機となっているのはロバート・キャパの写真展に行って彼の写真に感銘を受けたからです。
彼の写真には彼自身の
「深い洞察力」と
「行動力」
「勇気」が写っており、
それに
「客観性」
「人々の偽ることのない気持ち」
そして撮った当時にリアルタイムに人々に伝わったであろう記録写真に欠かせない
「正確性」
が余すことなく写っています。
かくありたいと願いながら自分の写真の腕の未熟さというのを日々痛感します。
彼の写真展に行ったのは10年以上前だと思うのですが、今でも心の奥底には彼の写真から受けたインスピレーションが燃えさかっています。
かなり制御できるようになってきましたが、炎というのは人間には制御することが難しいように、昔はただ写真を撮ることしか考えず、彼のような写真を撮りたいという気持ちを制御できませんでした。
若かったな~.......
さすがに今は行き当たりばったりという事はほとんどなくなりましたけどね。
ガスレンジなどのように必要なときに必要な火を使うすべを身につけることが出来つつあります。
少なくとも「昔に比べて」ですけどね。
シャッターチャンスを必然とするためにはあらゆるシチュエーションで撮れるようになっておかなくてはなりません。
難しいのですが出来る限りいつもと違うシチュエーションだった場合に外に出て撮るようにしています。
![にほんブログ村 写真ブログへ](http://photo.blogmura.com/img/photo150_49_2.gif)
本当に、神秘的です。
mumuさんの、熱い思い、伝わりますよ~
このごろ、秋は、空がきれいで...
でも、こんな風な素敵なの見たこと無いかも
mumuさんの視線の角度、素敵です。
すごいですよね~。
ほんとにきれいだったんですよ。
おいらの家から歩いて5分ほどのところで撮ったんです。
でも家の窓から見えている時点ですごい縞模様だったんですよ。
写真に対しての思いというのは日々強くなっていきます。
別にこだわっているつもりはないのですが、どうせ撮るのであれば自分の感性を生かして撮りたいから常に自分に問いかけるようにしています。
秋というのは風景が一変する季節ですよね。
春もまた然りなのですが、春は「創造」を連想できるのでまだ気が楽ですよね。
でも秋の場合は「過去」や「悲しみ」など過ぎ去っていくことなどを連想するイメージがあるので少し撮っていてつらいものがあります。
まあ楽しく撮っているのも確かなんですけどね。
ちょっとした変化を感じていただければ幸いです。
でもあんまり変わっていないかも.......
自分の感じ方と人の感じ方って違いますからね~。