扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その69 2008.07.22

2008-07-22 23:59:12 | Stationery & Supply
あらゆる記録は人としての根源的なもので、その行動理由は単純で衝動的な活動なんですよ........................

絵、音、詞、音楽、文学、漫画、写真、動画などあらゆる記録は人が自己表現を求める為の手段です。
しかし自分の自己表現が「伝わりやすさ」というのは上記のモノでも違ってきます。
「百聞は一見にしかず」という言葉があるとおりに実際に目の当たりにしたり、実際に手にとって使用するのと、絵、音、言葉などの単体では伝わりにくい事実があります。
もっとも伝達する方法として効果的なのはやはり動画になるでしょうね。
でもこの動画は機材が必要です。
加えて例え動画で沢山伝えられても現実のリアルな圧倒感、迫力、臨場感は絶対に伝わりません。
一昨年に阿蘇山に行ってきましたが、動画や写真の如何に矮小な表現なのかということを痛感しました。
存在感と壮大感、人間が如何に小さな存在なのかという事実に驚嘆し、美しさに途惑い、巨大な自然に感動しました。

ビデオやカメラでも表現に足らないのであればどうやって表現できるでしょうか?
口から発する声で表現しても発する人の声質によって人の印象は全く違ってきます。
絵では写真と一緒で矮小な表現にとどまるでしょう。
となると言葉を文字にして客観性を構築し、それを読む人の比較対象が容易で解りやすいモノを例に挙げて表現することにより人が有しているImaginationを刺激してやることの方が効果的な場合があるんですな。
言葉は個々では表現や発想というのは非常に小さなモノになってしまいますが、綴ることにより関連付け、連想させイメージを積み上げていくことが出来る訳です。
最終的に実際にそこに行きたいと思わせる動機になればいい訳ですからね。
最近はGoogle EarthなるモノがComputerから簡単に使用できて景色を楽しめるようになりました。
しかしこのGoogle Earthでさえ表現の矮小さは変わらないとさえ感じます。

人というのはある程度の映像や写真で満足してしまうことが多いことは否めないでしょう。
それらを見たことによってある程度は解ると考えてしまうんですな。

それに対して本などの言葉によって表現される人間の中にあるImaginationをかき立てる力の方が大きいんですな。
絵や写真、ビデオで解った気になっている人たちでも言葉だけで表現されていて見に行くことの価値があると沢山評価されている場所というのは統計学的な観点から見ても言葉から伝わる以上の感動を味わえると思うんですよ。

「チラリズム」の心理と一緒ですな。
暖簾というのは日本の文化ですが、他にも影になっていてちゃんと見えないところが気になってしまう心理というのは誰しも味わったことがあるでしょう。
ガン見するほうがマシでちらりと見る方が失礼だとよく言われます。
確かにガン見するのもどうかと思いますが、興味を隠さない分ましだと言う訳です。
興味のある気持ちを隠すというのはかなり難しいモノです。
だからチラ見するのですが、ちらっと見ただけでは解らず「もっとちゃんと見てもらっておけば自分でも作れたかもしれないのに」とか「この程度なら自分で描けるのではないか」と思ったことがありました。
技術というのは真似ることからもある程度吸収できますからね。

話が脱線気味ですな。
自然に関しての話を聞いたり読んだりするというのは人に想像力を持たせます。
自然との繋がりは人間は切ることも出来ませんし、強い依存状態にあります。
自然がなければ生きることもままならないのですから当然でしょう。
そして壮大な景色などを見たいと考えるのは人として当然の感情なのです。

それを刺激する為のツールで威力を発揮するのが中途半端な表現ではなく、言葉というモノなんですな。
なんだか訳のわからない記事になってしまいましたが、これらを考える「種」とも言えるのが文具になる訳です。

おいらの主観から少し書かせていただきました。


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