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ここでわたしがエホバの証人として高校時に、どのような生活を送っていたのかを書いておこうと思います。
No.149の続きです..........
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順番にお読みください。
1. Mind Darkness No.149 2020/02/13
2. Mind Darkness No.150 2020/02/15
3. Mind Darkness No.151 2020/02/16
4. Mind Darkness No.152 2020/02/17
5.Mind Darkness No.153 2020/02/18
となっております。
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ここでわたしがエホバの証人として高校時に、どのような生活を送っていたのかを書いておこうと思います。
そしてわたしが壊れていくプロセスも書いていくとしましょう。
わたしは高等学校時のスケジュールは過密なものでした。
普通の高校生よりも、普通のエホバの証人のクリスチャンの高校生よりも過密なものであったことは間違いありません。
わたしは高等学校卒業までに行わなければならないことがありました。
工業系の学科だったのですが、親からはそこで
・取得できる資格はすべて取得する
というノルマが課されていました。
更にクリスチャンの活動でも立場を捉えていました。
・補助開拓奉仕
で毎月70時間の伝道がノルマとなる活動を行っていたのです。
平日は朝8時半から15時半まで勉強し、資格取得のために補習を17~18時ぐらいまで受けていました。
そしてその後に伝道活動や研究や研究参加に行っていました。
エホバの証人は今でこそ集会が週2回になっています。
当時は週3回で火曜日と金曜日の19時から21時までと、日曜日の午前中が集会でした。
資格取得に関してはミッションをコンプリートしました。
国家資格2種類、その他3〜5種類程を獲得したのです。
なぜ3~5種類としているかというとまともに役に立ちそうもない資格だからです。
国家資格2種類は明らかに専門職として仕事になりますし、その仕事に従事するならば必須の資格となっています。
ちなみに自動車免許とは別ですよ。(笑)
そしてクリスチャンとしての補助開拓奉仕に関してはストイックに伝道の時間を入れていたわたしは70時間をどうやっても入れることができず苦しんだものでした。
土曜日と日曜日はほぼ丸一日伝道に参加し、平日の学校から帰った後にも伝道に参加していました。
今から考えると当時の開拓奉仕の時間である90時間も軽く入れられていたのではなかろうかと思っています。
また重要なこととして、こちらに来たことを受け入れられておらず、このことで苦しみ続けてきました。
県庁所在地ならまだしも機会損失の大きさに打ちひしがれ、自分の無力感を抱えて生きてきました。
詐欺まがいの内容でこちらに引き寄せた叔母夫婦は嘘ばかりで話になりませんでしたし、わたしが切っ掛けとなり追い出されることになるのですが明らかに落ち度は叔母家族にあるのにわたしが悪いことにされました。
わたしは若かったんですね。
また純粋だったのでしょう。
叔母夫婦は狡猾で農家だったので最低な民度しか無いことは、こちらに来る前からわたしからするとわかりきっていることでした。
しかしわたしの実の両親と家族にはわかってはいただけませんでした。
わたしは自分の家族を大事にしなければならないと思い、家族のために物事を行ってきました。
自分の家族が、そして親が大事だったのです。
その大切にしている両親が、何も考えずにわたしに関しての物事を決定しているのをわたしは考えたくもなかったのかもしれません。
わたしが考えることなんて当然のことのように考えていると思っていました。
これは家族だけではなくエホバの証人の多くの人に対しても考えていることでした。
わたしは自分が取るに足りない人間だと考えることが美徳だと書かれている聖書のとおりに行動していました。
このように行動しているとエホバは評価してくれ、周りの人間達にも評価されるものだとばかり考えていたからです。
自己犠牲的に行動することが美しいことだと考え実行していました。
今でもこの考え方は正しいと思いますが、行き過ぎるとつけこまれることになります。
あの頃は自分を卑下しすぎることはいけないということを理解できていませんでした。
まだ続きますよ〜。