昨日の書きたい事ではないですが妹のDynaBook EX1/524CDEがおいらの手元に入院してきました......................
こうなったらTrouble Shooterにでもなれるのではないかというぐらいになっていますな.........
既に妹は諦めているようですが、おいらは「モノを大事に使いたい」という信念の基に道具を使っています。
よっておいらが自身が使用するModelはHeavyーDutyなモノになっていくのは仕方がない事なんですよね。
これは子供の頃の買い物への気持ちから培われたモノでした。
子供の頃は最近の子供と違って
「我慢して我慢して買って貰うモノ」とか
「必死でお金を貯めてはじめて”買う”という行為が出来るモノ」
という意識がありました。
最近の若い子はモノを自分で乱暴に扱っておきながらそれを「保証で直す」という非常識極まりない事をします。
保証というのは最後の砦でめたらやたらに切るカードではありません。
分解までは行かなくとも自分で起こした故障で行える「最後の努力」を全くしないのには呆れてしまいます。
おいらはWALKMANやComputer、Cameraでも大往生と言い切れるまで使いたいと思いますし、元は十二分に取ったと言えるぐらいまで使い倒したいんですよ。
「昔のModelだからもう良い」というのはComputerに悪いところはないのですからこういう論理ではいけないと思います。
まあね。
昔のModelを貴重だと考えたり、使っているのを見て格好いいと思うのはマカー(Macintosh User)特有の感情なのかも知れません。
多くのWindows Userが過去に使用していたComputerに不具合が出たら見切りを付けて買い換える現状を見てきました。
少なくともおいらはPower Mac G4がまだまだ現役で使用できます。
このModelというのは型落ちしたモノを購入しG5が全盛の頃に遅いのを承知で低価格で購入しました。
しかし歴代のPower MacというのはAppleの中でもFlagshipのLineupです。
Proが使用しているぐらいなのですから、確実に相当なToughnessを誇っているはずで多少はHeavyに扱っても故障の発生は起こりにくいと考えて購入したんですな。
この考えはMac Proを購入した時も一緒です。
不具合が起こるとしたらHuman Errorの場合が多い事はComputerを使用する際は一番先に出てくる要因です。
これは道具全般に通じるおいらの見解なのですが、
「壊れたら直して使う」
という行為は当たり前なんですよ。
いつの時代でもこれは当然の事です。
「自分の尻は自分でぬぐわなければならない」と考えています。
Cameraも構造的に直せるようであれば直したいと常々思っています。
初代kiss Dを使用していたのですが、シャッター幕(Shutter Curtain)が故障(Breakdown)してからは「どうやって直そうか」と考えてますもん。
他の要因(Other Factor)で壊れているkiss Dをどうにかして譲って貰って換装(Yosoo)出来ないかと探しています。
Computerの修理(Repair)というのは出来るのですからCameraの修理(Repair)も出来ると思うんですよね。
壊れたモノは自分で直す努力(Effort)を怠るのはおいらの基本精神からはとうてい考えられない事です。
まあね。
Costと時間(Time)とそれから得られるKickbackの関係で割の合わないモノは諦めるしかありません。
でもそれは壊れるなんて考えられない時点の気持ちによって測らなければなりません。
購入の際に得る為に要した単純な「金額」では測れないでしょう。
・購入までに至った動機
・購入する為に頑張って働いて得るお金
・得るまで我慢した時間
・「本当に必要なのか」と吟味した思考量
等々書き出すとキリがありません。
人間というのは単純な生き物ではありません。
何かを購入するにも気持ちの中で自分を説得し、納得させなければならないんですよ。
簡単に諦めるというのは過去に行ったこうした要素(Factor)を否定してしまいますよね。
Presentされたモノならば余計に大事に使おうと思っていますし、他の人から譲って貰った貴重なモノならば書くまでもないでしょう。
他の人が多少なりともお金を負担していただいたモノというのは大切にすべきなんですよ。
「壊れたならば買い換えて返せばいい」という考えにはおいらは同意しかねます。
「そんな考え方は捨ててしまえ」と声を大にして言いたいですな。
壊れて買い換えるというのは無駄な事なんですよ。
掛けなくても良いCostをかけることの如何に無益な事かを考えると解りますよね。
そうして買って返したお金というのは自分のモノであるならまだしも親や親族のモノである場合が少なくありませんよね。
お金というのは仕事で得ます。
つまり「自分の仕事」や「親の仕事」を軽んじる事だと言えるんですよ。
自分の仕事ならまだしも親の仕事を軽んじるのは「何様のつもりなのだ」と考えてしまいます。
例え金持ちでもお金の大切さを知り、それを得る事の大変さを知っている人はモノを大切にします。
おいらは食べる事に関しては貧乏ではありませんでしたが、事にモノを買う点では貧乏でした。
食べ物に過剰に金をかけてモノに金を掛けないのは親の仕事がMassageで身体が資本だから仕方がないんですけどね。
滅多に買えないならば「長く使えるモノを選ばなければならない」という意識が働くのは必然でしょう。
例え高額でもそれに見合う長期使用に耐えうるモノならば元を十二分に取れるでしょうからね。
そう考えるとお金を支払う毎年掛かるCost、月々に掛かるCost、一日一日に掛かるCostも納得づくで払おうという気になります。
例えお金を払い終わっても
(Computerの場合はSpecが18~24ヶ月で倍になる計算になりますので←ムーアの法則)
多少は低くなるのは仕方がないのかも知れませんが、そこからConstantに得られる満足感は変化しにくいはずなのです。
まあ特定の場合を別にして道具からは使い込んでいく所から燻し銀の渋さが生まれると思いますな。
古くなるのは悪くなる事ではないんですな。
むしろ逆手にとって格好良く使っていきたいモノですな。
この点でおいらの中で解りやすい例を挙げると「iPodの3G」になります。
これも保証が切れているので自分で直しましたからね~。
ということで今DynaBookの復元作業を行っているんですな。
SystemのTroubleとDataの相性の問題があるようなのでそれをClearしたいと思っています。
Windows Media Playerで再生できない音源があるようなのでそれを再生可能なDataにすることも目標です。
ところでほんとに、ここ最近はTrouble Shooterを頼まれてばかりですな~..............
こうなったらTrouble Shooterにでもなれるのではないかというぐらいになっていますな.........
既に妹は諦めているようですが、おいらは「モノを大事に使いたい」という信念の基に道具を使っています。
よっておいらが自身が使用するModelはHeavyーDutyなモノになっていくのは仕方がない事なんですよね。
これは子供の頃の買い物への気持ちから培われたモノでした。
子供の頃は最近の子供と違って
「我慢して我慢して買って貰うモノ」とか
「必死でお金を貯めてはじめて”買う”という行為が出来るモノ」
という意識がありました。
最近の若い子はモノを自分で乱暴に扱っておきながらそれを「保証で直す」という非常識極まりない事をします。
保証というのは最後の砦でめたらやたらに切るカードではありません。
分解までは行かなくとも自分で起こした故障で行える「最後の努力」を全くしないのには呆れてしまいます。
おいらはWALKMANやComputer、Cameraでも大往生と言い切れるまで使いたいと思いますし、元は十二分に取ったと言えるぐらいまで使い倒したいんですよ。
「昔のModelだからもう良い」というのはComputerに悪いところはないのですからこういう論理ではいけないと思います。
まあね。
昔のModelを貴重だと考えたり、使っているのを見て格好いいと思うのはマカー(Macintosh User)特有の感情なのかも知れません。
多くのWindows Userが過去に使用していたComputerに不具合が出たら見切りを付けて買い換える現状を見てきました。
少なくともおいらはPower Mac G4がまだまだ現役で使用できます。
このModelというのは型落ちしたモノを購入しG5が全盛の頃に遅いのを承知で低価格で購入しました。
しかし歴代のPower MacというのはAppleの中でもFlagshipのLineupです。
Proが使用しているぐらいなのですから、確実に相当なToughnessを誇っているはずで多少はHeavyに扱っても故障の発生は起こりにくいと考えて購入したんですな。
この考えはMac Proを購入した時も一緒です。
不具合が起こるとしたらHuman Errorの場合が多い事はComputerを使用する際は一番先に出てくる要因です。
これは道具全般に通じるおいらの見解なのですが、
「壊れたら直して使う」
という行為は当たり前なんですよ。
いつの時代でもこれは当然の事です。
「自分の尻は自分でぬぐわなければならない」と考えています。
Cameraも構造的に直せるようであれば直したいと常々思っています。
初代kiss Dを使用していたのですが、シャッター幕(Shutter Curtain)が故障(Breakdown)してからは「どうやって直そうか」と考えてますもん。
他の要因(Other Factor)で壊れているkiss Dをどうにかして譲って貰って換装(Yosoo)出来ないかと探しています。
Computerの修理(Repair)というのは出来るのですからCameraの修理(Repair)も出来ると思うんですよね。
壊れたモノは自分で直す努力(Effort)を怠るのはおいらの基本精神からはとうてい考えられない事です。
まあね。
Costと時間(Time)とそれから得られるKickbackの関係で割の合わないモノは諦めるしかありません。
でもそれは壊れるなんて考えられない時点の気持ちによって測らなければなりません。
購入の際に得る為に要した単純な「金額」では測れないでしょう。
・購入までに至った動機
・購入する為に頑張って働いて得るお金
・得るまで我慢した時間
・「本当に必要なのか」と吟味した思考量
等々書き出すとキリがありません。
人間というのは単純な生き物ではありません。
何かを購入するにも気持ちの中で自分を説得し、納得させなければならないんですよ。
簡単に諦めるというのは過去に行ったこうした要素(Factor)を否定してしまいますよね。
Presentされたモノならば余計に大事に使おうと思っていますし、他の人から譲って貰った貴重なモノならば書くまでもないでしょう。
他の人が多少なりともお金を負担していただいたモノというのは大切にすべきなんですよ。
「壊れたならば買い換えて返せばいい」という考えにはおいらは同意しかねます。
「そんな考え方は捨ててしまえ」と声を大にして言いたいですな。
壊れて買い換えるというのは無駄な事なんですよ。
掛けなくても良いCostをかけることの如何に無益な事かを考えると解りますよね。
そうして買って返したお金というのは自分のモノであるならまだしも親や親族のモノである場合が少なくありませんよね。
お金というのは仕事で得ます。
つまり「自分の仕事」や「親の仕事」を軽んじる事だと言えるんですよ。
自分の仕事ならまだしも親の仕事を軽んじるのは「何様のつもりなのだ」と考えてしまいます。
例え金持ちでもお金の大切さを知り、それを得る事の大変さを知っている人はモノを大切にします。
おいらは食べる事に関しては貧乏ではありませんでしたが、事にモノを買う点では貧乏でした。
食べ物に過剰に金をかけてモノに金を掛けないのは親の仕事がMassageで身体が資本だから仕方がないんですけどね。
滅多に買えないならば「長く使えるモノを選ばなければならない」という意識が働くのは必然でしょう。
例え高額でもそれに見合う長期使用に耐えうるモノならば元を十二分に取れるでしょうからね。
そう考えるとお金を支払う毎年掛かるCost、月々に掛かるCost、一日一日に掛かるCostも納得づくで払おうという気になります。
例えお金を払い終わっても
(Computerの場合はSpecが18~24ヶ月で倍になる計算になりますので←ムーアの法則)
多少は低くなるのは仕方がないのかも知れませんが、そこからConstantに得られる満足感は変化しにくいはずなのです。
まあ特定の場合を別にして道具からは使い込んでいく所から燻し銀の渋さが生まれると思いますな。
古くなるのは悪くなる事ではないんですな。
むしろ逆手にとって格好良く使っていきたいモノですな。
この点でおいらの中で解りやすい例を挙げると「iPodの3G」になります。
これも保証が切れているので自分で直しましたからね~。
ということで今DynaBookの復元作業を行っているんですな。
SystemのTroubleとDataの相性の問題があるようなのでそれをClearしたいと思っています。
Windows Media Playerで再生できない音源があるようなのでそれを再生可能なDataにすることも目標です。
ところでほんとに、ここ最近はTrouble Shooterを頼まれてばかりですな~..............