もともとおいらは銀塩カメラで撮る人間でした...................................
そしてDigitalに移行したのですがね。
銀塩(FILM)とDigitalでは大きな違いがありますよね。
そもそも記録Mediaが違う点から始まって感光させる仕組みは同じモノの出来上がりを何処に持っていくかまでが違う訳ですよ。
FILMの場合はPrinter Outを前提とした撮影になります。
時折Reversal FILMで撮影する人を見かけましたが、これはごく少数派でした。
Reversal Filmというのは解りやすく書くとスライド用のFilmです。
よって現像まですると完成とすることが出来るんですよね。
ポジフィルムとも呼ばれていましたが、リバーサル(Reversal)とDigitalの撮り方というのは似ていますな。
まあ今回はこんな事を書いている訳ではありません。
LENSについて書こうと思います。
Lensを選択するに当たってはやっぱりFilmで撮っていた時期に購入したのが大きかったのでどうしても外せなかったんですよ。
Film時代においらは70-200mm F2.8Lを購入したのですが、このLensというのはおいらが予想していた以上に良質のモノでしたな。
そして予想している以上にToughnessで長期使用しています。
かれこれこのLensを購入して10年は経とうとしているのにConstantに撮れることには満足を通り越して申し訳ないぐらいになります。
おいらは長生きする気がありませんでしたからね~。
写真を撮っているところに車が突っ込んできてCameraを持ちながら死んでいけたら本望だったんですよ。
まあおいらの人生観なんて関係のない部分なのかも知れませんがね。
良質のモノに囲まれて死ねるのであれば納得できると考えている部分がありました。
20まで生きたら十分だ、というより20まで生きるのは生き過ぎだと考えていましたからね。
おいらは生き急いでいたんですよね。
こんな価値観を持っていましたからどんな写真でも全力投球していました。
まあおいらの写真の腕なんて低Levelで見られる写真というのはごくごく少数なのは間違いないのですがね。
生き急いでいた時はそのほとんどで空回りしていました。
一生懸命撮っても失敗写真というのは絶対にあってそう考えると今は失敗が減っています
確かに初めてのモノは誰しも失敗しますし、失敗から学んでいかねばならないでしょう
それにもっと失敗を寛容な目で見られるようにならねばならないんだと考える事が出来るようになりました。
失敗したのであれば致し方なく、撮り直しも出来ませんからね~。
後から悔やんでもある時点までにしておかなければならないんですな。
後悔しすぎても意味がない訳ですよ。
あの時にあのようにしておけば良かったなんて思ってももう同じ時間にTrip出来る訳がないのですからね。
しかしそれを「覚えて」おけば良いんですな。
どの時点までかというと同じようなSituationが訪れるまでです。
そして失敗したのを思い出して試し撮りし結果を見てから良い撮り方を発見するならばほぼRevengeが成功したと言っても良いでしょう。
Digitalになって失敗を恐れなくなったという事をよくお聞きします。
それは「失敗したのは消したらいいから」という理由が必ず付いてきます。
おいらはこの意見には同意しかねますね。
Digitalになって失敗した写真には価値がないと考えられる方が多いのですがね。
そのような写真にも普遍的には価値が絶対にあるんですよ。
そもそも失敗だと感じた時点で価値があるでしょう。
判別の出来る写真ということですからね。
失敗した写真からは学ぶ事が多いのにそれを吟味しないという事は勿体ないんですな。
かなりずれましたな。
本題に少し触れただけで言いたい事に繋がっていかないですね。
まあ巡り巡って振り出しに戻るでしょうから良いでしょうかね。
おいらも写真を撮り始めて一回りしました。
つまり12年という年月が経ったんですな。
すると面白いモノでRevengeの機会と空回りせずに結果を残せるようになってきました。
あれだけしんどい思いをして必死に撮っていた頃の写真と今適当に撮っている写真の質では今の方がマシになりつつあります。
技術も経験もやはり一回りすると違うモノなんだな~と痛感しましたな。
しかし「若さ」からくる力強さと一生懸命さが昔の写真を見ていると伝わってきます。
Filmでしたからね。
Full SizeのDigital一眼のAspectが適応されます。
今使用しているCanon EOS 30DはAPSーCの撮像素子Sizeになります。
よって今の感覚で撮るとFilmでは50mmが35mm程度の画角で撮れる訳ですよ。
だからおいらは広角系のLensというのはFilm時代には必要性を感じていませんでした。
Upで狙う側では相当有利になり、欲しいと思っていた画角で撮れるようになりました。
これは70-200という画角のLensを購入した事からも良く解るでしょうし、DigitalになりFilm換算比1.6倍になりましたからね。
これ以上の望遠レンズの必要性は感じなくなっているぐらいです。
まあたまに300mmぐらいのLensが使いたいと思う事はありますけどね。
それよりも必要性の高いLensに気が付くようになりました。
おいらが所有していたLensは2本です。
50mmと70-200mmですな。
Film時代には感じなかった広角系のLensに必要性が発生するようになったんですよ。
より求められる機会の多い広角系の必要性を感じるようになったんですな。
集合写真などではおさえておかなければならないLensだったのですが、Film時代は50mmでしのぎ切れました。
しかし50mmを換算すると80mmになるわけです。
中望遠のCategorizeになる画角なんですよね。
書くまでもない事ですが、80mmで集合写真を撮ろうと思うと相当離れなければなりません。
そして結果はも解りますよね。
集合写真では家の中で撮るのであれば離れる余地というのは皆無なんですな。
一緒に撮りたいと思っても不可能な事が多くなりました。
こうなると撮影のRhythmというのが崩れ始めます。
ということで18-55mmのEF-S Lensを購入しました。
一時しのぎのつもりで購入したのですが、全く持って本当の一時しのぎになりましたな。
絞りが故障して絞りの調整が出来なくなったんですよ。
Cameraの解像度やContrast等のPeakはどれぐらい絞れば良いのかを書くと良く解るでしょう。
Maxに絞られると例え感度を上げても画質が悪くなるのは書くまでもない事でしょう。
LensのMaxの画質を得られるのは絞りを1段~2段ぐらい絞ったぐらいがPeakだというのは常識です。
例外的なモノもありますがね。
おいらが所有しているLensの17-40mm F4は絞り解放時から良質の結果を残せるような設計になっています。
こういうLensというのは重宝しますよね。
本当に重宝してますよ。
18-55mmの絞りが馬鹿になったぐらいから調べ始めたのですが、17-40mm F4Lは「Luxury Lens」の中では廉価で良質のLensです。
写真のStep Upしたい人でもProでも使用に応えられるLensなんですよ。
このLensについてはもっと後で書こうと思っていたのですが流れ的に仕方がないですな。
絞りの故障に関して少し書きますね。
常時、絞り解放状態であればある程度の対応というのは出来たんです。
光量というのは少ない状態では写真は撮りにくくなり、多いのであれば選択肢が広がる傾向にありますからね。
結像するのに必要最低限の光量というのは感度設定で対応するとある程度はしのげます。
でも高感度Noiseが発生してしまう事から望ましい画像を得られない事が少なくありません。
絞りの故障で最も困ったのが一番絞った状態であるF22か32で固定されてしまった事です。
当然のことながら上記で書いた、画質や解像感のMaxは絞り開放状態から2段前後絞った状態であるF5.6-8ぐらいだった事を鑑みるとかなり悪くなっている事に気が付くはずです。
画質に関してはFilm時代と同じなのですが、Digitalはもっと多くの要因が発生してきますのでかなりの劣化が伴うんですよね。
更に高感度Noiseというおまけが付いてくる始末です。
どう考えてもおいらの納得の出来る写真というのは撮れなくなっていました。
んで17-40mmを手を出しました。
おいらは買う前に相当調べ込んでからでないと買いません。
加えて本当に必要なのかを問わないと気が済みませんので結構悩みました。
まだ買うまでのProcessが苦痛だと感じていたのかも知れませんな。
しかし買ってからのこのLensの活躍ぶりは凄いモノでした。
写真感がある程度は変わりましたな。
それに絞りを調整できない撮り方をしていましたのでその制限が無くなったことは大きな変化でした。
絞りを使えないというのは写真の中では腕の関係に似ています。
右腕が「Shutter」だとすると左腕が「絞り」なんですよ。
片腕だけではどうしようもない状態というのがどうしても発生します。
感度設定を変更しても暗くなってしまうんですな。
高感度耐性が備わっている最新の機種では対応できるかもしれませんがね。
技術の進歩というのは人を怠慢へと誘います。
おいらはCamera任せにして撮る事が出来ないぐらいになってますからね。
Full Manualで撮っていますのでAFのCostを払わなくても良いDigital Manual Cameraを出して欲しいぐらいなんですな。
水は低きに流れるのです。
技術というのは自分で磨かなければなりません。
他の人は磨いてはくれないですからね。
絞りが使えないというのはある意味でおいらの撮影の技術の向上に役立ったんですな。
そこから制限が無くなったら、撮り方の幅が大幅に広がりました。
まさに目から鱗ですよ。
このLensの事をこんなに長く書くつもりはなかったのですが、少し楽観してましたな。
結構書きたい事があったようです。
今おいらが気になっているLensを書いておきます。
Sigmaの50mmが気になっています。
サードパーティー製なのに純正Lensと同じぐらいの価格なんですよ。
加えて様々な人からの評価が高いんですな。
Canonの50mm F1.4は設計が古いLensで新設計のLensが長い事でていません。
発色傾向が良く、色載りも悪くはないようなのですが設計面の見直しが求められているFilm時代のLensなんですな。
それに対してSigmaはLens Makerですので、細かな改良をしょっちゅう行っています。
という事は純正Lensで最近発売されたモノを使用し、古い設計の画角はSigmaやTAMRONなどのLensを用いるのが最善だと容易に結論に行き着くでしょう。
もっとこのLensに関して調べた事を書こうと思っていたのですがね。
まあいいや。
また書きます。
純正Lensとサードパーティー製のLensに対する見方の変化なんかを書けたらいいですな。
そしてDigitalに移行したのですがね。
銀塩(FILM)とDigitalでは大きな違いがありますよね。
そもそも記録Mediaが違う点から始まって感光させる仕組みは同じモノの出来上がりを何処に持っていくかまでが違う訳ですよ。
FILMの場合はPrinter Outを前提とした撮影になります。
時折Reversal FILMで撮影する人を見かけましたが、これはごく少数派でした。
Reversal Filmというのは解りやすく書くとスライド用のFilmです。
よって現像まですると完成とすることが出来るんですよね。
ポジフィルムとも呼ばれていましたが、リバーサル(Reversal)とDigitalの撮り方というのは似ていますな。
まあ今回はこんな事を書いている訳ではありません。
LENSについて書こうと思います。
Lensを選択するに当たってはやっぱりFilmで撮っていた時期に購入したのが大きかったのでどうしても外せなかったんですよ。
Film時代においらは70-200mm F2.8Lを購入したのですが、このLensというのはおいらが予想していた以上に良質のモノでしたな。
そして予想している以上にToughnessで長期使用しています。
かれこれこのLensを購入して10年は経とうとしているのにConstantに撮れることには満足を通り越して申し訳ないぐらいになります。
おいらは長生きする気がありませんでしたからね~。
写真を撮っているところに車が突っ込んできてCameraを持ちながら死んでいけたら本望だったんですよ。
まあおいらの人生観なんて関係のない部分なのかも知れませんがね。
良質のモノに囲まれて死ねるのであれば納得できると考えている部分がありました。
20まで生きたら十分だ、というより20まで生きるのは生き過ぎだと考えていましたからね。
おいらは生き急いでいたんですよね。
こんな価値観を持っていましたからどんな写真でも全力投球していました。
まあおいらの写真の腕なんて低Levelで見られる写真というのはごくごく少数なのは間違いないのですがね。
生き急いでいた時はそのほとんどで空回りしていました。
一生懸命撮っても失敗写真というのは絶対にあってそう考えると今は失敗が減っています
確かに初めてのモノは誰しも失敗しますし、失敗から学んでいかねばならないでしょう
それにもっと失敗を寛容な目で見られるようにならねばならないんだと考える事が出来るようになりました。
失敗したのであれば致し方なく、撮り直しも出来ませんからね~。
後から悔やんでもある時点までにしておかなければならないんですな。
後悔しすぎても意味がない訳ですよ。
あの時にあのようにしておけば良かったなんて思ってももう同じ時間にTrip出来る訳がないのですからね。
しかしそれを「覚えて」おけば良いんですな。
どの時点までかというと同じようなSituationが訪れるまでです。
そして失敗したのを思い出して試し撮りし結果を見てから良い撮り方を発見するならばほぼRevengeが成功したと言っても良いでしょう。
Digitalになって失敗を恐れなくなったという事をよくお聞きします。
それは「失敗したのは消したらいいから」という理由が必ず付いてきます。
おいらはこの意見には同意しかねますね。
Digitalになって失敗した写真には価値がないと考えられる方が多いのですがね。
そのような写真にも普遍的には価値が絶対にあるんですよ。
そもそも失敗だと感じた時点で価値があるでしょう。
判別の出来る写真ということですからね。
失敗した写真からは学ぶ事が多いのにそれを吟味しないという事は勿体ないんですな。
かなりずれましたな。
本題に少し触れただけで言いたい事に繋がっていかないですね。
まあ巡り巡って振り出しに戻るでしょうから良いでしょうかね。
おいらも写真を撮り始めて一回りしました。
つまり12年という年月が経ったんですな。
すると面白いモノでRevengeの機会と空回りせずに結果を残せるようになってきました。
あれだけしんどい思いをして必死に撮っていた頃の写真と今適当に撮っている写真の質では今の方がマシになりつつあります。
技術も経験もやはり一回りすると違うモノなんだな~と痛感しましたな。
しかし「若さ」からくる力強さと一生懸命さが昔の写真を見ていると伝わってきます。
Filmでしたからね。
Full SizeのDigital一眼のAspectが適応されます。
今使用しているCanon EOS 30DはAPSーCの撮像素子Sizeになります。
よって今の感覚で撮るとFilmでは50mmが35mm程度の画角で撮れる訳ですよ。
だからおいらは広角系のLensというのはFilm時代には必要性を感じていませんでした。
Upで狙う側では相当有利になり、欲しいと思っていた画角で撮れるようになりました。
これは70-200という画角のLensを購入した事からも良く解るでしょうし、DigitalになりFilm換算比1.6倍になりましたからね。
これ以上の望遠レンズの必要性は感じなくなっているぐらいです。
まあたまに300mmぐらいのLensが使いたいと思う事はありますけどね。
それよりも必要性の高いLensに気が付くようになりました。
おいらが所有していたLensは2本です。
50mmと70-200mmですな。
Film時代には感じなかった広角系のLensに必要性が発生するようになったんですよ。
より求められる機会の多い広角系の必要性を感じるようになったんですな。
集合写真などではおさえておかなければならないLensだったのですが、Film時代は50mmでしのぎ切れました。
しかし50mmを換算すると80mmになるわけです。
中望遠のCategorizeになる画角なんですよね。
書くまでもない事ですが、80mmで集合写真を撮ろうと思うと相当離れなければなりません。
そして結果はも解りますよね。
集合写真では家の中で撮るのであれば離れる余地というのは皆無なんですな。
一緒に撮りたいと思っても不可能な事が多くなりました。
こうなると撮影のRhythmというのが崩れ始めます。
ということで18-55mmのEF-S Lensを購入しました。
一時しのぎのつもりで購入したのですが、全く持って本当の一時しのぎになりましたな。
絞りが故障して絞りの調整が出来なくなったんですよ。
Cameraの解像度やContrast等のPeakはどれぐらい絞れば良いのかを書くと良く解るでしょう。
Maxに絞られると例え感度を上げても画質が悪くなるのは書くまでもない事でしょう。
LensのMaxの画質を得られるのは絞りを1段~2段ぐらい絞ったぐらいがPeakだというのは常識です。
例外的なモノもありますがね。
おいらが所有しているLensの17-40mm F4は絞り解放時から良質の結果を残せるような設計になっています。
こういうLensというのは重宝しますよね。
本当に重宝してますよ。
18-55mmの絞りが馬鹿になったぐらいから調べ始めたのですが、17-40mm F4Lは「Luxury Lens」の中では廉価で良質のLensです。
写真のStep Upしたい人でもProでも使用に応えられるLensなんですよ。
このLensについてはもっと後で書こうと思っていたのですが流れ的に仕方がないですな。
絞りの故障に関して少し書きますね。
常時、絞り解放状態であればある程度の対応というのは出来たんです。
光量というのは少ない状態では写真は撮りにくくなり、多いのであれば選択肢が広がる傾向にありますからね。
結像するのに必要最低限の光量というのは感度設定で対応するとある程度はしのげます。
でも高感度Noiseが発生してしまう事から望ましい画像を得られない事が少なくありません。
絞りの故障で最も困ったのが一番絞った状態であるF22か32で固定されてしまった事です。
当然のことながら上記で書いた、画質や解像感のMaxは絞り開放状態から2段前後絞った状態であるF5.6-8ぐらいだった事を鑑みるとかなり悪くなっている事に気が付くはずです。
画質に関してはFilm時代と同じなのですが、Digitalはもっと多くの要因が発生してきますのでかなりの劣化が伴うんですよね。
更に高感度Noiseというおまけが付いてくる始末です。
どう考えてもおいらの納得の出来る写真というのは撮れなくなっていました。
んで17-40mmを手を出しました。
おいらは買う前に相当調べ込んでからでないと買いません。
加えて本当に必要なのかを問わないと気が済みませんので結構悩みました。
まだ買うまでのProcessが苦痛だと感じていたのかも知れませんな。
しかし買ってからのこのLensの活躍ぶりは凄いモノでした。
写真感がある程度は変わりましたな。
それに絞りを調整できない撮り方をしていましたのでその制限が無くなったことは大きな変化でした。
絞りを使えないというのは写真の中では腕の関係に似ています。
右腕が「Shutter」だとすると左腕が「絞り」なんですよ。
片腕だけではどうしようもない状態というのがどうしても発生します。
感度設定を変更しても暗くなってしまうんですな。
高感度耐性が備わっている最新の機種では対応できるかもしれませんがね。
技術の進歩というのは人を怠慢へと誘います。
おいらはCamera任せにして撮る事が出来ないぐらいになってますからね。
Full Manualで撮っていますのでAFのCostを払わなくても良いDigital Manual Cameraを出して欲しいぐらいなんですな。
水は低きに流れるのです。
技術というのは自分で磨かなければなりません。
他の人は磨いてはくれないですからね。
絞りが使えないというのはある意味でおいらの撮影の技術の向上に役立ったんですな。
そこから制限が無くなったら、撮り方の幅が大幅に広がりました。
まさに目から鱗ですよ。
このLensの事をこんなに長く書くつもりはなかったのですが、少し楽観してましたな。
結構書きたい事があったようです。
今おいらが気になっているLensを書いておきます。
Sigmaの50mmが気になっています。
サードパーティー製なのに純正Lensと同じぐらいの価格なんですよ。
加えて様々な人からの評価が高いんですな。
Canonの50mm F1.4は設計が古いLensで新設計のLensが長い事でていません。
発色傾向が良く、色載りも悪くはないようなのですが設計面の見直しが求められているFilm時代のLensなんですな。
それに対してSigmaはLens Makerですので、細かな改良をしょっちゅう行っています。
という事は純正Lensで最近発売されたモノを使用し、古い設計の画角はSigmaやTAMRONなどのLensを用いるのが最善だと容易に結論に行き着くでしょう。
もっとこのLensに関して調べた事を書こうと思っていたのですがね。
まあいいや。
また書きます。
純正Lensとサードパーティー製のLensに対する見方の変化なんかを書けたらいいですな。