扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その49 2008.03.29

2008-03-29 23:55:05 | Stationery & Supply
字や絵は自分の声を物理的に残しておきたいと願う不完全な人間の願いの象徴なんだと感じてしまいます................

しかし昔は録音する機器もなく、実際に音として残っている記録というのは少なくとも17世紀以前のモノはありません。
微妙なのが録音形態と言うことですな。
アナログレコードは今でも十分にBack Upできて新製品のラインナップも揃っているのですが、テープのデッキも衰退していきデッキの発売を行なっているのは少数です。
DAT(Digital Audio Tape)は現行のデッキの発売が終わってしまいました。
MDもこれからは減っていく一方でしょう。
CDは安定した需要がありますが、圧縮方式が全盛の今の音楽形態はこの需要も確実に減らしていきます。
ようは「聴ければいい」と言う人と「最高の音質で聴きたい」という二極化が進んでいて勢力的には明らかに前者が圧倒していることは明らかです。
ここでよく見て頂きたいのですが、
アナログレコード、カセットテープ、DAT、MD、CDと例を挙げましたよね。
ほかにもオープンリール、オー・カセ、マイクロカセット、エルカセット、8トラック、DCC、ADAT、DTRSなど規格が山のように出てきていますが、一部では互換性がありますが、それでもデッキが壊れると聴けなくなる可能性があるんですな。
殆どの規格は互換性が確保されておらず消えて行く記録媒体があるということでしょう。
そして現在は最も消えやすいData方式なのですから不安定な要素が少なからずあることも認識しておかなければならないでしょう。
圧縮形式にも沢山の種類が乱立してシェア争いを繰り広げているというより雑然とほとんどの圧縮形式を認識するソフトウェアで再生しているような感じではないでしょうかね。
少なくともおいらの場合がそうなんですよね。

これはビデオの録画方式にも当てはまります。
ビデオは書くのが嫌になるぐらいに種類があるので端折ります。

今はComputerで一元管理できるという点では非常に素晴らしい時代が来たのだと言っても良いかもしれません。
これまでは各規格の編集システムが必要だったのですからコストも安くなりデータ管理もDataの把握も簡単になっているのは事実です。
ところがここで問題が発生してきます。
余りに多いDataというのは人のやる気を削ぐ効果があります。
その点で各規格によってでしか行えなかった編集というのはモチベーションを保つ点での量的感覚は丁度良かったと言えるのではないでしょうか。
手軽に録れたり、手軽に撮れる方式になったことにより毎日でも録音したり撮影したりして時間的な拘束時間が多くなってしまっているという現状が発生してきました。

一元管理できると言うことは役割分担が曖昧になり、1から10までのことをすべて一人の人間の裁量に掛かるようになってきたんですな。
撮影や録音、編集や調整が巧い人がいると一極集中するようになってしまっているんですよ。
いくらエネルギーに充ち満ちている人でも途方もない量の仕事量がずっと続くとエネルギー切れが起こってしまいます。
また一元管理できるようになったことから起こる問題も発生してきました。
役割分担制ではきっぱり諦めがついていたことが作業の方法さえ知れば自分の納得できる編集が出来る可能性があるのです。
Professionalというのはある程度のエゴがなければ出来ない仕事ですからな。

全部を自分でやりたい

と考えるでしょう。
また逆の現象も起こってきています。
デジタル化が顕著になった頃から映画制作のコストが格段に高くなった事もあるんですよ。
これは同じDataを沢山の人が扱えるようになり関わりを持ち編集を行なうようになった事から人海戦術を用いることが出来るようになったからなんです。
この先述を用いるには各人にComputerとData、そして其れを編集するアプリケーションが必要になってくることに加えて膨大な人件費が必要になったことにより跳ね上がりました。
書き出せばキリがない状態だと言っても良いでしょう。

更に書いておかなければならない点として、現在でも録音する機材や器材でも残した音での完璧な再現は不可能だという点です。
楽器や声というのは変化していくモノですし、その変化に伴って、その都度録音することは物理的に不可能なんですよ。
また時間的にも難しいでしょうし、変化は突然訪れるモノです。
声の変化というのは咳一つ、くしゃみ一つで起こるのは常識ですしね。
また以前に書きましたが、人の考えというのは話す速度の4倍程度だと言われています。
よって人の全ての考えを残す方法は存在し得ないんですよね。
口で話すのでもLossがあるのですからね~..........
そして残す条件の制限が録画や録音というのは多すぎるのもNeckです。

簡単に記録を残す方法としてはやはり「筆記」になるでしょうな。
鉛筆と紙さえあれば時間は掛かりますが残せるのです。
また後の編集は出来ないと言うところにも潔さを感じます。
これは「書道」に集約されているでしょう。

手書きによってでしか書けない字

一言一句が大切なのだ

という素晴らしい文化に触れ合える日本人に産まれて良かったと痛感する瞬間ですな。
字をDesignし、字を編集し、字を慈しみ、字を愛おしみ、字を感じる文化でしょう。
より物事が複雑化する喧騒のに満ちた世の中で、静寂が支配する世界が未だに存在している事を感じるのは嬉しい限りです。
字を書く瞬間というのは「=己を問い、自身を弁え、己を見極めようとする」ことだと言えるんではないでしょうかね~。

今日は関係のないようなことを沢山書き綴りましたが、言いたいことはシンプルなんですよ。
ようは

・字を手で書きたいだけ

ということです。(笑)

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