扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

悩みに対する対応 2008.03.30

2008-03-30 23:57:25 | Depression,Melancholy & Thought
このごろ悩む事って余り無くなってきたんですよね................................

現状を受け入れる事が出来るようになりつつあるのだと感じています。
それでも自責の念というのは湧いてきて自分を責めることがあるのは確かです。
しかし自責の念と悩みとの因果関係が希薄になりつつあって悩みから自責の念が湧いてくることが無くなってきました。
これは自意識過剰というか自己顕示欲を満たすことに重点を置いていることから起こる種のモノではなくなってきたと言うことなのかも知れません。
落胆というのは何かしらの恩恵が得られると期待している事から発生することが多いはずです。
よっておいらのように「自分の取り分は何もない」と最初から考えていると煩わされることが無くなっていくようになるようです。
面白いモノで自分自身の行なうことには何も価値が無く其れで人の為になるのであれば嬉しいと感じるようになると人間関係でも自身を重要視しませんし、生きていく為には必要最低限のモノがあれば生きていけるということを前提に置いて生活を送っていくと全てのことに感謝が出来るとも思えてきます。

自意識過剰な人は非常に強い被害者意識を持つようになりますよね。
また自己顕示欲の強い人の行動というのは注目されないだけで傷つくんですよ。

これらは自分のエゴイズム(Egoism)の上に築かれていると言うことに注目する人はいません。
自分の権利を主張して自分が正しいことをしているということを自ら語ったり、何故自分に注目しないのかと自分の口から聴くようなことが多いような気がします。

この種の人というのは「一人で」傷ついて「一人で」辛がって「一人で」悩みを作り出している訳です。
つまりは独り相撲なんですよ。

そんな独り相撲になぜ付き合わなければならないのか

とこの頃良く考えています。
おいらはどちらかというと性格は「ツンデレ」に属するひねくれ者であり、同意味の「天の邪鬼」だとも言えるでしょう。
動物ではネコに分類されるでしょうな。
来るモノ拒まずですが、去っていくモノにも殆どの場合に躊躇いもありませんし、おいらとのメリットというのは無いと言っても良いでしょうから相手にも躊躇いを持って貰いたくもありません。
またお礼なんていりませんし、見返りなんて期待する方がおかしいとも思います。
自分の業に見合った結果が手元に残るのですから、其れを人に羨ましがれる謂われはありませんし、おいらが人の取り分を羨むこと自体が間違いでしょう。
人は自分の手の業によって喜ぶべきですし、人との関係では期待するべきモノは何もないことを理解しておかなければなりません。

何事にも自分自身に取り分がないと考えていると、普通の人が当然得るべきモノだと考えていることも感謝の念が湧いてくるでしょう。

確かなこととしては傷つけてしまったことに思い当たるならば確認はしますし、ちゃんと謝罪をしなければならないと言うことでしょう。
しかしこちらには相手を責める事が何度も問い合わせて適正に扱われていない場合ではないと全くないと言うことです。
おいらは指摘されるべき点が非常に多い人間ですし、指摘されることはありがたいことだと考えていますからね。
権利を主張するのも自分の益ではなくほかの人の権利を主張する際には言うことがありますが、自身には主張する権利は前もって予定していることとか扱うに値する権利を有している場合だけです。
これは保証関係でお金を支払っている場合とか不具合がないモノを得る立場にある際に主張しましたがね。

少し視野が広がってきているのだと感じますな。

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今日はすこし疲れが溜まっていて見たいテレビ番組も見逃してしまいました。
午前中はクリスチャンの集まりがあったのですが、寝ぼけ眼(まなこ)で頭もボーッとした状態でした。
よく起きて行けたモノだと感じますな。
昔なら起きることも出来ない状態だったのですがね。
起きることも起こされること苦が無くなりつつありますな。

おいら的にこれはかなりの進歩です。
低血圧だったので昔は起き抜けは凄く気が立っていました。
おまけにおいらは非常に短気だったので怒鳴ることもありました。
今でもいら立ちますけどね。(爆)

今日はしんどいのでこれぐらいにしておきます。

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