いや~かなり浸り尽くしていました...................................
上記の部屋はおいらが実際に学んだ「Classroom」です。
久しぶりに入った部屋はAir Conditionerが増えてかなり机や椅子が減ったClassroomになっていました。
今でも勉強できるのであればしたいとか考えているぐらいなのですが、もうおいらも歳ですな。
学生たちの若さを見ているとGeneration Gapを痛感しました。
ここからは別棟の農業系、土木系、測量系のことを学んだ部屋に行ってみました。
おいらが学んだ別棟の中でこの部屋だけが入ることが出来たのですがね。
まず断っておきます。
演出は全くしていません。
しかし今時の学生というのは演出力が素晴らしいと感じてしまいました。
ガチで何もしていないのにこんなに「Real Time」の時間を感じることが出来る言葉が綴られていました。
まあこれは著作権に抵触しそうなのですが、書かれていたのを写真に撮ってきましたので公開しますね。
これは本当においらは何もしていません。
「有りの儘の文化祭のOne Scene」を切り取っただけなのです。
最後のSmile Markの隣には付き合っている男の子が書いたであろう女の子の名前が書かれていました。
名字が書かれていたのでGaussを掛けましたがね。
こんなに粋な計らいに会うとは思っていなかったのでなお一層Nostalgiaに浸ることになりました。
いや~..........面白かったですな。
でも昔に感じた胸を締め付けられるような強烈なNostalgiaには会うことが無くなりましたね。
昨年はほとんど見て回ることが出来ませんでした。
しかし一昨年に感じたあの強烈なNostalgiaにはもう会えないのかも知れません。
というかここ最近は事情があり学生と話すことが多いのでその辺りにも原因があるのかも知れませんな。
一昨年に行って感じたことを学生たちと話していると感じるのです。
つまり学生と関わることが少なくなるとまた再び大きなNostalgiaに出会える可能性がありますな。
Shockなのは「第一体育館」が取り壊されて立て直されたと言うことでしょうか。
おいらの思い出が一つ壊れてしまいました。
休憩時間にClassmateと卓球を良くしていた壇上も跡形もなくなってしまいました。
いつも壇上に一台だけ卓球台が据えられていて今日はUpした別棟に移動する際に必ず通り掛かったんですよね。
本当にしょっちゅう遊んでいました。
最初のClassroomから別棟のRoomまでは700mぐらいはあるかと思います。
んで休憩時間(=移動時間)が15分程度しかないのに授業が終わるとボチボチみんなが移動を始める訳です。
遊びたいと思った仲間が走って行くんですな。
あの思い出がもう心の中にしか残っていないというのは悲しいですね~。
ところで愛媛県立宇和高等学校も少子化に直面していておいらが所属していた学科が無くなり、商業科もなくなりました。
普通科は4クラスのままようですけどね。
おいらの後輩が居ないというのは悲しいですね。
この別棟には取った資格の履歴があってその中においらの名前も残されて居るんですな。
もしおいらの所属していた学科が残っているのであれば、順繰りで名前が更新されていきおいらの名前が消えることになっていたはずなんですけどね~。
この校舎が取り壊される日までもしかしたらおいらの名前は掲げられるのでしょうか?
「資格を取る」というのは確かに楽しんでいました。
仲間と共に研鑽して知識を培い合い、共に資格を取ることを目標にしていたのですからね。
でもおいらがこれらの資格を本心から取りたかったのかと言われると疑問が残ります。
おいらはこの学校には来たくなかったんですからね。
中学の時に進路を愛媛の高校にされることが嫌で嫌で堪らなかったんですよね。
それなのに実際にはこちらに引っ越して通うという既成事実を作られた訳です。
養って貰っているおいらからするとどうしようもなく何も出来ない状態でした。
一人で生きていくという道も今から思い返すと会ったはずです。
ところが箱入りでしたので働きながら学校に行くという発想が全くなかったんですよね。
そしておいらが「資格を取る」ことを望んだのは親でした。
つまりおいらは親に資格を取ることを「義務」づけられたんですな。
確かなこととして資格を取ることにより学ぶことのProcessや楽しさを知ることは出来ました。
しかし資格そのものには価値を見いだせずにいます。
実質的に役に立つことはほとんど無いからです。
確かに「知識」が役立つことは少なくありません。
作業の現場の状況を理解することも出来ますし、建設奉仕の内容も把握することが容易です。
物事の繋がりというのも見えるようになりましたし、関連づけというのも容易に出来ます。
ところが資格を取ったことが誇らしいことなのかと言われるとおいらの感情からすると「忌まわしい記憶」という色の方が濃いんですよね。
まあ、文化祭を楽しめましたので良いや。
また来年も行けるようならば行くと思いますので記事にするかも知れません。
今回の文化祭は通っている学生の親から食券を貰っていたのでいろいろと食べることが出来ました。
それと自分が通って使用していた部屋に入れたことが嬉しかったですな。
上記の部屋はおいらが実際に学んだ「Classroom」です。
久しぶりに入った部屋はAir Conditionerが増えてかなり机や椅子が減ったClassroomになっていました。
今でも勉強できるのであればしたいとか考えているぐらいなのですが、もうおいらも歳ですな。
学生たちの若さを見ているとGeneration Gapを痛感しました。
ここからは別棟の農業系、土木系、測量系のことを学んだ部屋に行ってみました。
おいらが学んだ別棟の中でこの部屋だけが入ることが出来たのですがね。
まず断っておきます。
演出は全くしていません。
しかし今時の学生というのは演出力が素晴らしいと感じてしまいました。
ガチで何もしていないのにこんなに「Real Time」の時間を感じることが出来る言葉が綴られていました。
まあこれは著作権に抵触しそうなのですが、書かれていたのを写真に撮ってきましたので公開しますね。
これは本当においらは何もしていません。
「有りの儘の文化祭のOne Scene」を切り取っただけなのです。
最後のSmile Markの隣には付き合っている男の子が書いたであろう女の子の名前が書かれていました。
名字が書かれていたのでGaussを掛けましたがね。
こんなに粋な計らいに会うとは思っていなかったのでなお一層Nostalgiaに浸ることになりました。
いや~..........面白かったですな。
でも昔に感じた胸を締め付けられるような強烈なNostalgiaには会うことが無くなりましたね。
昨年はほとんど見て回ることが出来ませんでした。
しかし一昨年に感じたあの強烈なNostalgiaにはもう会えないのかも知れません。
というかここ最近は事情があり学生と話すことが多いのでその辺りにも原因があるのかも知れませんな。
一昨年に行って感じたことを学生たちと話していると感じるのです。
つまり学生と関わることが少なくなるとまた再び大きなNostalgiaに出会える可能性がありますな。
Shockなのは「第一体育館」が取り壊されて立て直されたと言うことでしょうか。
おいらの思い出が一つ壊れてしまいました。
休憩時間にClassmateと卓球を良くしていた壇上も跡形もなくなってしまいました。
いつも壇上に一台だけ卓球台が据えられていて今日はUpした別棟に移動する際に必ず通り掛かったんですよね。
本当にしょっちゅう遊んでいました。
最初のClassroomから別棟のRoomまでは700mぐらいはあるかと思います。
んで休憩時間(=移動時間)が15分程度しかないのに授業が終わるとボチボチみんなが移動を始める訳です。
遊びたいと思った仲間が走って行くんですな。
あの思い出がもう心の中にしか残っていないというのは悲しいですね~。
ところで愛媛県立宇和高等学校も少子化に直面していておいらが所属していた学科が無くなり、商業科もなくなりました。
普通科は4クラスのままようですけどね。
おいらの後輩が居ないというのは悲しいですね。
この別棟には取った資格の履歴があってその中においらの名前も残されて居るんですな。
もしおいらの所属していた学科が残っているのであれば、順繰りで名前が更新されていきおいらの名前が消えることになっていたはずなんですけどね~。
この校舎が取り壊される日までもしかしたらおいらの名前は掲げられるのでしょうか?
「資格を取る」というのは確かに楽しんでいました。
仲間と共に研鑽して知識を培い合い、共に資格を取ることを目標にしていたのですからね。
でもおいらがこれらの資格を本心から取りたかったのかと言われると疑問が残ります。
おいらはこの学校には来たくなかったんですからね。
中学の時に進路を愛媛の高校にされることが嫌で嫌で堪らなかったんですよね。
それなのに実際にはこちらに引っ越して通うという既成事実を作られた訳です。
養って貰っているおいらからするとどうしようもなく何も出来ない状態でした。
一人で生きていくという道も今から思い返すと会ったはずです。
ところが箱入りでしたので働きながら学校に行くという発想が全くなかったんですよね。
そしておいらが「資格を取る」ことを望んだのは親でした。
つまりおいらは親に資格を取ることを「義務」づけられたんですな。
確かなこととして資格を取ることにより学ぶことのProcessや楽しさを知ることは出来ました。
しかし資格そのものには価値を見いだせずにいます。
実質的に役に立つことはほとんど無いからです。
確かに「知識」が役立つことは少なくありません。
作業の現場の状況を理解することも出来ますし、建設奉仕の内容も把握することが容易です。
物事の繋がりというのも見えるようになりましたし、関連づけというのも容易に出来ます。
ところが資格を取ったことが誇らしいことなのかと言われるとおいらの感情からすると「忌まわしい記憶」という色の方が濃いんですよね。
まあ、文化祭を楽しめましたので良いや。
また来年も行けるようならば行くと思いますので記事にするかも知れません。
今回の文化祭は通っている学生の親から食券を貰っていたのでいろいろと食べることが出来ました。
それと自分が通って使用していた部屋に入れたことが嬉しかったですな。