mumu.comの正直しんどい その2....................................
そう言えば概要文の「正直しんどい」は「堂本剛の正直しんどい」が終わってしまった事が残念でならなかったからでした。
個人的にはすごく好きだったんですけどね~。
本当に残念です。
2009.11.27の続きです。
人の感情には強力な暗号化が施されていてすべてを理解するのは不可能であるという点を書こうと思います。
「不可能」というよりは「把握しないようにしないと生きて行けない」と書くほうが相応しいでしょうかね。
人の感情を敏感に読み取る能力に長けている人が居るのは確かです。
おいらも多感な時期はそのような傾向がある人間でした。
おいらが人様と同列に並べるのは間違いなので劣っている事は確かですがね。
それでも他の人の思考というのは読み取るというのはそれほど難しい事ではなかったという時期がありました。
しかしこれは同時に起こる事として
・感情移入し過ぎて精神的安定が崩れる
のを意味しています。
精神的安定がなければ自分自身の生活にも支障を来します。
ただでさえ不安定な精神状態で他の人の感情に左右されるとなると、さらに不安定になります。
回っている独楽の上にもう一つ回っている独楽を乗せるようなものです。
普通にしているだけでも大きくブレている独楽の上にさらにブレている独楽を乗せるのですから、悪くなるのは必然だといえるでしょう。
感情移入する精神的体力が有るなら未だしも、無い状態で他人の感情に影響を受けるというのは僭越に他なりません。
これは聖書的観点からもけして間違った事では有りません。
「進んでする気持ちがまずあるなら、持っていないところに応じてではなく、
持っているところに応じて特に受け入れられるのです。」
という言葉が有ります。
さらにイエス・キリストが評価した女性が居ました。
「さて,[イエス]が目を上げると,富んだ人々が自分の供え物を宝物庫の箱に入れているのが見えた。
次いで[イエス]は,ある貧乏なやもめがごくわずかな価しかない小さな硬貨二つをそこに入れるのをご覧になって,
こう言われた。「あなた方に真実をこめて言いますが,このやもめは,貧しいとはいえ,彼ら全部より多く入れました。
これらの者はみな自分の余っている中から供え物を入れましたが,この[女]はその乏しい中から,
自分の持つ暮らしのもとすべてを入れたのです」。
というものです。
以前にも取り上げた事が有る評価基準なのですが、少し説明しましょうかね。
価値というのは人によって様々です。
同じ金額のお金でも有り余るほどに保有している人の「1円の価値」と貧しい人との「1円の価値」は客観的観点から見れば違いはないかもしれません。
しかし個人的観点の価値では余っている中からの「1万円」と生活が成り立たなくなるかもしれない「100円」とでは意味合いが異なってきます。
「暮らしのもと」とはそのお金がなければ生活が出来ないということを意味していて日本語ではよく解る書き方をすると「全財産」に等しいと言っても良いでしょう。
ところで「全財産」という言葉が良く用いられますが、全財産の概念は人によって様々です。
・金銭的、物質的価値のあるもの
という意味と生活を送る上での
・全てのもの
である場合が有ります。
お金持ちの概念としては前者の概念を意味していて生活道具は残されている事を意味しているような気がします。
お金のない人の全財産は暮らしを送るための道具も無い状態になることを意味しています。
おいらは何度か後者になってますからね。
金持ちの全財産と金のない人の全財産とでは意味合いが異なるような気がします。
脱線しましたな。
おいらの中での価値観というのはイエス・キリストの精神態度を培いたいと願いつつ達しえないDilemmaがあります。
そして多少は無頓着にならざるを得ないのは仕方がないというのも解るようになりました。
これはおいらのIdentityを守り精神的安定を得なければ家族に迷惑をかけるという因果関係を把握した事に依る処世術なんですな。
不器用な人間なりの生き方です。
説明も弁解もしませんが、これがおいらの精神的安定度を飛躍的に高める事が出来たのですから仕方がない対処方法でしょう。
よって敏感に読み取る事は出来るのですが、それを敢えてしないようにする事も必要なのだと解るようになりました。
他人の感情を考えもしない人間の言葉に左右されるというのはなんの益にもなりません。
それに自分の感情だけを重要視し、自分だけが感情を害されているという意識を持っている人も平衡が欠けているとも言えるでしょう。
人はみな個々に感情があり、個々が相互に干渉し合っているという事を理解しなければなりません。
最近までおいらは自分自身の言葉は全く無意味なものだと考えていたのですがね。
これは個人的な考えであり、実際には影響を与えているのだという事実を感じています。
考え方を改めねばならないですな。
何事も経験です。
改善すべき点は即改善し、成長して行きたいものです。
そう言えば概要文の「正直しんどい」は「堂本剛の正直しんどい」が終わってしまった事が残念でならなかったからでした。
個人的にはすごく好きだったんですけどね~。
本当に残念です。
2009.11.27の続きです。
人の感情には強力な暗号化が施されていてすべてを理解するのは不可能であるという点を書こうと思います。
「不可能」というよりは「把握しないようにしないと生きて行けない」と書くほうが相応しいでしょうかね。
人の感情を敏感に読み取る能力に長けている人が居るのは確かです。
おいらも多感な時期はそのような傾向がある人間でした。
おいらが人様と同列に並べるのは間違いなので劣っている事は確かですがね。
それでも他の人の思考というのは読み取るというのはそれほど難しい事ではなかったという時期がありました。
しかしこれは同時に起こる事として
・感情移入し過ぎて精神的安定が崩れる
のを意味しています。
精神的安定がなければ自分自身の生活にも支障を来します。
ただでさえ不安定な精神状態で他の人の感情に左右されるとなると、さらに不安定になります。
回っている独楽の上にもう一つ回っている独楽を乗せるようなものです。
普通にしているだけでも大きくブレている独楽の上にさらにブレている独楽を乗せるのですから、悪くなるのは必然だといえるでしょう。
感情移入する精神的体力が有るなら未だしも、無い状態で他人の感情に影響を受けるというのは僭越に他なりません。
これは聖書的観点からもけして間違った事では有りません。
「進んでする気持ちがまずあるなら、持っていないところに応じてではなく、
持っているところに応じて特に受け入れられるのです。」
という言葉が有ります。
さらにイエス・キリストが評価した女性が居ました。
「さて,[イエス]が目を上げると,富んだ人々が自分の供え物を宝物庫の箱に入れているのが見えた。
次いで[イエス]は,ある貧乏なやもめがごくわずかな価しかない小さな硬貨二つをそこに入れるのをご覧になって,
こう言われた。「あなた方に真実をこめて言いますが,このやもめは,貧しいとはいえ,彼ら全部より多く入れました。
これらの者はみな自分の余っている中から供え物を入れましたが,この[女]はその乏しい中から,
自分の持つ暮らしのもとすべてを入れたのです」。
というものです。
以前にも取り上げた事が有る評価基準なのですが、少し説明しましょうかね。
価値というのは人によって様々です。
同じ金額のお金でも有り余るほどに保有している人の「1円の価値」と貧しい人との「1円の価値」は客観的観点から見れば違いはないかもしれません。
しかし個人的観点の価値では余っている中からの「1万円」と生活が成り立たなくなるかもしれない「100円」とでは意味合いが異なってきます。
「暮らしのもと」とはそのお金がなければ生活が出来ないということを意味していて日本語ではよく解る書き方をすると「全財産」に等しいと言っても良いでしょう。
ところで「全財産」という言葉が良く用いられますが、全財産の概念は人によって様々です。
・金銭的、物質的価値のあるもの
という意味と生活を送る上での
・全てのもの
である場合が有ります。
お金持ちの概念としては前者の概念を意味していて生活道具は残されている事を意味しているような気がします。
お金のない人の全財産は暮らしを送るための道具も無い状態になることを意味しています。
おいらは何度か後者になってますからね。
金持ちの全財産と金のない人の全財産とでは意味合いが異なるような気がします。
脱線しましたな。
おいらの中での価値観というのはイエス・キリストの精神態度を培いたいと願いつつ達しえないDilemmaがあります。
そして多少は無頓着にならざるを得ないのは仕方がないというのも解るようになりました。
これはおいらのIdentityを守り精神的安定を得なければ家族に迷惑をかけるという因果関係を把握した事に依る処世術なんですな。
不器用な人間なりの生き方です。
説明も弁解もしませんが、これがおいらの精神的安定度を飛躍的に高める事が出来たのですから仕方がない対処方法でしょう。
よって敏感に読み取る事は出来るのですが、それを敢えてしないようにする事も必要なのだと解るようになりました。
他人の感情を考えもしない人間の言葉に左右されるというのはなんの益にもなりません。
それに自分の感情だけを重要視し、自分だけが感情を害されているという意識を持っている人も平衡が欠けているとも言えるでしょう。
人はみな個々に感情があり、個々が相互に干渉し合っているという事を理解しなければなりません。
最近までおいらは自分自身の言葉は全く無意味なものだと考えていたのですがね。
これは個人的な考えであり、実際には影響を与えているのだという事実を感じています。
考え方を改めねばならないですな。
何事も経験です。
改善すべき点は即改善し、成長して行きたいものです。