おいらはこの種の人間が大嫌いです..........
この種の人間っていますよね。
自分が優位に立ちたいがためにいかにも「自分は知っているんですよ」という態度を取ります。
また人の失敗に「何をしているんだ」という事を言ったりオーバーアクションします。
感受性の強い人は些細な事でも解るのでしょうが、おいらは鈍感なので気が付くのは結構時間がかかります。
おいらはそんな人間にはなりたくありません。
自分を肯定することをするなどもってのほかだとも感じます。
自分がどれぐらいのレベルにいるのかを理解していない人間もいます。
このレベルの人間が一番たちが悪いと感じます。
素人よりは知っているから何でも口を出すんですな。
でもたまにいるのがその道にスペシャリストです。
スペシャリストになると迂闊には口に出しません。
また多くの意見を聴きたいとも思っているのでレベルを理解していない人間の話に付き合うこともあります。
その時に恥をかくのが偉そうに熱弁を振るうレベルを理解していない人間です。
スペシャリストは多くの意見を聴きたいと思っていますから当然のように質問をしますよね。
最初は浅い知識で済む質問をするのがほとんどです。
その段階の答えでほとんどのスペシャリストはだいたいどれだけ知識があるかを理解できるようです。
そしてそこから始まるんですな。
「このような考えもあるようですがどのように思われますか?」
「私の個人的な考えではこのように感じています。どこか間違ったところがあるでしょうか?」
この質問の仕方でわかると思うのですがスペシャリストは謙遜なんですよ。
おいらは何でも素人なので偉そうな事を言う事さえできませんが、昔昔にレベルを知らない人間だったことがあり自分のレベルを思い知ったことがあります。
一つの分野でしたがその世界の事をよく知っている人に教える事ほど恥ずかしいことはないな~と思いました。(笑)
なぜこんなことを書いたかと言うとおいらの「弟君」が優越感を感じている事が良くわかるからです。
しかし彼は素人のおいらの目から見てもすごく巧いとは思えません。
それに付き合うのがしんどいんですよね。
それに彼は自分の考え方が一番正しいとも考えているようです。
この考え方はおいらには全く理解できません。
一番疑うべきは自分の考えであり自分の知識や知恵だからです。
ほんとに必要な事を理解していない狭い世界に生きているのです。
観点が浅いんですな。
よって自分の考えが正しいのか確認しなければなりません。
今の世の中で不変的な基準というのは一つしかありません。
それは最終的に神の考えになります。
神と言ってもうつろい揺らめく宗教群ではありません。
今の宗教に期待するのは有効期限を過ぎた宝くじを大枚はたいて買って当たりもしない紙切れを握りしめて発表を待っているようなものです。
もし番号があたっていても絶対に賞金がもらえないというオチが待っています。
発表で喜んで受付に行くとどん底に落とされるんですな.........
おいらの言いたい事が少しでも解っていただけたでしょうか?
ちなみにおいらの記憶では自分で宝くじを買った事はありません。
クリスチャンになる前から基本的に賭け事はしなかった親の教育が大きいですね。
親には感謝感謝です。
人間がもっとも必要とする観点は「神の見地」でしょう。
そしてそれを知るには学ぶべき点は聖書の教えになります。
また自然からも神の観点がわかります。
おいらは狭い世界で人間の観点に限りなく近いですがふつうの人よりは少し高い視点で見ることができるようになりました。
万物というのはすばらしく作られており、美しさを感じます。
どんなものでもどこかしらに美しさが存在するのです。
しかし人間の観点ではその美しさに理由がある事にまでは考えが回りません。
聖書の知識を知ると万物が美しいのは人間のためである事を理解できるんですよね~。
話の一貫性がないのは毎度の事ですが申し訳ありません。
とにかく今日も徹夜になりそうです。
体調が悪くてしんどいんですけどね~。
寝たくても寝れないのでパソコンに向かって書きたい事を書いたんです。
若い時って浅い考えで間違っていても決定的な理由がないと自分の信念を曲げようとしませんよね~。
そこが若気の至りというのでしょうけど付き合う側としては辛くて辛くてたまらないんです。
この種の人間っていますよね。
自分が優位に立ちたいがためにいかにも「自分は知っているんですよ」という態度を取ります。
また人の失敗に「何をしているんだ」という事を言ったりオーバーアクションします。
感受性の強い人は些細な事でも解るのでしょうが、おいらは鈍感なので気が付くのは結構時間がかかります。
おいらはそんな人間にはなりたくありません。
自分を肯定することをするなどもってのほかだとも感じます。
自分がどれぐらいのレベルにいるのかを理解していない人間もいます。
このレベルの人間が一番たちが悪いと感じます。
素人よりは知っているから何でも口を出すんですな。
でもたまにいるのがその道にスペシャリストです。
スペシャリストになると迂闊には口に出しません。
また多くの意見を聴きたいとも思っているのでレベルを理解していない人間の話に付き合うこともあります。
その時に恥をかくのが偉そうに熱弁を振るうレベルを理解していない人間です。
スペシャリストは多くの意見を聴きたいと思っていますから当然のように質問をしますよね。
最初は浅い知識で済む質問をするのがほとんどです。
その段階の答えでほとんどのスペシャリストはだいたいどれだけ知識があるかを理解できるようです。
そしてそこから始まるんですな。
「このような考えもあるようですがどのように思われますか?」
「私の個人的な考えではこのように感じています。どこか間違ったところがあるでしょうか?」
この質問の仕方でわかると思うのですがスペシャリストは謙遜なんですよ。
おいらは何でも素人なので偉そうな事を言う事さえできませんが、昔昔にレベルを知らない人間だったことがあり自分のレベルを思い知ったことがあります。
一つの分野でしたがその世界の事をよく知っている人に教える事ほど恥ずかしいことはないな~と思いました。(笑)
なぜこんなことを書いたかと言うとおいらの「弟君」が優越感を感じている事が良くわかるからです。
しかし彼は素人のおいらの目から見てもすごく巧いとは思えません。
それに付き合うのがしんどいんですよね。
それに彼は自分の考え方が一番正しいとも考えているようです。
この考え方はおいらには全く理解できません。
一番疑うべきは自分の考えであり自分の知識や知恵だからです。
ほんとに必要な事を理解していない狭い世界に生きているのです。
観点が浅いんですな。
よって自分の考えが正しいのか確認しなければなりません。
今の世の中で不変的な基準というのは一つしかありません。
それは最終的に神の考えになります。
神と言ってもうつろい揺らめく宗教群ではありません。
今の宗教に期待するのは有効期限を過ぎた宝くじを大枚はたいて買って当たりもしない紙切れを握りしめて発表を待っているようなものです。
もし番号があたっていても絶対に賞金がもらえないというオチが待っています。
発表で喜んで受付に行くとどん底に落とされるんですな.........
おいらの言いたい事が少しでも解っていただけたでしょうか?
ちなみにおいらの記憶では自分で宝くじを買った事はありません。
クリスチャンになる前から基本的に賭け事はしなかった親の教育が大きいですね。
親には感謝感謝です。
人間がもっとも必要とする観点は「神の見地」でしょう。
そしてそれを知るには学ぶべき点は聖書の教えになります。
また自然からも神の観点がわかります。
おいらは狭い世界で人間の観点に限りなく近いですがふつうの人よりは少し高い視点で見ることができるようになりました。
万物というのはすばらしく作られており、美しさを感じます。
どんなものでもどこかしらに美しさが存在するのです。
しかし人間の観点ではその美しさに理由がある事にまでは考えが回りません。
聖書の知識を知ると万物が美しいのは人間のためである事を理解できるんですよね~。
話の一貫性がないのは毎度の事ですが申し訳ありません。
とにかく今日も徹夜になりそうです。
体調が悪くてしんどいんですけどね~。
寝たくても寝れないのでパソコンに向かって書きたい事を書いたんです。
若い時って浅い考えで間違っていても決定的な理由がないと自分の信念を曲げようとしませんよね~。
そこが若気の至りというのでしょうけど付き合う側としては辛くて辛くてたまらないんです。