『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』
ガボール・マテ 著
伊藤はるみ 訳
日本教文社
初版発行 平成17年9月15日
amazonさんの
こちらなどで、販売されています☆
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内容紹介
「いやだ!」「ノー!」と言わなければ、結局、身体がわたしたちの代わりに「ノー」と言い始めるだろう。
患者たちの語りから垣間見える、無力でストレスに満ちた子供時代。周囲に自分を合わせ、生き延びるために無意識にとった戦略が病気の元となるとは……。
強皮症、慢性関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、バセドウ病、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症等の自己免疫疾患をはじめ、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病、がん、アトピー性皮膚炎などの病気と、当人の生き方、心の在り方との関係を“精神神経免疫学”の観点から解き明かす。
本書の事例の多くは著者自身が患者に直接インタビューしたもので、彼らが語るその生い立ちは、不条理ともいえる人生の悲劇を垣間見せてくれ、感動的ですらある。
家庭・社会環境がもたらす心理的ストレスは病気の大きな要因の一つだが、本書は家庭や職場といった外的条件に潜む問題もさることながら、そうした環境の中で自分のありのままの感情を表現することが抑圧されるとどうなるか、という点に重点を置いている。著者によれば、あまりにも協調的な「いい人」や頑張り屋さんほど、自己免疫疾患にかかりやすいという。日本人にはぐさりとくる指摘だろう。
患者へのインタビューの他、レーガン元大統領、フォード元大統領夫人、スティーヴン・ホーキング、ルー・ゲーリック(野球選手)、ジャクリーヌ・デュ・プレ(天才チェリスト)など、深刻な病を抱えた有名人のエピソードも多数掲載されており、読み物としても読者を飽きさせない。
しっかりした医学的知見と心理学的的洞察に基づいた説得力のある一書。
著者について
マテ、ガボール
バンクーバー在住の医師。注意欠陥多動性障害をテーマにしたベストセラー『ばらばらの心 Scattered Mind』の著者。ほかにゴードン・ノイフェルトとの共著による『子供を離さないで:どうして親が重要なのか Hold on to Your Kids: Why Parents Matter』がある。開業医を20年以上を続け、緩和ケア専門医で心理セラピストでもある。バンクーバーのダウンタウン・イーストサイドにある路上生活者施設の医療スタッフも務める。また、『バンクーバー・サン』紙と『ザ・グローブ・アンド・メイル』紙に長年コラムを執筆している。
(amazonさんの
こちらからほとんどコピペしましたーm(_ _)m)
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takekos1(タケコ)さんの『
ALSだって幸せだもん』(←リンクは、pc版。。。自己紹介とかを、じぶんがみつけやすかったので、こちらをリンクにしました〜m(_ _)m)という ブログの、
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こちら(←スマホ版。。。じぶんが読みやすいからm(_ _)m)
などに、紹介されていました。
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「幸せ」って何だろう?答えをくれたのは、
なぜか難病のALSでした。
本当の幸せを求めて、ゴールまで突っ走ります
"
って、pc版トップに、書いてありました。
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以下は、気になったとこを、引用しましたm(_ _)m(( )) は、自分のことばです。下線は、自分が引きました。
もし、書き間違えてたら、申し訳ございませんーーーm(_ _)m
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p.351 ((いちばん印象に残ったことば))
"
本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。
"
p.409 (("
精神・神経・免疫・内分泌学"って、何だか心と身体が繋がっていることを、納得できる言葉だぁ))
訳者あとがき
"
マテ博士は、一般開業医および緩和ケア病棟の医師として四半世紀におよぶ経験から、自己免疫疾患とされる強皮症、慢性関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症をはじめ、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病、がんなどの深刻な疾患の患者に、ある共通点が見られることに気づいたと言う。それは彼らが「ノー、嫌だ」と言えないこと、怒りなどのネガティブな感情を適正に表現することができず、心の奥底に抑圧された膨大な感情をためこんでいることだった。患者本人には関心をはらわず、病気だけを見て治療する医学に疑問を抱き始めた著者は、近年、人間の心の動きは細胞レベル、分子レベルでからだの機能に影響を与えることを立証し、学問分野として確立しつつある
精神・神経・免疫・内分泌学(長い名称だか、英語ではもっと長くなる。漢字に感謝!)こそが自分の求めていた探求の道だと確信したのである。
"
。。。
p.16〜17 ((マテ博士自身のことも、書いておられます))
"
施設の廊下を歩く私は、軽く足を引きずっていた。
"
"
しかし母の部屋のドアをあけると、私は無意識のうちにいつもどおりの何気ない足どりでベッドに近づき、母に声をかけたのである。
"
"五一歳の息子が膝の手術の一ニ時間後に足を引きずっていたとしても、母は騒ぎ立てることなく受け容れたはずた。何も隠す必要はなかったのだ。
それならいったいどうして?
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"
私はナチスドイツによる大量殺戮の時代に、ナチ支配下のブダペストで幼いころのほとんどを過ごし、生き残った子供である。母方の祖父母は、私が生後五ヵ月のときにアウシュビッツで殺され、叔母は強制送還されたまま消息不明である。父はドイツ-ハンガリー軍の強制労働部隊に入れられていた。私を救うため、母はやむなく私を残して数週間どこかへ行っていたこともあった。
"
"
現に母は私に、この子の面倒を見なければという気持ちがなければ、絶望のあまりベッドから起き出すこともできない日々がたくさんあったと語っている。
"
"
私が母の保護者になったのはー自分が痛みを感じていても、まず第一に母を守ることを考えるようになったのはーこうした状況があったからだ。
"
"
幼児が無意識の防衛法として身につけた生き方は、やがて強固なパターンとして性格に組み入れられ、五一年後になっても私に、母の前でほんのちょっとしたからだの苦痛でさえ隠そうとさせたのである。
"
。。。((この本を読んで、自分が病気になったうえに、自分のせいだと責められてる気持ちに、なる人がいないように、はじめのほうに、こういうことを、書かれたのかなぁ。。。自分や親やその親やそのまた親のせいと責めるのではない、考えに、なれる感じの本でしたぁ。))
p.13
"
ある人が身につけざるを得なかった生き方が、病気になった原因のひとつかもしれないというのは、微妙な問題をはらんでいる。
"
"患者は病魔に襲われたことに加えて、自分の生き方そのものを責められているように感じてしまう。
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"
「私は遺伝子のせいでがんになったんです。自分のしてきたことのせいなんかじゃありません」
"
"
苦しんでいる人に対する避難ー明らかな自業自得は別としてーには、科学的な根拠はまったくないのである。
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p.14
"
、、
誰でも避難されるのは嫌だか、負うべき責任(responsibility)は負いたいと考えているはずだ。言いかえれば、誰でも人生のさまざまな局面でただ反応するのではなく、
"
"
、、
意識的に対応(respond)したいと思っている。
"
"
しかし、自分についてより多くを学ぶことができれば、受け身の犠牲者になる可能性はそれだけ低くなるはずなのだ。
"
p.326
"
責めることをやめれば、自分が果たすべき責任に向かって迷うことなく進むことができる。
"
。。。
p.189((自分が周りのひとの優しさにつけこんでるかもと、思いました。自分のせいで、高血圧や過食に、なった人もいるかもなぁ。。。))
"
抑圧、ノーと言えないこと、自分の怒りに気づかないこと、この三つがある人は自分の感情が表現できない、自分の希望が無視される、
優しさにつけ込まれるということになりやすい。こういった状況は、本人がそれと意識するしないにかかわらずストレスをもたらすものである。
"
。。。
p.189 (("性格 "というよりは、その人が生きていくために身につけた、"対処法"と、とらえたら、より変化していけそうで、いいなぁ))
"
したがって生理的なストレスは性格と病気とを結ぶということになる。ある種の性格特性ー言いかえれば
対処法ーは、
"
。。。
p.289((ポーカーフェイスな人は、さびしいのかなぁ。。いや、いろんな時があるかぁ。。一人で落ち着きたいから、こっちこないで〜っていう気持ちのときも、あるよなぁ。。。さびしいんだと、パターン化して覚えてすぐ近づきすぎないように、自分は気をつけないと。。。でも、パターン化で人のことを分かっていくところがあるから、そのパターンを、細分化していくといいのかなぁ。。。わあ、脱線したぁ〜))
"
壁を作って親しみを締め出す人は、自己調整できる人ではなく、単に情緒的に硬直しているだけなのだ。満たされない欲求から生じたストレスは大きいはずである。
"
。。。
p.333〜p.342 ((こんな思い込みがあったら、それは、思い込みなだけかもしれないんだぁ。。。自分は、あんまりないかも。。やっぱり、どちらかというと、自分はのんきなんだろなぁ。。。))
第17章 思い込みのメカニズム
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1 私は強くならなければならない
"
"
2 私は怒ってはいけない
"
"
3 怒ったら、愛してもらえない
"
"
4 何もかも自分のせいだ
"
"
5 私は何でも自分でできる
"
"
6 私は望まれていないー私は愛してもらえない
"
"
7 私は何かをしなければ存在できない。私は自分の存在を正当化しなければならない
"
"
8 重い病気でなければ、いたわってもらえない
"
p.344〜345((きっと、人間は、不器用なだけなんだぁ。))
"
人生には何があっても不思議ではないと言うものの、ギルダの母ヘンリエッタが本当にギルダの
存在を望まなかったり、レスリーの母が自分を
幸せにする役目を意識的にレスリーに
押しつけたり、アランの両親がアランに彼が
怒っていないときだけ愛してあげるというメッセージを伝えようとしていたり、などということはあり得ないだろう。
たいていの親は自分の子供に無条件の
愛を感じており、子供にそう伝えたいと思っている。これは知っておく必要があるが、今問題にしているのはこのことではない。問題にしているのは、子供が周囲の人間とのふれあいを心の最も深いところで解釈した結果、無意識にどう感じるかということなのだ。その解釈は細胞レベルで刻み込まれ、私たちがどう感じ、何をし、出来事にどう反応するかを支配する"思い込みのメカニズム"になるのである。
"
p.381〜((急ぎ足で読んで、まだ飲み込めていないかも。。。
アサーションは、とても大事なんだなぁと、他の本でも、勉強になりました。
怒りについても、まだ飲み込めてないけど、いろいろ、ほかのサイトとかもみて、怒りについて、ちょっと勉強して、おもしろかったです!怒りは、感情のフタと、言われてるようです。
健康食品や気功などをされている、としきのうえん さんの、 毎月送ってくださるチラシと読みものの、先月の、ロゴセラピーの読みものに、誰かの引用で、
"
気持ちは感じれば解放される"
という言葉が、たしかあって、とても、分かりやすくって、救われました!!また、誰の引用かもしらべて、upさせていただけたらいいなぁ。。。て思いますm(_ _)m))
第19章 治癒のための7つのA
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1 アクセプタンス(Acceptance)ー受容
"
"
2 アウェアネス(Awareness)ー気づき
"
"
3 アンガー(Anger)ー怒り
"
"
怒りに攻撃的な行動は必要ない。怒りは第一に生理的プロセスである。そして第二に、認知を助けるものである。
"
"
そうした怒りをしっかりと実感し、怒りをもたらしたのは何かをよく考えることができれば、誰も傷つけることなく大きな力を手にすることができる。場合によっては、何らかの方法でその怒りを表面に出してもいいし、そのまま忘れてしまってもいい。
"
"
4 オートノミー(Autonomy)ー自律
"
"
5 アタッチメント(Attachment)ーふれあい
"
"
6 アサーション(Assertion)ー主張
"
"
7 アファーメーション(Affirmation)ー肯定
"
以上主に引用させていただきました〜〜m(_ _)m
。。。
以下、
自分の感想とかいろいろ、とても脱線しながらたくさん書いてしまいました〜〜よよよ〜〜ほとんど、自分の覚え書きのように、書きました。
心に余裕のあるときに、気が向いたら、読んでください。無理して読まないように、気をつけてください〜〜m(_ _)m
。。。
精神疾患だけではなく、
いろんな身体的な難病も、ストレスが影響しているんだぁと、驚きました。
。。。
こんなに、いい人と思われる人ほど、がまんしてて、病気になっちゃうなんて〜と、思いました。
身近にも、いい人すぎて、自分は頼ってばかりで、しんどい思いをさせている人が、たくさんいそうだなぁ。特に、日本人は、そんな人が多いのかもしれないなぁ。
。。。
すごくなんでもしっかりちゃきちゃきっと、出来る人は、いいなぁ。って、憧れるけど、たくさんがまんされているのかなぁ。。。
いや、
もしかして、
がまんのしっかりの、なんでも出来るがんばりやさんの人と、
楽しくてわくわく自分の人生を伸び伸び生きている、なんでも出来るがんばりやさんの人とが、
いるのかな。。。
。。。
ノーと言えない人が全て難病になるわけでもないし、
難病の人が全てノーと言えないわけでもないのかもしれないなぁ。
。。。
自分と他人の境界 が、 あいまいというか、
自分の境界を踏みこえて来られても遠慮してしまう、状態がずっと続くと、
自己免疫疾患に、なることがあるのかなぁ。。。
。。。
感情は、でも、一回に一つしかないのかなぁ。。。?"一回"って、何かなぁ。。電気信号かなぁ。。。
あ、一回に一つだけど、短い時間内に、時間差で、数回、いろいろな感情が、起きるのかな。。。
おかしを貰えて、うれしいけど、歯磨きしたからいまは食べれなくて、でもその場で食べないと持っとけなくて、ちょっと困るとか、
こけそうになって、こわかったけど、はずかしかったけど、自分でもちょっとおかしかったりとか。。。
好きなとこも嫌なとこもあったりとか。。。
。。。
気持ちは、認知行動療法とかで、考え方を変えると、変化もするよなぁ。。。
無理に変えようとはしなくて、いいのかな。。。
変化させても、いいのかな。。。
さいしょに感じた気持ちを、否定しなかったら、いいのかもなぁ。。。
。。。
自分は、どうかなぁ。
むかし、高校のころ、幼稚化の自己防衛規制を、しているって、言われたなぁ。
。。。
もうちょっと今に近いむかし、自分をみて、"自分の痛みに鈍感" と 感じられたこともあったなぁ。
そのへんのことが、うたの、『風の街を』の、石ころのことなんだろなぁ。
『風の街を』
作詞、作曲 : mupe
風が吹いてく街を 僕は ずっと たたずんでた
けど 君がみつけてくれた
いっしょに行こうと さそってくれたんだ
ちっちゃな石ころの僕 風に吹かれて
ころがっていた 気まま 草むら
寒い風も あったかさも 感じずに
風が吹いてく街を 僕ら いっしょに 歩いて行こう
いま 君がみつけた 光
いつか 風も あっためてあげれるよ
いっぽ いっぽ 歩くことに したよ
。。。
いろいろ自己分析して、親におこったりきいてもらったこともあったし、思ってたよりも親も子育てで大変だったようだとわかったなぁ。 発達障害ということもわからなかったり、おばあちゃんに気を使って先に何でもしてしまって、過保護か過干渉か何かに近い感じにしてしまったと、言ってくれたなぁ。
発達障害とわかってからは、いろいろな支援機関とも繋がれていて、
自分はだいぶ、解消されて恵まれて いるほうだろうなぁ。
。。。
親も、親の親も、かんぺきじゃないし、たぶん不器用なとこはあっても、愛されているんだろうなぁと、思えるしなぁ。
自分は親をけむたがるけど、親同士は、好き同士で仲良しだから、とても恵まれているなぁ。
自分も不器用で、てれくさくて、家でほとんど笑わない人になってしまっているなぁ。
自分が親を精神的に虐待しているかもなぁ。。。
笑わないのは、高校からかなぁ。。。それとも、だんだんかなぁ。。。それとも、犬がしんじゃってからかなぁ。。。高校のときは、寮で、とてもみんな優しかったのに、人との距離感がわからずうまく自分を開示できなくて、変に幼稚化になって、そのぶん土日家に帰るとひきこもって、たからかなぁ。。。
こうと決まってしまうと、なかなか変更が発達障害だからか難しいから、笑わないことに固定されてしまったのかなぁ。。
高校のときも、友達をニックネームで呼んでいいかききそびれで自分だけずっと氏名で呼んでいて、同窓会のときにまだ氏名で呼んでいるのと冗談っぽくその友達に言われて、ニックネームで呼んでいいんだと、思って、はじめて呼びはじめることができたなぁ。。
いま親にありがとうとかは、あまり表情がないけど、言えているなぁ。
だんだん、親もいつかしんじゃうとおもったら、しゃべる回数を、増やせてはきたかなぁ。。。
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幼児さんのころ、べっぴんさんになったねと、親戚のひとにいわれたら、ペンギンさんじゃないよ、と、おどけて返して、ありがとうとかは、そんなはずはないという気持ちもあったし、てれくさくて、言えなかったなぁ。。。
でも、小さいときから、こうすべきとか、納得できなかったら、人を裁こうとしたり、けんかしたり、責めたり、してたなぁ。。。親にも、おこられて押し入れやベランダに閉じ込められたら反省のために親はそうしたのに、対抗しようと、近所迷惑にして泣いて困らせて出してもらおうと、ばかりしていたなぁ。。。
いまは、がまんもするけど、そのぶん、言いやすいひとに、上司とか聴いてくれる優しい人たちに、つい、八つ当たりしてそうだなぁ。。。
だから、自分は、ある意味かもしれないけど、ノーと、わりと言えてきてそうだなぁ。。。周りの人が、かわいそうだなぁ。。。
。。。
朝、親や友達や会社のなかまや、神さま(宗教は信じていなくって、なんとなく、宇宙のエネルギーの中心っぽい何かの意味の、なんとなくの神さま)や、自分の身体や自分の心や、音楽のなかまや、親戚やきょうだいや、死んだペットや、リコーダーや、ギターのまるちゃんや、いろいろに、ありがとうを心の中で言うのするようにしていたら、だんだん、和やかに、なれてきたなぁ。
でも最近、朝感謝、してないなぁ。。。 だんだん、感謝するひとやものがふえてきて、これでたくさんあさの貴重な時間がなくなるぅと、思うと、いやになってきてしまったなぁ。。。
いやいやな感謝よりも、
いろいろありがとう って、 一言で想うほうが、いいかもなぁ。。。
。。。
自分の人生を、なにかひとのせいにしていて、まだ責任持ててないなぁ。。。
音楽も、自分の居場所のためや、まわりに言われて、続けている感じもあるなぁ。。。弾き語りがほんとにしたいのではなく一人が気楽だからもあるしなぁ。。
でも、シンプルで面白いことしたいなぁ。
ほんとにしたいことは、何かなあ。。。バンドかなぁ、リコーダーかなぁ、ハモることかな、絵かなぁ。。。文章かなぁ。。。
自分のなりたい感じの、あこがれるひとは、誰か、何か、を考えたら、わかるかなぁ。。。
セシリアサバラさんや、小林賢太郎さんや、ICHIさんや、知久寿焼さんや、praparat.さんや、神田俊介さんや、一人でたくさんすごい人に、あこがれるなぁ。
その人たちも、きっと、いろんな人に支えられて、協力して協調して、自分の好きなことを、追求されているんだろうなぁ。。。
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人に出せないときも、自分の感情は、こう思ったとかを、自分のノートのにっきには、たくさん書きすぎるくらいに書いたり、こう思っちゃいけんと思うけど、こう思ったんだなと、意識や分析できていると思うから、
自分は、かなり、恵まれているほうだろうなぁ。。
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発達障害とかは、ストレスの影響は、どうなのかなぁ。。。ほんとに、生まれつきなのかなぁ。。。
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でも、障害や病気は、不幸なのかなぁ。。。
認知症でも楽しんで生きるとか、いうものなぁ。。。
でも、さいしょは、とてもへこむよなぁ。。。そこから、前向きに自分を取り戻した人の話だよなぁきっと。。。
でも、乙武さんとか、お母さんに、産まれてすぐ、かわいいって、思われたんだよなぁ。。。
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などと、いろいろ、思いをはせることが、この本から、できましたm(_ _)m
いろいろ、心の旅を、させてもらったなぁ。。。
ありがとうございましたーーーm(_ _)m☆☆☆
。。。
『弱いロボット』という本についても、先に読んだ本で、いつか、ちょっとでも、ぜひ紹介したいです〜〜m(_ _)m