私がリスペクトしてやまないプロ・トレイルランナー鏑木毅氏。遠征には司馬遼太郎作品を持参し、大会前に読んで心の平安を得るという。
それにあやかろうと、手始めに『街道をゆく』を読んだら意外に引き込まれた。食わず嫌いは良くないなと反省するとともに、特に鏑木氏が好んでいるという『花神』、『竜馬がゆく』及び『坂の上の雲』も読んでみようと思った。
『坂の上の雲』。実は十代の頃に読もうとして途中でやめてしまったことがあった。当時の私は太宰治や坂口安吾を愛読し、はしかの熱に浮かされていて、八巻も続く歴史ものを悠長に読んでいる気にはなれなかったのだろう。
当時、どういった心境で投げ出したのかは覚えていないが、あの頃の読書傾向を思えば、推測はできる。あまり面白く感じなかったのは確かだ。
好みは年齢や、読者を取り巻く環境によって変化する。今回、試みに一巻だけを買ってみたが、興味を持って、ストレスなく読み進むことができた。
こういったジャンルで多作であるにも関わらず、文体に大量生産型の安さがない。たとえば慣用句をこだわりなく連発するとか、すぐに改行して会話ばかりで描写がないとか、エンタメ系から感じる安さを、司馬作品は纏っていない。これは大事なことである。
というわけで、私は二巻を買い求めた。近代日本創成期における秋山兄弟と正岡子規の若き日々は、いわば日本の青春期を俯瞰するかのようで、読んで楽しく、かつ得るところ大きい。
NHKがドラマ化した頃、ミーハーな観光客が戦艦・三笠に大挙押しかけ、ひねくれ者の私は『坂の上の雲』なぞ読んでたまるかと思ったものだが。
いまでも、右傾化の延長線上に、『日本ってスゴイ』と喧伝する風潮があって、苦々しく感じているけれど、それらとは無関係に、司馬遼太郎作品は面白く読めると気づいた。
(そうそう、鏑木さんも、『坂の上の雲』を当初敬遠していたという。国粋主義的な作品なのかなと。さすが我が心の師)
