みゃうな日々

日々まったり

高速乗りまくり・食べまくり旅行7

2009-07-03 12:26:08 | Weblog
元町エリアから金森倉庫へ。

てくてくと散策をしながら赤レンガ倉庫群へと。

函館市豊川町11-5



日もだいぶ暮れてきました。
たくさん歩いてお腹も減ってきたので。


『あじさい 紅店』函館市豊川町12-7 函館ベイ美食倶楽部内

2006年7月1日にオープンした函館ベイ美食倶楽部内にある店舗です。

函館にきたらやっぱり塩ラーメンですよね。


ってことで「あじさい塩ラーメン」。

あっさり系すき通ったスープなんだけど、コクがあって飽きのこない味わい。麺は中細ストレート麺。水菜がいいね。
店舗はモダンな感じで、器もそれにあわせてか黒でシック。
特別な逸品ではないけど、きっと毎日食べても飽きない味なのかな。


函館ベイ美食倶楽部には無料開放の足湯がありまして。


なんだかわからない写真になってしまいましたが。
浸かってみました。

泉質/ナトリウム・塩化物強塩泉(高張性中性高温泉)
源泉名/海峡の湯

ちょっとぬるめですが、歩き回って足が疲れていたのでのんびり足湯が気持ちよかったです。函館ベイ美食倶楽部内の飲食店でタオルも売っていますが、足湯を利用するつもりならタオルを持っていくと良いかもですね。

さてさてお腹も満ちたのでショッピングです。

ペイストリー・スナッフルスのチーズオムレット。
蒸し焼きショコラ。

札幌でも買えるというのに、ついついホテルでのおやつにと買ってしまいました。このふわっとトロりと口の中でとろける食感がたまりません。
やっぱりうまいです。蒸し焼きショコラは初体験でしたが、この濃厚なチョコの味とチーズオムレットと同じようにとろりととろける食感が最高です。

ここでしか買えないお菓子も食べたいなぁと思い。
函館開港150周年記念のお菓子も買ってみました。

ペリーの贈りもの

同じく開港150周年を迎える横浜の洋菓子店『ありあけ』とのコラボ商品なんですよ。

ありあけといえば横浜土産のハーバー。
つぶつぶの栗が入った栗あんのお菓子で、よくいただいて好きだったので、スナッフルスで名前を見てちょっとびっくり。
しかもハーバーが黒くなって、黒船ハーバーになっててさらにびっくりw
元々のハーバーとはちょっと別物という感じですが、これはこれでアリかなと思いました。


金森洋物館で北うさぎ工房のグッズをゲット。
五稜郭タワー、元町日和館と北うさぎグッズを探しもとめての放浪の旅です。



何を探していたかというと。
ストラップの種類が、全種類そろってるところがなかったんですよ。どっかにあるハズと探していたのですが。結局全種類そろっているお店はなくて。今現在7種類あるハズなんですよね。ネットでも買えないし。水色が買えなかったのが悲しすぎる。


自分用に緑を購入。友達のお土産にはピンクを。


他にも自分用にマグと木製タグを購入。
函館に来るしか購入方法がないので満足満足。


一度ホテルに戻り荷物を整理して。
函館のイカを食べにGO~!


函館ひかりの屋台 大門横丁。函館市松風町7

観光客っぽくウロウロとw
屋台村です。

ちょっと混んでいて落ち着かなかったので、もう一軒別な居酒屋へと。

時価だったのですが、活イカを食べないと函館に来た気がしないのでもちろん注文。でも朝の巴丼より高かったw

念願の活イカをいただきましたっ!


この時期は函館ではイカというと真イカのこと。
かなり大きなサイズでした。新鮮だからわたの刺身もトロっと濃厚でおいしかったし、身も透き通ってコリコリと最高です。ゲソは焼いてもらって目先をかえて。1匹まるまんまなのでかなりのヴォリュームです。




大将のおすすめだった、マグロとハマチもレベル高し!
肴がおいしいとお酒もすすみます。
函館の夜もしっかり堪能です。

39時間ぶっ続けで起きていたので、ホテルに戻るとチェックアウトの時間まで死んだように寝ていましたw


最終回の8に続く~

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高速乗りまくり・食べまくり旅行6

2009-07-03 00:20:37 | Weblog
元町散策の続きです。


遺愛幼稚園。函館市元町4-1

ここ函館の元町には古くからの建物が、今もなお現役として使われています。遺愛幼稚園もその中の一つ。

1895年(明治28年)9月、遺愛女学校(明治15年創立、現遺愛学院)の付属幼稚園として、創設されました。1907年(明治40年)8月の大火で一時廃止されましたが、1913年(大正2年)に再建されました。

米国人宣教師M.Cハリスは米国メソジスト監督教会より派遣され1874年(明治7年)1月26日函館に到着後、付近の子女を集めDaySchoolを開きました。これが遺愛学院の濫觴です。ハリスは当時の札幌農学校で、 クラーク博士の依頼を受け、佐藤昌介、新渡戸稲造、内村鑑三らに 洗礼を授けているそうです。

外壁をピンク、隅柱、開口部などは白色で、どこかアメリカンな雰囲気を感じる建物です。
こんな幼稚園に通うことができる函館っ子ってすごく素敵だなぁって思います。


八幡坂。

TVやCMなどにもよく登場しているので、もう説明がいらないくらい函館では一番有名な坂ですよね。
携帯の画像なので、この景色がうまく伝えられないのが残念です。
真っ直ぐに伸びる石畳の坂の向こうに函館湾。函館港に摩周丸が係留されているのがわかるでしょうか。
天気がよければ緑の街路樹と空の青さにもっともっと感動を受けたんだろうなぁ。またぜひリベンジしたいですね。

この坂を登りきったところが函館西高校です。
北島三郎さんの母校としても知られていますが、おいらが思い浮かぶのは辻仁成。
辻仁成の『ほとけ』という映画観たことありますか?
基本あんまり邦画は観ない方なのですが、北海道の風景が大好きなので北海道ロケ作品は別です。おいらにとって北海道ロケ作品は、正直内容は二の次。この作品はほんとに函館の美しい風景を感じることができますよ。

辻仁成作品は昨年も函館でロケしていまして。『ACACIA』という映画なのですが今年公開予定なので、行ったばかりの函館が舞台の作品ですし、いまからとっても楽しみにしています。

辻仁成繋がりでもう一個ネタを。
『函館物語』というフォトエッセイがありまして。
中高校時代を函館で過ごした辻仁成の目線からみた函館をうかがうことができます。普通の観光スポットとは別なアプローチで函館を楽しみたいという方には一読かもです。


旧函館区公会堂。函館市元町11番13号

基坂を登りきったところに建つのがこの旧函館区公会堂。
曇天の為色味が伝わらないかもですが。ブルーとイエローの非常に色調の美しいモダンな建物です。

明治43年(1910年)に当時の洋風建築の粋を集めて建てられた左右対称のコロニアルスタイルの木造建築です。

明治44年には大正天皇が皇太子殿下として行啓の際宿舎として使用されており、館内はその貴賓室130坪の大広間など当時の華やかな雰囲気をそのままに残しています。


函館市写真歴史館。函館市元町12−18

ここは旧北海道庁函館支庁庁舎として1909年(明治42年)に建てられた2階建ての木造洋風建築で、現在は1階が元町観光案内所、2階が函館写真歴史館として使われています。

特筆すべきなのは、1854(嘉永7)年のペリー提督箱館来訪時に同行した写真師ブラウンにより撮影された日本最古の銀板写真『松前藩勘定奉行石塚官蔵と従者』がみれること。その他にも明治時代の函館の街並みの写真などが展示してあってとっても興味深い場所です。


旧開拓使函館支庁書籍庫。函館市元町12-1

写真歴史館の横に建っています。

1880(明治13)年に建造された煉瓦造り2階建ての建物です。
外壁はフランス積み煉瓦壁で、外部の四隅に隅石が組まれていて、いいアクセントになっていますね。

使われている煉瓦は、当時亀田郡茂辺地村(現上磯町茂辺地)にあった、開拓使直営の「茂辺地煉瓦石製造所」の煉瓦が使用されています。
壁の煉瓦には「明治7・8・9年」の製造年の年号や「函館製造」との刻印が打ってあるものがあります。


ペリー提督来航記念碑。函館市弥生町2

元町公園の下。ペリー広場です。

函館市は今年開港150周年を迎えます。
これは、米・英・仏・蘭・露との修好通商を定めた「安政の5カ国条約」の発効から数えて今年が150年目に当たるということなんです。
安政の5カ国条約とは、鎖国状態にあった日本が5つの港(函館、新潟、横浜、神戸、長崎)を開港し、自由貿易を行うと定めた条約のことです。
この条約は1859年(安政6年)に発効し、函館(当時は箱館)港はその年の6月2日に国際貿易港として正式に開港しました。この日を新暦に当てはめた7月1日を「開港記念日」と定めているため、2009年7月1日が函館開港150周年の記念日になるわけです。

といっても幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つであるわけですから、安政の5カ国条約だけをクローズアップするとおかしなことになってしまいますが、この時の開港は、洋風文化をいち早く取り入れ大きな発展を遂げてきた函館という街の成り立ちに不可欠だったのではないでしょうか。

さて日米修好通商条約の前段階のお話し。
ペリーの来航によって締結された日米和親条約で開港されたのが下田と函館です。
ペリーは1854年(安政元年)5月17日、開港される箱館港を下検分するため、5隻の艦船を率いて来函しました。その時に商人の山田屋寿兵衛宅で松前藩の家老松前勘解由(石塚官蔵)と会見したのですが、この時、松前勘解由と松前藩士が、ペリー遠征に同行した写真家ブラウンによって撮られた写真が、前述した日本最古の写真です。

寄港地でペリーが観察した日本のことが『ぺルリ提督日本遠征記』に記述されています。

『函館の街路は互いに直角に交差するよう整然と建設され、道幅も広く、排水をよくするために砕石が敷かれ、両側に排水溝があり、排水はこの溝から下水渠をとおって海に排出される。函館はあらゆる日本町と同じように著しく清潔で、街路は排水に適するようにつくられ、たえず水を撒いたり掃いたりしていつでもさっぱりと健康によい状態に保たれている
(中略)
教育については、下田でも函館でも、書物は店頭で見うけられ、明らかにおおいに需要されるものであったとして次のように述べている。人民が一般に読み方を教えられていて、見聞を得ることに熱心だからである。教育は同帝国いたるところに普及しており、また日本の婦人は中国の婦人とは異なって男と同じく知識が進歩しているし、女性独特の芸事にも熟達しているばかりでなく、日本固有の文字によく通じていることもしばしばである。アメリカ人の接触した日本の上流階級は、自国のことをよく知っていたばかりでなく、他の国々の地理、物質的進歩および当代の歴史についても何事かを知っていた』

こんな感じで函館のことも記載されていてなかなか面白いです。


中華会館。函館市大町1-12

日本唯一の清朝様式建築物です。
函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に在函華商が信仰する三国時代(魏・呉・蜀)の蜀の武将として活躍した関羽=関帝を奉祀する聖所、関帝廟として建てられました。
当初の中華会館は洋館風でしたが1907年の大火で消失し、その後、中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦・祭壇・什器等資材も中国から取り寄せ、釘を一本も使わずに、約3年の工期と巨費を投じて明治43年(1910年)12月に竣工した建物だそうです。



市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)。末広町19-15

明治の函館には、「四天王」と呼ばれる豪商たちがいました。初代渡辺熊四郎、今井市右衛門、平田文右衛門、平塚時蔵。

その四天王の一人、渡辺熊四郎が建てたのがこの金森洋物店。前述の茂辺地煉瓦石製造所で造られた煉瓦を積み上げしっくいで仕上げています。

明治13年に建てられ老朽化した「旧金森洋物店」を改修し、資料館として使用しています。館内には、建築者である初代渡辺熊四郎の関係資料をはじめ、当時使用していた帳簿や机、生活用具などが展示され、往時の生活をしのぶ様々な所蔵品を見ることができます。

函館の西部地区には、明治から大正にかけての歴史的な建物が外観を維持しながら、実際に住宅や店舗として使われていたりして、街全体が博物館のようで、散策しているとレトロな気分になります。

7へ続く~


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