ミオとミルクのもっふりんな日常

高校を卒業して、大学生になった息子と、2匹のニャンコに振り回されながら、しごと、闘病生活をしています。

2020/06/02

2020-06-02 23:48:00 | 日記
部活が再開ということは、朝5時には起きて、弁当を作らなければならない生活が始まるということ😰
とりあえずしばらくは小さめの2段弁当にして欲しいとの要望。


今日、息子から
「お弁当美味しいけど、センスがないよね〜」と言われた…
たしかに、みんなのようにシャレオツな弁当ではない…
でも、毎日いろいろ考えて作ってるんだけど…
冷食も今では美味しいものもあるから、1品は冷食、1品は野菜、卵と、プラス1品になるように。
元々、料理は、居酒屋メニューくらいしか作れなかった母…
私の母は、料理人だったので、そりゃもうなんでも美味しかったし、今でもあの味には敵わない…
でも、母の作る弁当はすごかった
なにがすごいって、料理人なのに… 
ドカベンにご飯がぴったり詰まってて、その上にキムチが敷き詰められてるだけ…
とか、卵焼きが敷き詰められてるだけ…
という、今で言えば、のっけ弁ってやつ?
ただ、たまに店で残った蟹飯の具材が入ってたりすることがあった。
蟹料理の店だったから。
蟹の甲羅揚げが入ってたことも。
で、家に帰っても店のあまりご飯だったりして、今思えば贅沢なんだけど、蟹食いたくねぇ…って思ってた😀
今は、蟹…高価過ぎて食べられない…ですけどね。
幼少期は、千葉でラーメン屋やってて、幼稚園の横だったので、お昼のお弁当が、ラーメンでね…母がフェンス越しに先生に渡してた😀
鶏ガラベースで、チャーシューも鶏肉で、中華そばってやつでしたけと。
小学生のとき、母の故郷に一家で戻り、そこからは親族の経営すら蟹料理専門店で調理人やってました。
いまだに母の作った中華そばを超える味には出会えていません。
当時は、父は愛人宅に入り浸りで、母一人でラーメン屋やってて、正直貧乏だったと思う。
ラーメン屋で使う食材以外を買える余裕はなく、店のものしか食べられなかったっけ。
母はあの当時は、父からのお金がなく、子供二人を食べさせていくのには、稼ぎながら、ついでに食べさせられるからということで、知り合いのラーメン屋を引き継いだそうだ。
この前、Googleで見たら、もうラーメン屋はなくなってて、隣の幼稚園も、幼稚園ではないけれど、子供のなんかの施設になってた。
名前はホサナでそのままだったけど。
いつか、もう一度行ってみたいな。
アパートのあったところから、幼稚園、小学校、商店街…もう一度見たいなぁ…
もう丸物もないし、マルイもなくて
ららぽーととかになってらしいけど…
田舎だったのになぁ…
今日は暑かったらしくミルクが大変な寝相でございます

おっぴろげ〜
レインボーブリッジが真っ赤か〜😰😰
威圧感半端ないわ〜
画面で見てるだけだけど😏 
明日も暑いかな〜