ミオとミルクのもっふりんな日常

高校を卒業して、大学生になった息子と、2匹のニャンコに振り回されながら、しごと、闘病生活をしています。

10年ですか…

2021-03-12 01:25:00 | 日記
あっという間の10年なのか 
とても長い10年なのか…

10年前のあの日、私は職場の家電店で店の展示のテレビに映る津波を見ていた。

事の重大さにまだピンときていなかった…のが正直なところだった。
専務と
「弟が茨城にいるんですよねぇ。茨城も揺れたんだろうなぁ」
みたいな会話をしていたと思います。

夕方、弟に電話するも連絡がとれず…
まじか…と思いながら3日後、災害ダイヤルで無事を確認できました。

その後、やっと連絡がとれたときに、つくばの社屋が倒壊したこと、住んでいるマンションにヒビが入った事…

そして、言われたのが
「テレビでは茨城のことはやってはくれない。茨城だって街は倒壊してすごいことになってるのに」と。

そして、私の住む学区には陸上自衛隊があります。もちろん、息子の学校には自衛官の家族の方がとても多くいらっしゃいます。そして、私も自衛官の友達がたくさんいます。

だから、自衛官の活動はとても身近なもので、息子の友達のお父さんたちも現地入りされ、私の友達も被災地に向かいました。

学校では、募金活動が始まり、息子は毎日100円を持って登校していました。

なにができるのかわかりませんでした。

お店では、乾電池の買い占めが始まり、乾電池がないことに怒鳴り散らす方も見えました。

地元の高校では、福島の高校生の受け入れをしましたし、息子の学校にも転校してきた子供もいました。

そして、ありもしない風評被害…放射能を持ち込まれるのは困ると言った親が一部いて、私とバトった記憶があります😅そう言うのがどうしても許せないたちでして…

近所のイオンが福島の野菜を並べると
息子は「買って.買って」と野菜をねだられ毎日買ったものです。

直接、何かができるわけではなかったけれど、それくらいしかできなかったけれど、でも私もこの10年、忘れることはなかったです。
そして、これからも忘れることはないと思います。



そして、いつも考えるのは、もし災害が起きた時、できるならば息子と一緒にいる時に…と思います。
私は職場は市をまたぐため、大きな川を渡ります。やはり、大地震が起きた時、橋は落ちてしまうだろうし、そうなると私は帰れない。
息子と離れ離れになることが怖いと思うのです。
息子は、避難所指定されてる学校に登校しているので、なにかあったらそのまま学校にいるように言ってあります。
自宅も高校の横でありますが、おそらく倒壊してしまうので。
猫のことが心配ですが💦



母ちゃんは、この子達を守れるのだろうか…

そんなことを考えた一日でした