本日はスバル弄りはしていません。
スバル弄りではなくお客様のお相手です。
なんと、私のポンコツ&修理の仕方(解体の仕方?)、等々、そういったことの情報交換をしに、わざわざお客様がやってこられました。
そうそう。こんなポンコツ車に興味を示されるので
超変態、いや、ものすごいアホ(俗にいうスバルバカ)。と言える方と思いますが....(失礼なことを書いてます)
(上記表現はどちらも本心ではないですよ。茶化して表現しています。これを読まれた方で不快感をいだかれた方がおられましたらご指摘ください。特に本人様、お気に召さない場合はご連絡ください。この茶化した表現を訂正いたします)
スバル愛が体から染み出して、体表のいたるところにスバル菌が大繁殖している方です。
私のように、何故にこのスバルを修理しているのだろうと自我を失いつつある人ではありません。
スバルを愛でて、かわいいスバル娘に育て上げようという熱意に満ちている方なのです。R-2に一途にぞっこんの方です。
まぁー、そういうのを「スバリスト」、「スバル愛」というのでしょう。
私には到底辿り着けない、超すごい方です。
だって、私の場合は、スバリストとまったく逆の車思想である「いつかはクラウン」のまさにその定説をうたっていたような時代背景のクラウン(ワゴンですが....)を駆っているのですから。
(仕事の積載物の関係+車庫の天井高さ問題で、消去法選択でクラウンバン、ワゴンへたどりついただけで、私の中にいつかはクラウン思想は少しもありません。でもクラウンを駆ると独特のまったりドライブは楽しいのですけどね。特に高速道路での静寂の中での心地よいシルキーなエンジン音は私を虜にしてくれました)
スバリストの方から、クラウンでそれも金色の車体を乗り回しているやつがスバルを愛でるんじゃねーという厳しい扱いをうけることもシバシバありました。
スバリストの方は、本当に宗教的にスバル精神論をたたえる方、そうではなく、スバルの設計思想に惚れてなんとなくスバル大好きという方の2極に大きくわかれるような気がします。
で、今日の来訪者は、後者の方で、私からみたら、スバル修理神社の宮司のような方のご来訪です。
と、大層なことを書いてますが、割と近所で同型車を修理されている方で、ブログが縁でお知り合いになった方です。
その方のブログは次のところです。
そういった、私から見たら大層なノウハウをお持ちの方が、私のポンコツを見にこられました。
私は、たいしたスバル愛を持っていないので、スバルの歴史観や構造がどうこう。というのは存じません。
単に免許を取って最初に自分名義の車にしたのが、このR-2だった。嫁さんとの楽しい思い出を作ってくれたのがR-2だった。そして、今になって嫁さんがマイカーにしたいということで修理に至った。という、なんか嫁さんの希望で修理することになってしまったという程度で、スバル愛より、嫁さんへの愛のためなんですけど(笑)
また、自動車整備技術なんてありませんので、キャブレターがどうのこうのというノウハウもありません。
ついては、スバリストの方からは教えをこうことばかりです。
私から情報提示できるのは、「ここが腐っているでー、ここから水が入ってここに溜まって、どないな設計になっとるねん。」とか、「ここはこんな素人修理して対策(インチキ修理)しているねん。」とか行き当たりばったりで遭遇した不幸箇所を乗り越えたことばかり。
きっと本来の修理方法とは異なる手法だと思います。そんなことでも、いろいろとお話しできました。
自動車修理を登山に例えるとしたら.....
きちんと蘇生修理の手順をふまれている方は「アルピニスト」です。
きちんと計画を練り、道具や資材もふんだんに用意して、天候も計算して、登頂計画をして頂きを目指すものです。計画を立てているので完成度も高いものです。
そして私の場合です。
私は、神戸の六甲山を登山地図もなく海岸から登るようなものです。
普通のスニーカーにTシャツで、道ではないところを山頂に向かって真っすぐ上っている状態です。
街に隣する山なので大したことなさそうですが、それでも体に擦り傷が多数つきます。もちろん、毒虫にもやられます。そんな環境を上っていくと山道にぶち当たり、ハイキング登山の方とあいさつします。
私のボロボロの姿を馬鹿にするものもいれば、それに賛同する方もいます。
やったー山道だー。とそれにしたがって進むと、私の車はボロすぎて、そういったコースを歩んで修理している方の速度(常識)についていけず邪魔者にされるのです。
そして、山道を外れまた藪へ突撃するのです。
藪を切り分けるのは一人で大変ですが、誰も文句いいませんし、私が切り開いたところは、超ボロでも道になっているんですよね。その道を上ってくる人もいるんですよ。一緒に遭難するかもしれないのに....
それでも、なんとか少しずつ頂上に近づいていると思っています。
ときどき、同じように藪を切り開いている方と出くわすのです。
そして、藪開拓自慢がはじまるのです。鎌はこんなので身の丈より大きいやつはこうやって対処して、赤錆荒野はこうして整地したと情報交換。
そんなことをしてきました。
で、本日の来訪者は、神社の宮司さんに例えます。
かわいそうな屍を見つけてきては、神棚に祭り祝詞を唱えながらこつこつと修理されるような方です。
祝詞の研究は熱心で、いろんな宗派をご存じのよう。そういった方が屍に合わせて祝詞を唱えながら魂を吹き込んでられるのです。
これがスバル愛なんだろうと思います。
とても、私にはできないことです。だって、祝詞を唱えることがてきません(そんな技術ありません)し、神棚(作業場所)もありません。
私ができることは、鎌をふりはらって登山するだけです。
なので登頂完了したときに、スバル君はどうなっているかはきっと.....
それでも、頂上からの夜景は楽しめるはずです。それを楽しみに道なき道を上っております。
で、この方をなぜに宮司さんと例えるかというと....
宮司さんなので、困ったことの相談には乗ってあげるよ。と、神様のやさしい囁きが問いかけられるのです。
ここは一緒に分解するよ。お手伝いするよ。って....
うわー、まさに神の囁きです。
で、神様にお願いするときは....お布施、賽銭、って金を用心する私は邪心いっぱいのヘタレ市民ってことですね。
それでも、なにか困ったときは、きっと神頼みで相談に行きますよ。賽銭にビール手土産しますってば。
って、そんなこと書いても仕方ないね。
本日の来訪者とお話しして、やっぱり私は、いい加減な修理で登っているなーと考え直した次第です。だって、その部品は先に分解整備しておかないと緑錆吹くよって、「こんなこと常識でしょ」って感じで指摘されましたし。
ちなみに、私の考えでは、自分がよくわからないとこは、まだ手をつけない。修理の基礎がないのに分解したら復元できないじゃないですか?というより故障個所がどこかすら判別できないでしょ。なので、そういう部分は必要に迫られるまで後回し、まずは自分でできるとこから手を付けている。そうしていると、核心部を放置しているのが順番としてダメらしい。
で、それをアルピニスト路線に変更するかというと、そんなことできません。
激貧はスニーカーとTシャツと鎌しかないので、藪を上っていくことしかできません。
まぁー、私なりに上っていきますので、ポンコツのスバルがなんとかなるのを楽しみに信じて弄るだけです。
と、本日の来訪者をきっかけに、やっぱり自分の修理はむちゃくちゃやなー。
スバル君に、「かわいそうな愛で方してごめんね。激貧なのでハンダ鏝でSMプレイばっかりしてごめんね。」と頭を下げる自分です。
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