
2016年11月21日(月)
11時から始まる「九州聖会の感謝会」に出席のため、
早朝時津を立ち福岡へ。
感謝の証を聞き、
MKでお昼を頂く。
4人一組で鍋を囲み、「タンパク質」を必死で追いかけながら、
「もう食べれません」と夢でうなされていた数日前のことを思いだして、
思わず、「ここもまで!」と、お箸を置いた。
日本はナント平和なことだろう・・・。

11月22日(火)
あたりが暗い火曜日。
明日の祭日の予定を見越して、
祈り会を今日の火曜日に変更したが、
常連のM姉が家庭の事情で出席できなくなった。
電話ででも一緒に祈って頂く方を思い巡らしていたら、
はからずも、K姉から電話があり、共に祈った。
Good timing!
23日(水)
平和な「勤労感謝の日」
申し訳なくも、予定していた教区の研修会は体の疲れが拭いきれず、
欠席させて頂き、
ともかく、ここでできる仕事に専念することにした。
しかし、心はなぜか、休日気分。
どこかリラックスしている。
そこはかとなく、体の芯から疲れが抜けてゆく。
くつろぎの水曜日とされたことにまずは、感謝の他なし!
24日(木)
久しぶりに平山集会。
少し早めに出発し、数件の雑事を済ませて2時到着。
きれいにされたお部屋で母、娘、私の三人で行う家庭礼拝。
とても90過ぎの方には見えない若やいだお母さまと、
そのお母さまを介護される娘さんの眼差し。
最初は牧師を呼ぶことにかなりの抵抗感のあった息子さんが、
諸事情で今日の訪問はまずいはずだったにも関わらず、
家庭に牧師を招くために綺麗にお掃除までして出かけてくださた様子に、
これまた、感謝のほかなし。
続いて、
求道者宅を訪問。
ロックマンションの上層階に案内された。
この部屋からの長崎の景色はすばらしい。
また、部屋の間取りもまた、すばらしい。
私だったら、この部屋でどの様に過ごすだろうか。
・・・、
人間が生きるということについて、
思い巡らして、
私の一生は、決して、この世的に豊かという訳ではないが、
神が備えられた住家で、
神の必要に応じられるだけのものがあれば、
それで、十分なのかもしれない。
と、
あまりに私の理想にかなった住まいを見せられて、
逆に、
今の私の本心を知らされた。
こうしたことを話したわけではないが、
このマンションの主さまもまた、
同様に、
「私には広すぎます」
と、オッシャテいた。
同世代の方だっただけに
以心伝心したのかもしれないな~。

25日(金)
今日は、ともかく、明日の無料英会話のチラシを配布することに専念した。
「オーーい、子どもはどこだ――イ」と公園という公園を探し回った。
はからずも、
いつも福音版をポストさせて頂いている方のお家の前に大きな公園があり、
沢山の子どもたちがあちらこちらにたむろしていた。
一人でこうしたところでのチラシ配布は気遅れするも、
思い切って、チラシを渡そうと声をかけると、
さーーと、そのあたりの子どもたちが集まってきてくれたので、
こちらが驚いた。
「英語好き?」「子どもの時に外国の人とお話しすると、英語が楽しくなるよ」
「無料だよ」などと声をかけると、
「おやつある?」と聞いてくれる子どももいたが、
「英語きらい」「もう習っているよ」とつれない返事も返ってきたが、
子どもの世界はヤハリGOOD!
こちらまで、心がスッとしてくる。
準備したチラシはほぼ完売。
しかし、明日、来てくれるカナ~?
26日(土)
昨日のチラシ効果は如何なものだろうか、
と思いつつ
2時過ぎ、めぐみの家の庭先にテーブルをだし、椿の葉でクランツを作りつつ
子どもたちを待ったが、
結果として、
日ごろ英会話教室へ熱心に来てくださる
町内のUさんが一人来られて、
結局、
講師とマンツーマンで一時間が終わった。
Uさんは大変喜んでくださり、
今後、講師の大学まで行ってレッスンを受けることになった。
ま、それはそれでよかったのですが、
私とすれば、
沢山の子どもたちがワッサ、ワッサと来てくれることを夢見て、
おやつも準備していたのだし・・・・
ま、イイカ~
しかし、内心は微妙だった。
(; ・`д・´)
「神様、あなたが送ってくださる子どもはいないのですか、・・・」
泣きたい気持ちが心の片隅にないといえば、ウソになる。
26日(日)
今朝の礼拝説教準備は今まで一番苦しかった。
なぜかな??
心のどこかに、子どもたちへの未練が立ちきれなくて、
神さまが一人も子どもを送ってくださらなかった、
という、不満とも失望感ともみきわめのつかない気持ちが渋っていたのかもしれないし、
チョット、説教に疲れたのかもしれない。
(本当の理由は、神様から目線がずれて、
自分のしたいことに夢中ぬなり過ぎたことだろうと思う)
こんな時、
「神様、説教者を送ってください」
と無意識のうちに心で叫んでいる自分を知る。
また、こんな時、
私はいつも、準備をさて置き、さっさと寝てしまうのだが、
今回も朝起きるなり、
アタフタと、
祈りの部屋に駆け込み、
「ど、どうしましょう」
と、叫んだ。
続いて、祈りつつ、祈りつつ、導かれるまま、
説教要旨を書付る。
モチロン、このような時は、
週報に記載できる時間がない。
先週に引き続き、
9時半からの第一礼拝に5名のミッションスクールの学生が出席されたが、
彼らは、預言の成就したクリスマスの奥義について、
どの様にレポートされるのだろう。
要旨なくて、大丈夫なのだろうか、
ごめんね、Kミッションスクールの5名の愛する女学生のみなさま方ヨ、
🙇
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