葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

それは男女差か?

2006-07-30 04:20:48 | 雑感
 七月二十七日木曜日の夜、カミさんと「不信の時」というドラマを初めて見ました。いやードロドロだなあ。でも、ドラマそのものは「まあ普通」という印象でした。

 それよりも、カミさんの「あーもう、男ってのは後先考えへんの?この先上手くいくと思うんかな?」という意見に、ちょっと待ってくれー!と。それは、「男」だけの問題だろうか?

 例えば道子と(近藤の)秘書との電話のシーン。

 秘書の「あなた、先生とどういう関係なんですか?」という牽制は分かります。しかし、その後すぐに「私、見たんですよ。先生とあなたの」密会を目撃した、この事を旦那にバラしてもいいのか?という追い討ちは、どう考えても勇み足です。

 秘書にとって「密会の目撃」は、もっと効果的なシチュエーションで出すべき切り札です。切り札は最後まで取っておくから切り札なのです。それを、こんな序盤戦でいきなり出してどうするんでしょうか。

 案の定、道子から「バラしたりしたら、あなたの大事な先生のキャリアに傷が付くだけよ?」という返し技をもらってしまいます。これで秘書のアドバンテージはグッと下がりました。

 ところが、この後道子も「それでも良ければ、バラせるもんならバラしてみたら?」と、余計な挑発をします。引っ込みのつかなくなった秘書が、本当にバラしたらどうするつもりなのでしょうか?

 こういうシーンを見て、男は「女は後先考えないなあ」と早合点するのです。

 男とか女とかではなく、誰にでも後先を考えられなくなる状況がある。それは結局、男女差ではなくて個人差なのです。

 男女の違いは確かにあります。男は子供を産めないし、女には男ほどの筋力は付きません。(将来的には分かりませんけど)

 しかし、「男はこうだ、女はどうだ」といった話の殆んどは、男女差というよりは、その時代や社会における個人の立ち位置の差のように思えます。

 ちなみに按摩や鍼灸の施術でも、相手をどう診るか・見るかというのは、かなり重要な問題です。外見と少しの問診だけで、「ああ、この人はこういう人だ」という物語を勝手に作りそうになるんですよね。実際、物語があった方が仕事が速いこともありますけど、それでクライアントを物語越しにしか見られなくなったら意味が無いのです。

 とは言うものの、何の先入観も無く、ひとつの物語も作らず、常に素のままのクライアントを診る・見る事が出来たら、その時点でそれこそ達人でしょう。

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