葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

百回という分かりやすさ。

2016-12-21 12:45:02 | 養生
 ウエイトトレーニングにおいて、ベンチプレス・スクワット・デッドリフトがビッグ3だということはそこそこ知られてきただろうと思う。

 だが昭和の男性にとって筋トレのビッグ3といえば、やはり腕立て伏せ・腹筋(上体起こし)・(ヒンズー)スクワットではないだろうか。
 特に私にとっては、腕立て伏せが100回出来るというのは一種のステイタスのように感じられる。

 いや、現在のトレーニング理論でいえば、腕立て伏せが100回出来るということに大した意味は無いことぐらいは知っている。
 なのに、知っていながらついつい腕立て伏せを100回出来るようになろうと挑戦したことが何度もある。

 大体二日に一度のペースで、腕立て伏せを限界まで×3〜4セットといった感じだ。
 だがどうやら二日に一度では疲労が抜け切らなかったらしく、60〜70回出来るようになった辺りで肩廻りに違和感を感じて断念というのがパターンだった。

 それでも何年か前に、どうにか一度だけ100回を達成して以来、何だか気が済んだのか、再挑戦はしていない。
 だがその時の100回腕立て伏せは、お世辞にも綺麗なフォームと言えるものではなかった。

 やはり人間はついつい無駄なことに執着し、無駄な時間を浪費するように出来ているのだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ギュッ・ググッというより、... | トップ | 弱さという安全装置? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

養生」カテゴリの最新記事