76 絶望の腕
駅で一等個室のセントラルまでの切符を買い汽車に乗る。今日のこの汽車を逃せば3日後までセントラルまでの便は無い。運がよかった。
乗り換えに使う体力が惜しい。それに認めたくないが自分はあまり方向感覚がよくないらしい。セントラルではほぼ24時間ブロッシュがついていてくれたので問題は無かったしノリスの町ではブルーがいた。
ラッセルは個室に入るとすぐ横になった。微熱が残っている。砂漠を離れれば治まるはずだがまだかかりそうだ。丈夫な皮のケースを握りしめた。入っているのは鎧の右腕。
「疲れた」
小さく口に出した。
それにしてもあれが夢でよかったと思う。ブルーと一緒にクセルクセスの遺跡を離れるとき、縛り上げた野盗を見に行った。彼らは消えていた。
「どうやら、お前の言っていた5人目が助けたのだろう」
ブルーが言った。ほっとした。野盗が溶けていく。あれはただの夢だったのだろう。
ラッセルは知らない。ブルーが野盗の一人の縄にこっそり切れ込みを入れたのを。偶然に縄が外れた(と思った)野盗が仲間を助けて4人で逃げたのを。
セントラルまではかなり時間がかかる、ゆっくり眠れそうだ。眠れば乗り物酔いにもならないだろう。
収穫もあった。これで言い訳もできる。後の捜索はブルーに任せてきたが彼ならうまくやってくれるだろう。
幸運なことに、それが当然なのだが汽車は青の団にも黒の団にも襲われず時間通りセントラル駅に着いた。
駅員に起こされて目が覚めた。行きはひどい状態だったが帰りはゆっくり眠って来られた。皮のケースを抱えホームに下りた。そこで足が止まる。
(さて、どっちだろ) 方向音痴の自覚は間違っていなかった
行き交う人々の合間に青い色が見えた。この国では軍人はどこにでもいる。だからラッセルは特に気にしなかった。その青い色が自分の目の前に来て怒りを隠しきれない声で名を呼ばれるまで。
「ラッセル君」
声は小さいが耳によく響いた。
「あれ、ブロッシュさんどうして駅に?」
ブロッシュが両手を握り合わした。ボキリと音が聞こえた気がした。
「よくも、私に黙って勝手に出歩きましたね。どれだけみんなが心配したか、電話も寄こさないで」
「ごめん。でも軍の仕事があるだろ。それに軍には知られたくなかったし」
けろりとして言い訳をする。ラッセル本人は言い訳とは思っていない。彼なりにブロッシュの立場を考えたのだ。
「でも、どうして今日この汽車に乗っているってわかったんだい?」
「3日前からここにいましたから」
「えぇ!でも軍は」
「秘書長からの命令で当分駅の警備をするようになりましたから」
「そっか。仕事中ならしかたないな」
ラッセルはここでブロッシュと会えたので緑陰荘に送ってもらう気でいた。
だが、仕事中なら仕方がない。
「荷物持ちますから貸してください」
「あれ、駅の警備はいいのかい?」
「警備はラッセル君が帰ってくるまでです。さぁ、帰りますよ」
どういうことなのだろうと思った。これでは軍にどこに行っていたか知られていたということではないだろうか。
ラッセルが汽車に乗った直後ブルーは情報屋に寄った。シルバー(ラッセル)の体力から計算してセントラルについてから一人で行動するのは無理と思った。そこで情報屋のネットワークを利用して迎えを頼むことにした。幸いシルバーは伝言板役をしている2年間に数多くの裏の者と接触している。シルバーは自分の治癒の技を秘密にしなかった。知りたい者には使い方のコツを含めどんどん教えていた。これは流しとしては常識はずれもいいところだった。もともと定住型の治癒師の存在そのものが常識はずれなのだが。ラッセルはただ自分の治癒のやり方が秘密にするほどのものではないと思っていただけだった。しかし、普通治癒のやり方は個々人の財産であり秘密にするのが当然であった。ラッセルは逆にどんどん公開した。それはラッセルの立場からは貸しであり、教えられた者から見れば借りになった。ブルーはそのとき借りを作った者がセントラルに少しはいるはずだと考えた。そいつらの誰かをセントラルで運転手にすればいい。セントラルで大きな情報屋といえば5番街である。ブルーのメッセージが届いたときそこには黒髪黒目の危ない男がいた。
(夕方には帰るか)
「迎えの必要はない。もう手配はしている」
危険な男、ファーストは情報屋に言い残すと外へ出た。
翌日、西の砂漠で一人の男が死んだ。金の髪、青い目のブルーと呼ばれる男は恐怖そのものが張り付いたような顔で死んでいた。
ラッセルが汽車に乗る4日前である。軍の大総統室の一番奥まった部屋でキング・ブラッドレイは手ずから紅茶を入れていた。
「ラッセルが帰ってきていないだと」
「そうですよ。大兄」
そんなはずは無いとブラック中佐は思った。あそこで別れて一日休んだとしてももう帰り着いているはずだ。
「大兄、そのお姿も馴染んできておられる」
「そうか」
「口調が大兄のときともファーストのお姿のときとも変わっていますよ」
紙のように薄い白磁のカップに厳選されきった紅茶が注がれた。
「形とは便利なものだ。本質を隠し、本質を造る」
ワグナー中佐は大総統直下の情報部に所属している。ここに所属する者は地位にかかわらず高い命令権を持っていた。その情報部の中でもワグナーはもっとも機密に近いところにいた。ワグナー中佐、別名をファースト、その本体はホムンクルスのプライドである。
(いったい何をしている)
「大兄がお気にされるならマスタングを通じて呼び出しましょう」
「いや、自分で戻ってくるはずだ。それよりお父様からのご命令だ。『西に威嚇を。セントラルをニュートラルにするように』」
「かしこまりました」
この国で一番えらいはずの男は恭しく頭を下げた。
頭を上げたときワグナー中佐の姿は消えていた。
「大兄、むしろあなたの方が人と長く接しすぎたのではありませんか」
すでにいない男に向けて大総統、ラースは皮肉な言葉を漏らした。
それから秘書を通してブロッシュ少尉に駅の警備を命じた。期限は手のかかる上司が帰ってくるまでである。
ラッセルがセントラルに帰る3日ほど前である。フレッチャー・トリンガムは小さなバックを前に不機嫌極まりない顔をしている。
不機嫌の原因は彼の馬鹿兄であった。
「いったい、どこで何をしているんだ」
文句もため息も出るというものだ。兄は出かけたきり電話一本寄こさない。こっちの心配などお構いなしに好奇心のままやりたい放題しているのだろうと思うと立場をわかっていない能天気な兄を一発や二発殴りたくなっていた。
(そうだ、僕はずっと兄さんを殴りたかったんだ)
このかばんとコートは憲兵隊を通じてマスタングに届けられた。名も何も入っていなかったが作った店のネームが入っていた。セントラルでも随一を誇るその店の職人はコートを見るなり、マスタング准将の注文で金髪の若者に作ったものだと証言した。かばんにも同じ証言があった。
ある町に二つのマフィアがあった。Aグループが謎の敵に襲われ半壊滅状態になった。BグループはチャンスだとAグループを叩き潰した。しかし、本部を留守にした隙に軍がA・Bグループを叩いた。その時押収された荷物の中にコートとかばんはあった。マフィアの倉庫には売り物の少女や青年たちがいた。彼らの証言で眠ったままの銀の髪の若者が少しの間いたことは確認できた。しかしその先は不明のままである。
フレッチャーは不安を噛み殺した。エドの部屋に行かなければならない。不安な顔はできない。
兄は薬を失っている。薬なしでは長くは持たないはずだ。それでも兄が生きていることだけは確信できた。彼は初めて父に感謝した。父が奇妙な練成陣を兄弟の身体に共有させたおかげで、兄の命の心配だけはしなくてすむのだから。
じりじりと電話を待つだけの時間が過ぎていく。
「兄さん!帰ってきたら…、楽しみにしていてよ」
思わず、壁に拳を打ちつけた。壁は蜘蛛の巣状にひび割れた。
ラッセルが汽車の個室に入ったころ、アームストロングは当番兵から町で拾ったというハンカチを受け取っていた。間違いなく自分のものだった。だが、なぜこんなところで拾われたのだろう。当番兵によると昨日駅への道で拾ったという。
「細身のきれいなお嬢様でした。大佐のご姉妹でいらっしゃいますか?」
姉達は細身ではないし、妹は本宅にいるはずだ。お嬢様が銀の髪だったと聞いてア-ムストロングは確信した。
(ラッセルだ。しかし、お嬢様?)
あのプライドの高い彼が女装するだろうか?
でかい護衛が付いていたと聞いてますますわからない。彼は何をしているのか?いや、彼がここ西の砂漠に来ている以上目的がアルなのははっきりしている。
(また、無理をしているな)
アームストロングはとにかくラッセルを手元に戻そうと決めた。できるならマスタングに知られる前にである。
(マスタング殿はよい方だが、エドワード・エルリック絡みのこととなると正常な判断力が失われることがあるからな)
勝手な行動を取ったラッセルをどう思うか、亡きあの上司の域には到底達していないといつも思うアレックスには予測の付かない話であった。
駅で一等個室のセントラルまでの切符を買い汽車に乗る。今日のこの汽車を逃せば3日後までセントラルまでの便は無い。運がよかった。
乗り換えに使う体力が惜しい。それに認めたくないが自分はあまり方向感覚がよくないらしい。セントラルではほぼ24時間ブロッシュがついていてくれたので問題は無かったしノリスの町ではブルーがいた。
ラッセルは個室に入るとすぐ横になった。微熱が残っている。砂漠を離れれば治まるはずだがまだかかりそうだ。丈夫な皮のケースを握りしめた。入っているのは鎧の右腕。
「疲れた」
小さく口に出した。
それにしてもあれが夢でよかったと思う。ブルーと一緒にクセルクセスの遺跡を離れるとき、縛り上げた野盗を見に行った。彼らは消えていた。
「どうやら、お前の言っていた5人目が助けたのだろう」
ブルーが言った。ほっとした。野盗が溶けていく。あれはただの夢だったのだろう。
ラッセルは知らない。ブルーが野盗の一人の縄にこっそり切れ込みを入れたのを。偶然に縄が外れた(と思った)野盗が仲間を助けて4人で逃げたのを。
セントラルまではかなり時間がかかる、ゆっくり眠れそうだ。眠れば乗り物酔いにもならないだろう。
収穫もあった。これで言い訳もできる。後の捜索はブルーに任せてきたが彼ならうまくやってくれるだろう。
幸運なことに、それが当然なのだが汽車は青の団にも黒の団にも襲われず時間通りセントラル駅に着いた。
駅員に起こされて目が覚めた。行きはひどい状態だったが帰りはゆっくり眠って来られた。皮のケースを抱えホームに下りた。そこで足が止まる。
(さて、どっちだろ) 方向音痴の自覚は間違っていなかった
行き交う人々の合間に青い色が見えた。この国では軍人はどこにでもいる。だからラッセルは特に気にしなかった。その青い色が自分の目の前に来て怒りを隠しきれない声で名を呼ばれるまで。
「ラッセル君」
声は小さいが耳によく響いた。
「あれ、ブロッシュさんどうして駅に?」
ブロッシュが両手を握り合わした。ボキリと音が聞こえた気がした。
「よくも、私に黙って勝手に出歩きましたね。どれだけみんなが心配したか、電話も寄こさないで」
「ごめん。でも軍の仕事があるだろ。それに軍には知られたくなかったし」
けろりとして言い訳をする。ラッセル本人は言い訳とは思っていない。彼なりにブロッシュの立場を考えたのだ。
「でも、どうして今日この汽車に乗っているってわかったんだい?」
「3日前からここにいましたから」
「えぇ!でも軍は」
「秘書長からの命令で当分駅の警備をするようになりましたから」
「そっか。仕事中ならしかたないな」
ラッセルはここでブロッシュと会えたので緑陰荘に送ってもらう気でいた。
だが、仕事中なら仕方がない。
「荷物持ちますから貸してください」
「あれ、駅の警備はいいのかい?」
「警備はラッセル君が帰ってくるまでです。さぁ、帰りますよ」
どういうことなのだろうと思った。これでは軍にどこに行っていたか知られていたということではないだろうか。
ラッセルが汽車に乗った直後ブルーは情報屋に寄った。シルバー(ラッセル)の体力から計算してセントラルについてから一人で行動するのは無理と思った。そこで情報屋のネットワークを利用して迎えを頼むことにした。幸いシルバーは伝言板役をしている2年間に数多くの裏の者と接触している。シルバーは自分の治癒の技を秘密にしなかった。知りたい者には使い方のコツを含めどんどん教えていた。これは流しとしては常識はずれもいいところだった。もともと定住型の治癒師の存在そのものが常識はずれなのだが。ラッセルはただ自分の治癒のやり方が秘密にするほどのものではないと思っていただけだった。しかし、普通治癒のやり方は個々人の財産であり秘密にするのが当然であった。ラッセルは逆にどんどん公開した。それはラッセルの立場からは貸しであり、教えられた者から見れば借りになった。ブルーはそのとき借りを作った者がセントラルに少しはいるはずだと考えた。そいつらの誰かをセントラルで運転手にすればいい。セントラルで大きな情報屋といえば5番街である。ブルーのメッセージが届いたときそこには黒髪黒目の危ない男がいた。
(夕方には帰るか)
「迎えの必要はない。もう手配はしている」
危険な男、ファーストは情報屋に言い残すと外へ出た。
翌日、西の砂漠で一人の男が死んだ。金の髪、青い目のブルーと呼ばれる男は恐怖そのものが張り付いたような顔で死んでいた。
ラッセルが汽車に乗る4日前である。軍の大総統室の一番奥まった部屋でキング・ブラッドレイは手ずから紅茶を入れていた。
「ラッセルが帰ってきていないだと」
「そうですよ。大兄」
そんなはずは無いとブラック中佐は思った。あそこで別れて一日休んだとしてももう帰り着いているはずだ。
「大兄、そのお姿も馴染んできておられる」
「そうか」
「口調が大兄のときともファーストのお姿のときとも変わっていますよ」
紙のように薄い白磁のカップに厳選されきった紅茶が注がれた。
「形とは便利なものだ。本質を隠し、本質を造る」
ワグナー中佐は大総統直下の情報部に所属している。ここに所属する者は地位にかかわらず高い命令権を持っていた。その情報部の中でもワグナーはもっとも機密に近いところにいた。ワグナー中佐、別名をファースト、その本体はホムンクルスのプライドである。
(いったい何をしている)
「大兄がお気にされるならマスタングを通じて呼び出しましょう」
「いや、自分で戻ってくるはずだ。それよりお父様からのご命令だ。『西に威嚇を。セントラルをニュートラルにするように』」
「かしこまりました」
この国で一番えらいはずの男は恭しく頭を下げた。
頭を上げたときワグナー中佐の姿は消えていた。
「大兄、むしろあなたの方が人と長く接しすぎたのではありませんか」
すでにいない男に向けて大総統、ラースは皮肉な言葉を漏らした。
それから秘書を通してブロッシュ少尉に駅の警備を命じた。期限は手のかかる上司が帰ってくるまでである。
ラッセルがセントラルに帰る3日ほど前である。フレッチャー・トリンガムは小さなバックを前に不機嫌極まりない顔をしている。
不機嫌の原因は彼の馬鹿兄であった。
「いったい、どこで何をしているんだ」
文句もため息も出るというものだ。兄は出かけたきり電話一本寄こさない。こっちの心配などお構いなしに好奇心のままやりたい放題しているのだろうと思うと立場をわかっていない能天気な兄を一発や二発殴りたくなっていた。
(そうだ、僕はずっと兄さんを殴りたかったんだ)
このかばんとコートは憲兵隊を通じてマスタングに届けられた。名も何も入っていなかったが作った店のネームが入っていた。セントラルでも随一を誇るその店の職人はコートを見るなり、マスタング准将の注文で金髪の若者に作ったものだと証言した。かばんにも同じ証言があった。
ある町に二つのマフィアがあった。Aグループが謎の敵に襲われ半壊滅状態になった。BグループはチャンスだとAグループを叩き潰した。しかし、本部を留守にした隙に軍がA・Bグループを叩いた。その時押収された荷物の中にコートとかばんはあった。マフィアの倉庫には売り物の少女や青年たちがいた。彼らの証言で眠ったままの銀の髪の若者が少しの間いたことは確認できた。しかしその先は不明のままである。
フレッチャーは不安を噛み殺した。エドの部屋に行かなければならない。不安な顔はできない。
兄は薬を失っている。薬なしでは長くは持たないはずだ。それでも兄が生きていることだけは確信できた。彼は初めて父に感謝した。父が奇妙な練成陣を兄弟の身体に共有させたおかげで、兄の命の心配だけはしなくてすむのだから。
じりじりと電話を待つだけの時間が過ぎていく。
「兄さん!帰ってきたら…、楽しみにしていてよ」
思わず、壁に拳を打ちつけた。壁は蜘蛛の巣状にひび割れた。
ラッセルが汽車の個室に入ったころ、アームストロングは当番兵から町で拾ったというハンカチを受け取っていた。間違いなく自分のものだった。だが、なぜこんなところで拾われたのだろう。当番兵によると昨日駅への道で拾ったという。
「細身のきれいなお嬢様でした。大佐のご姉妹でいらっしゃいますか?」
姉達は細身ではないし、妹は本宅にいるはずだ。お嬢様が銀の髪だったと聞いてア-ムストロングは確信した。
(ラッセルだ。しかし、お嬢様?)
あのプライドの高い彼が女装するだろうか?
でかい護衛が付いていたと聞いてますますわからない。彼は何をしているのか?いや、彼がここ西の砂漠に来ている以上目的がアルなのははっきりしている。
(また、無理をしているな)
アームストロングはとにかくラッセルを手元に戻そうと決めた。できるならマスタングに知られる前にである。
(マスタング殿はよい方だが、エドワード・エルリック絡みのこととなると正常な判断力が失われることがあるからな)
勝手な行動を取ったラッセルをどう思うか、亡きあの上司の域には到底達していないといつも思うアレックスには予測の付かない話であった。
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