http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20081003_01.htm
「失われた10年」と言われる1990年代。バブル崩壊後の停滞感で、社会は重苦しい空気に覆われていた。
そんな時代に「ZARD」というポップスグループは現れた。テレビにほとんど出なかったけれど、大ヒット「負けないで」はさすがに知っている。
ボーカルの坂井泉水さんが、闘病中に不慮の死を遂げて1年半。青葉区の藤崎であった「ZARD坂井泉水展」に先週の土日、5000人以上が足を運んだ。写真や映像、衣装など遺品の数々が、ライブツアーと同じように全国を巡っている。
4年前のツアー。仙台公演では最悪の体調でステージに立ったという。それでも不安を感じさせない歌声を披露。「観客との出会いを自身のパワーにつなげていた」とオフィシャルブックにあった。
彼女が作詞した「負けないで」の直筆原稿は<負けないで もう少し 最後まで>の次が、下書きでは「あきらめないで」。書き消して「走り抜けて」と直してあった。その力強い言葉に励まされた人も多かったろう。
短い人生を走り抜け坂井さんは本当に「伝説の人」になった。今そう実感させられる。
2008年10月03日金曜日
============================================================
2004年のライブは常に最悪の体調。
「病気を次々に患っていたため体調はかなり悪く、決してライブが出来る状態ではなかった」(オフィシャルブック「きっと忘れない」227P)
でも我々ファンのために歌ってくれた。
どんな想いでステージに立っていたのだろう・・・。
「失われた10年」と言われる1990年代。バブル崩壊後の停滞感で、社会は重苦しい空気に覆われていた。
そんな時代に「ZARD」というポップスグループは現れた。テレビにほとんど出なかったけれど、大ヒット「負けないで」はさすがに知っている。
ボーカルの坂井泉水さんが、闘病中に不慮の死を遂げて1年半。青葉区の藤崎であった「ZARD坂井泉水展」に先週の土日、5000人以上が足を運んだ。写真や映像、衣装など遺品の数々が、ライブツアーと同じように全国を巡っている。
4年前のツアー。仙台公演では最悪の体調でステージに立ったという。それでも不安を感じさせない歌声を披露。「観客との出会いを自身のパワーにつなげていた」とオフィシャルブックにあった。
彼女が作詞した「負けないで」の直筆原稿は<負けないで もう少し 最後まで>の次が、下書きでは「あきらめないで」。書き消して「走り抜けて」と直してあった。その力強い言葉に励まされた人も多かったろう。
短い人生を走り抜け坂井さんは本当に「伝説の人」になった。今そう実感させられる。
2008年10月03日金曜日
============================================================
2004年のライブは常に最悪の体調。
「病気を次々に患っていたため体調はかなり悪く、決してライブが出来る状態ではなかった」(オフィシャルブック「きっと忘れない」227P)
でも我々ファンのために歌ってくれた。
どんな想いでステージに立っていたのだろう・・・。