朝比奈隆御大のご長男である朝比奈千足さんが、オーストラリアに対する長年の功績が認められ、勲章を受けられました。
ごく親しい方々が集う受賞パーティーにお招きをうけ、行って参りました!
わたしが評伝を書いた朝比奈隆さん。そのときに率直なお話を御聴き出来たことは、この評伝が評価をいただくことにもつながったとおもいます。(2009年、織田作之助賞大賞をいただきました)
ちくちくと胸が痛むような出生だった朝比奈隆さん。
取材をしていても、お母様のお話がなかなかきけず、おかしいなあ・・・とおもいつつ。
「うちは墓が二つあるんだよ」
などと、おっしゃって、菩提寺まで教えていただき、お訪ねしたり・・・。
なにか秘密がある・・・・。
そういう感じを、千足さんも、子供のころから抱いていたといいます。
そして、慶應を卒業して、ハンブルクにクラリネットと指揮のために留学。
そのとき、お父様から明かされた真実。
でも、わたしは思いました。偉大な仕事を成し遂げた人物って、かならず子供のころに苦しい時期がある、若いときに苦いことがある・・・と。
朝比奈隆さんが、あれほど音楽に情熱をかたむけたのも、アイデンティティーをもとめたからでしょう。
「オーケストラ、それは我なり朝比奈隆、四つの試練」
読んでみてください。
それに御大が晩年うちこんだブルックナー。
この日、かつて黛敏郎が司会をつとめていたときの「題名のない音楽会」を、元テレビ朝日の担当ディレクターが映し出しました。朝比奈千足さんが、登場した日のものです。
そこで、黛さんが、「あなたはこのごろブルックナーをさかんに演奏会でとりあげているけれど、それに原典版なんですよね」
そうです。ブルックナーは、千足さんが帰国した演奏会でとりあげられ、まだそのころブルックーナーを指揮する人は日本にはいなくて・・・・それをお父様は、すっかりいただいてしまったというわけだった??・
「千足さんがもちこんだなによりの証拠ですね」
と、わたしがいうと、「こんなの撮ってたんだね。自分ではすっかり忘れていたよ」
と千足さん。
わたしには、「渡邉康雄さんも取材していたほうがいいよ。曉雄さんのことあるからね」
おふたりは、大指揮者の息子という関係で?、ずっと交流をしているのだとか、と。
なんと、なんと、その前日に、わたしはピアニストの康雄さんのご自宅にお電話をして、取材を申し込んでいたのでした。
千足さんは、オーストラリアに移住することも考えているそうです。地元のオーケストラを日本の国内大演奏旅行につれてきたり、あちらの生活は、ほんとうに素晴らしいようです。
この日は、かつての慶應時代、ワグネルのオーケストラのご友人や、マネージメントのかた、オーストラリアやドイツ留学中のお知り合い、テレビ朝日関係者など、和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。わたしは、取材をさせていただいたのと、慶應音楽三田会の関係もありました。
天国のお父様も、きっと喜んでいらっしゃるでしょう。
二次会は、若輩のわたしは、ご遠慮させていただきましたが、千足さんのおくさまから、オーストラリアのおいしいチョコレートをいただき、音楽三田会会長の作曲家、小森さんとパーティーを後にしました。
小森さんは、広尾在住のはず。ごいっしょの方向なら、タクシー相乗りとおもっていたのですが、なんと、広尾から中目黒に引っ越しされたとか。
ううう、広尾は、坂が多くて、タクシーたくさんとおっているから、すぐにのってしまう。家族みなでそんなことをしていたら、月に10マンタクシー代がかかってしまって・・・という理由だそうでございます。
むむむ、わたしもつい、タクシーをつかってしまい、むむむ、とおもっている日々なのでございます。
ごく親しい方々が集う受賞パーティーにお招きをうけ、行って参りました!
わたしが評伝を書いた朝比奈隆さん。そのときに率直なお話を御聴き出来たことは、この評伝が評価をいただくことにもつながったとおもいます。(2009年、織田作之助賞大賞をいただきました)
ちくちくと胸が痛むような出生だった朝比奈隆さん。
取材をしていても、お母様のお話がなかなかきけず、おかしいなあ・・・とおもいつつ。
「うちは墓が二つあるんだよ」
などと、おっしゃって、菩提寺まで教えていただき、お訪ねしたり・・・。
なにか秘密がある・・・・。
そういう感じを、千足さんも、子供のころから抱いていたといいます。
そして、慶應を卒業して、ハンブルクにクラリネットと指揮のために留学。
そのとき、お父様から明かされた真実。
でも、わたしは思いました。偉大な仕事を成し遂げた人物って、かならず子供のころに苦しい時期がある、若いときに苦いことがある・・・と。
朝比奈隆さんが、あれほど音楽に情熱をかたむけたのも、アイデンティティーをもとめたからでしょう。
「オーケストラ、それは我なり朝比奈隆、四つの試練」
読んでみてください。
それに御大が晩年うちこんだブルックナー。
この日、かつて黛敏郎が司会をつとめていたときの「題名のない音楽会」を、元テレビ朝日の担当ディレクターが映し出しました。朝比奈千足さんが、登場した日のものです。
そこで、黛さんが、「あなたはこのごろブルックナーをさかんに演奏会でとりあげているけれど、それに原典版なんですよね」
そうです。ブルックナーは、千足さんが帰国した演奏会でとりあげられ、まだそのころブルックーナーを指揮する人は日本にはいなくて・・・・それをお父様は、すっかりいただいてしまったというわけだった??・
「千足さんがもちこんだなによりの証拠ですね」
と、わたしがいうと、「こんなの撮ってたんだね。自分ではすっかり忘れていたよ」
と千足さん。
わたしには、「渡邉康雄さんも取材していたほうがいいよ。曉雄さんのことあるからね」
おふたりは、大指揮者の息子という関係で?、ずっと交流をしているのだとか、と。
なんと、なんと、その前日に、わたしはピアニストの康雄さんのご自宅にお電話をして、取材を申し込んでいたのでした。
千足さんは、オーストラリアに移住することも考えているそうです。地元のオーケストラを日本の国内大演奏旅行につれてきたり、あちらの生活は、ほんとうに素晴らしいようです。
この日は、かつての慶應時代、ワグネルのオーケストラのご友人や、マネージメントのかた、オーストラリアやドイツ留学中のお知り合い、テレビ朝日関係者など、和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。わたしは、取材をさせていただいたのと、慶應音楽三田会の関係もありました。
天国のお父様も、きっと喜んでいらっしゃるでしょう。
二次会は、若輩のわたしは、ご遠慮させていただきましたが、千足さんのおくさまから、オーストラリアのおいしいチョコレートをいただき、音楽三田会会長の作曲家、小森さんとパーティーを後にしました。
小森さんは、広尾在住のはず。ごいっしょの方向なら、タクシー相乗りとおもっていたのですが、なんと、広尾から中目黒に引っ越しされたとか。
ううう、広尾は、坂が多くて、タクシーたくさんとおっているから、すぐにのってしまう。家族みなでそんなことをしていたら、月に10マンタクシー代がかかってしまって・・・という理由だそうでございます。
むむむ、わたしもつい、タクシーをつかってしまい、むむむ、とおもっている日々なのでございます。