今年「日本航空一期生」を出版したあと、いろいろな出会いがあった。取材中はもちろんだったが、出版後にはさらに多くの日本航空0Bのかたたちと出会い、また再会を果たすことができた。
4月、出版を記念してJAL一期生の会をしようと、提案してくれたのが鷹司信兼さんだった。
その後、その会に大勢参加してくださった、鶴丸会の会に呼んでいただいた。
鶴丸会の歴史は古いらしい。つまり一期生というようなパイロット、客室、整備の方々などが大勢会員になっているのだ。
其の席には、1964年の東京オリンピックの聖火号を操縦、客室サービスをした方々がいた。
その話を、11月10日発売の月刊文芸春秋の巻頭エッセイにわたしは書いている。
その後、さらに客乗0B会に招かれた。これは男性パーサー出身者だけでつくられた会です。
女性は、わたしと、志賀ごず江さん。志賀さんは、二年間スチューワーデスをして21歳でパーサーと職場結婚、専業主婦になるもその後、慶應の通信教育で四年間法学をまなび、なん、なん、なんと13年かけて1990年に司法試験に合格したというのだ。スチュワーデスの期はJALで「神話の一ケタ、化石の二ケタ、美貌の100期、知性の200期、体力の300期」といわれ、わたしが体力という最底辺にくらべて、志賀さんは、化石の方なのである。
すごい!一期生の小野悠子さん(本で第一番目に登場します)も、すごいタフなチャレンジを子育てのあとにしたかただが、JALの先輩がたというのは、ほんとうにど根性がある!!!感激しました!
また、そのほかにも、1980年代に飛んでいたわたしが面識のあるかたがたが、ずらり!
訓練所長だった成田さんも!
お隣でよくよくお話すれば、成田さんの義理の弟さんは、文学座のたかお鷹さんだというではないか!!!
司会の黒木さんもしゃべりもすごい!
さすがにあちこち講演をしまくっているかたである。
なに、癌になってしまったって!食道がん・・・それも話の明るいネタにしてしまってらっしゃるのは、もうもう尊敬にあたいします。
会長の入江さんも、ソフトな語り口ながら、確固たる芯を、当時から見せつけられてきました。栃木ご出身というのは、今回はじめてしったのですけれど。わたしも茨城、北関東のなまりはなかなかぬけませんです。
ご一緒にとんだ大先輩と、このように再会できたことが、ほんとうに嬉しくおもいました。
当時、編集者から勧められたときは、「あまりいい思いでないから。。。。」といって、ともかく最初はぐずぐずと筆が進まなかったわたしです・・・・。ありがとう、和気さん。
4月、出版を記念してJAL一期生の会をしようと、提案してくれたのが鷹司信兼さんだった。
その後、その会に大勢参加してくださった、鶴丸会の会に呼んでいただいた。
鶴丸会の歴史は古いらしい。つまり一期生というようなパイロット、客室、整備の方々などが大勢会員になっているのだ。
其の席には、1964年の東京オリンピックの聖火号を操縦、客室サービスをした方々がいた。
その話を、11月10日発売の月刊文芸春秋の巻頭エッセイにわたしは書いている。
その後、さらに客乗0B会に招かれた。これは男性パーサー出身者だけでつくられた会です。
女性は、わたしと、志賀ごず江さん。志賀さんは、二年間スチューワーデスをして21歳でパーサーと職場結婚、専業主婦になるもその後、慶應の通信教育で四年間法学をまなび、なん、なん、なんと13年かけて1990年に司法試験に合格したというのだ。スチュワーデスの期はJALで「神話の一ケタ、化石の二ケタ、美貌の100期、知性の200期、体力の300期」といわれ、わたしが体力という最底辺にくらべて、志賀さんは、化石の方なのである。
すごい!一期生の小野悠子さん(本で第一番目に登場します)も、すごいタフなチャレンジを子育てのあとにしたかただが、JALの先輩がたというのは、ほんとうにど根性がある!!!感激しました!
また、そのほかにも、1980年代に飛んでいたわたしが面識のあるかたがたが、ずらり!
訓練所長だった成田さんも!
お隣でよくよくお話すれば、成田さんの義理の弟さんは、文学座のたかお鷹さんだというではないか!!!
司会の黒木さんもしゃべりもすごい!
さすがにあちこち講演をしまくっているかたである。
なに、癌になってしまったって!食道がん・・・それも話の明るいネタにしてしまってらっしゃるのは、もうもう尊敬にあたいします。
会長の入江さんも、ソフトな語り口ながら、確固たる芯を、当時から見せつけられてきました。栃木ご出身というのは、今回はじめてしったのですけれど。わたしも茨城、北関東のなまりはなかなかぬけませんです。
ご一緒にとんだ大先輩と、このように再会できたことが、ほんとうに嬉しくおもいました。
当時、編集者から勧められたときは、「あまりいい思いでないから。。。。」といって、ともかく最初はぐずぐずと筆が進まなかったわたしです・・・・。ありがとう、和気さん。