「僕がビルを買ったワケ」blog

現・「新宿44ファンタジータワー」支配人のブログです。
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弔い

2017-05-25 14:16:27 | Weblog
“弔い”という言葉を調べてみた。お悔やみ事全般を指すようだ。
 
私は、20年近く、ずっと死について考えてきましたが、それはあくまで私の心に閉まってきました。
それを、こうしてブログにすることに、果たして意味があるのか?
誰かに伝えたいとか、共感を得たいとか、、?
そりゃ、もしも同じような境遇で、分かり合えるような人がいたら巡り会ってみたい気もするけど、
恐らくそれだけの理由では、こうして書かなかった。決定打に欠ける。それだけの理由なら正直面倒臭い。
とはいえ、何か悶々とする。この込み上げてくる想いは何だ。
 
45年生きて来た私という人間。とにかく現実社会を勝ち抜く為に、戦う事だけに生きて来た45年間。
幸い、こうして考える余裕が出来る男になれたようだ。
皆はどうなんだろう?多くの人ははやり戦い続けて、死ぬ間際まで戦って、終わるのだろうか。
資本主義社会は、生きること=頑張ること=働くこと=稼ぐこと 少なくともこの世の概念においてはそれが当然なのだろう。
勿論それは否定しない。なぜなら私も、母親から散々“自立”を叩き込まれたから。
 
可愛い我が子を谷底へ落とすライオンのような母親だった。その甲斐あって、私は強く生き、こうして文章を書く余裕も出来るようになった。
そこで私は思ったのです。当然これからも、母の教えのように、誰にも頼らず、自立してこの社会を生きぬく事は大前提として、
ただ生き抜くだけじゃなく、私が何の為に生きているのか、私が何をしたいのか、私が何をするべきなのかを考えようと。
既にそう生きている人も大勢いるだろうし、それが仕事となってる幸せな人もいるでしょう。しかし、私は幸か不幸か、自立する為に、どちらかと言えばそれを後回しにしてきた。そりゃ少しは考える時はあっても、それよりも目の前の現実(利益)優先だった。
このままでは、このまま終わってしまう。
確かにお金は稼げる、お金が稼げたら生活は豊かになる、将来の不安も無くなる。それでも、元々貧乏だった私は、このまま永遠に稼ぎ続けて、そして終わる。
お母さん、もういいだろう?俺は、たった一人でここまで来たよ?
 
ここからは、“稼ぐ”為に生きるのではなく、あくまでも“私の良心に従い”私のやりたいこと、やるべきことをやりたい。
それは、“遊び”とは違う種類のもので、私の良心に従った、使命感のようなもの。
本来は、誰もがそう生きるべきなのだろうが、何分資本主義社会は厳しいので、余程幸運な(又は努力で勝ち取った)人しか無理だろう。
最も、そもそもその使命感が無い人(気付かない・気付けない)人も多いのだが。最近まで私もその一人ではあった。
仮に金持ちになって、遊びまくったとしても、私は虚しいと思う。それで心が満たされる(満たされたと思い込んでる)人もいるだろうが、そもそも物欲が乏しい私には遊びの範囲も限られたもんだ。あっという間にグルっと一周出来てしまう。
そんな一時的な快楽は、たまにでいい。これからは、本当の意味で、心を満たすことをするのだ。
 
ざっくり自己紹介。
私は、母子家庭の家に生まれ、風呂無しの狭いアパートで小5まで母と二人暮らし、母は誰からの援助もなく看護師をしながら私を育ててくれました。
一瞬だけ妹と三人暮らしがありましたが、妹は1才になる前に病死した。
母の再婚を期に、母の“自立”の教えで(当時は意地もあって)私は独立。アルバイトをしながら夜間高校を卒業。
22才の時に一旗上げようと裸一貫の上京。その後は皿洗いや警備員等アルバイトを掛け持ちして、いつか来るチャンスに備えひたすら貯金する。
27才の時に、母が自殺。アルバイト中で、当然、死に目には会えず。
29才の時に、貯金を元手に起業、投資等で独立、幸い成功し“雇われなくても”生きていけるようになる。
35才の時に親友が自殺。
現在45才。
 
ブログを書く決定打となったのは、ようやくやるべきことを見つけたからだと思う。
それは、仮に一般的な言葉を借りるなら、“弔い”かもしれない。
お悔やみ、というのとは少し違う気がする、どちらかというと悼むに近い、、昨夜ふと夜中に目が覚めて、考えた。
『今なら、母と、生きることや、死ぬことについて、一緒に考えられたのになぁ、、』今の俺なら
 
長い間、心の中では、いつも悶々と考えては来た。目まぐるしく過ぎる現実社会の中、たまに想うのはいつもこのテーマだ。
しかし、心の中だけだと、どうも満たされない、時に、本当に俺は考えているのか?本当に母や妹のことをきちんと思い出せてるのか?よく分からなくなる
ひょっとして、俺がやりたいこと、やるべきことはこの事ではないか?
 
高齢化社会、寿命は延び、意外と60歳を超えても、未だ親の死を体験してない人がいたりする。介護などの問題もあるだろうが、その悲しみを知らずに還暦を迎えるなんて、ある意味幸せだが、ある意味不幸だ。
逆に、生まれながらに親がいない人もいるだろう。限りなく少数派だとは思うが。
私は別に不幸自慢をしたい訳ではない、というか不幸と思った事はない。たまたま身近で死を(ひょっとしたら人並み以上に)早く経験した事と、その人物から得た愛情との融合で、何かの作用が起きて、私にテーマを与えたのだと思う。
 
“死を意識する事で、人生は輝く”
生きたいと思っている人、死にたいと思っている人、両方に伝えたい言葉。
 
※福姫というのは母の名前で、雪子というのは妹の名前。決して忘れてはならない大切な名前なので、私のハンドルネームにした。男なのに紛らわしくてすいません。