「僕がビルを買ったワケ」blog

現・「新宿44ファンタジータワー」支配人のブログです。
blogは支配人になるもっと昔から 2007年スタート

モーセの十戒のごとく

2012-12-05 15:13:40 | Weblog
俺が多分三歳位の時に、妹が生まれ
妹は産まれながらに心臓にいくつも穴が開いていて(と生前母が言っていた)
医者もサジを投げて、治らないまま退院
最後は風呂も無い汚いアパートで、母親に抱かれて死んだ

ちなみに墓はない お骨もない
多分、顔も知らない父親側にあるのかもしれない
何度か手紙を書いてみたが返事はない
生きているか死んでいるかも分からない
ていうかどうせ記憶もない人だから、元々死んでるようなもんだが

母が死んだのは1998年12月
もう14年も経ったか
母の遺書を未だにちゃんと読んでいない
チラッとだけ見た時に

雪子は私の胸で息をひきとりました その日のことを思い出すと今でも涙がとまりません

それ以上とても読めなかった
俺の淡い記憶によれば、俺は幼少時代自他共に認める劣等性で
勉強は出来ないわ、いじめられっこだわ、クラスの女子には嫌われてるわ
わがままで泣き虫で さんざん母親を困らせた
さぞ、不甲斐なかっただろうな
母親が背負う深い悲しみも理解できず
恐らく、妹が死んだ日も、何も分かってない俺はきっとわがままを言って困らせただろう

子供を亡くし、風呂もないアパートで 出来の悪い俺の手をひいて 母は一人で何を思ったろう
それでも歯を食いしばって仕事に行ったんだろうな 働かなきゃ生きていけないから

俺は41になった 母親は50で死んだから、俺の人生もあと9年 遂に二桁を割った
つい最近、底力について書いたが どうやら俺は亀だったようで
遅ればせながら、今頃様々なことが追いついてきた

思いやり、優しさ、愛、仕事、経済力、力、信用、男
ああ、出来ることなら、今の俺を見せたい
俺、ちゃんとやってるよ
俺、どう謝ればいいだろう
謝って許されることじゃないけど

親は、子供への最後の教育として、死をみせる
そして、子供は大きく成長する
これは偏見だろうか 俺は、親の死を体験してるかしてないかで、その人への見る目が違う
単純に仲間意識かもしれないが

とりあえず、俺が全部背負うしかない
後悔も懺悔も 哀しみも痛みも 一緒に連れて行く 
俺にしかわからない、俺の道
まるでモーセの十戒のごとく

限界プラス1

2012-12-03 13:21:32 | Weblog
なんとなく呑みながら遊びで
あいだみつをっぽくいくつかつくってみた(笑

‘今まで 不運だけや ないやろ かずや’

‘なんやかんや 自分で決めた せやろ かずや’

‘三歩進んで 二歩下がる それでええやん かずや’

‘人が好きで 人と絡み 利害が生まれて 人を失う かずや’

‘挫折を楽しめ かずや’

‘人間 わりきって生きることが 大人になることなんだなあ 俺はまだまだわりきれない 子供なんだなあ かずや’

おあとがよろしいようで(全然よくねーよ笑失礼しましたm(_ _)m

まあ、なんていうのかな~ 
人生、割り切れるかどうか やっぱこれにつきるのかなぁ
つきつめだしたら、人生、理不尽や不公平や差別だらけで
んなもんにいちいち怒ったり泣いたりしてたら生きていけん

人は人、自分は自分っつーことで
その時にやれるだけのベストを尽くして頑張るしかない
結局やれないことはしゃーないもんな
やれ頑張れとか努力しろとか言うけど、逆立ちしたって出来ないもんは出来ないわけだし
たとえば今更俺が宇宙飛行士とかジャニーズ事務所入るとか絶対無理なわけだし(笑

ポイントはその、やれるだけのことはベストを尽くし、を
いかにして頑張るか おっとここで‘頑張る’という言葉がでてきた
じゃその、頑張る、とは?
う~ん、やっぱ‘限界プラス1’だろうか
たとえば腕立て伏せしてて、自分がもう限界と思った時に後一回だけ歯を食いしばってやれるかどうか
そこで少し差が出るんだろうな
その、プラス1を積み重ねれば、必ず報われる 大小の違いはあれど

誰が言ったか 三歩進んで二歩さがる
改めて聞くと、素晴らしいね 

ハレル~ヤ

2012-12-02 23:03:35 | Weblog
あるDVD見てて、父親参観のシーンがあって
んなもんとっくの昔に廃止になってるっつ~の
なんて、心の中で突っ込み入れてたら
え?いや、地域によっては今でもあるの?ま、どっちでもいいんだけど
俺の知る限り、なるべく差別を排除する為、平成の代では参観日とさえ言わない
今は、学校公開といって、日時を限定せず、一定期間、全時間帯を公開する
この日のこの時間と限定したら、来れる親来れない親がいて、差別化に繋がるから
父親なんて限定するのは論外 
ま、今の俺にとってはどっちでもいいのだが
突っ込みいれながら思い出したことがあって
大昔、小学生の頃 別に父親参観なんて記憶は無いが
何かのイベントだった気がする
母親が、貴重な休みに、俺を連れて出かけた子供向けのイベント
楽しい楽しい一日になる筈なのに
出演者の一言が今でも脳裏にこびりつく
出演者「元気~のいい男の子!」
俺、ハイテンションで「ハレル~ヤ!」
出演者「ご飯よりお菓子が好きな人~!」
俺  「ハレル~ヤ!」
どんどんブラックになっていって
出  「勉強~嫌いな人~!」
俺  「ハレル~ヤ!」
きっとそいつに悪気はない
出  「お父さんとお母さん~よく喧嘩する人~!」
俺  「(・_・)」

きっと盛り上げようとしたんだろうな
しかし、センスゼロだぜ
ま、いいや
でも俺は未でも覚えてる 
そん時の顔は
(・_・)

なんとなく、帰り道は気まずかったな
でも笑ってたような気がする
母親が一生懸命連れてってくれたからね




彼の底力

2012-12-02 21:04:57 | Weblog
昔、すごく昔
世間からしたらゴミのような俺のCDに、そういってくれた人がいた

それよりもっともっと昔に
中学校の先生も、顔を腫らした俺と、腫らさせた奴にそういってくれた

「もし先生とかが見てる前で、一対一でやってみとゆうたら、コイツの方が強い思うで コイツはそういう底力な奴やねん」

底力か
なるほどね 確かに、負けへん自信はあるよ
亀みたいに、どんなに時間がかかってでも

その先生が言った台詞とか そういうのは覚えてるもんやね
中学時代なんて、殆ど記憶にないけど
担任のことなんてこれっぽっちも覚えてない そんな奴もいたな~くらい 空気

確か数学の先生だったな~ あれは響いた
正確には、30年くらい経ってから響いてきた
そういうこともあるんやね いや、そういうもんか
喜びも悲しみも 幸せも感動も 時を越える

中学出て、高校夜学だったから昼間は働くってことで、初めて、いわゆる‘社員様’になるための面接に行ったのは小さな染色工場だったな 15歳か
中学生の頃から、歳ごまかしてバイトの経験はあったが、社員になろうとしたのは初めてだった
義務教育終わったら、どこかで‘社員様’になる それが全うな人生なんだって
なーんか夢がないなぁ~ 
俺の人生、こんなもんかなんて思ったっけ しかも落ちたし

人生とは、自由に勝負するもんだし 学歴なんかなくたって戦い方は100通りある でもその時は知らんかったし
どこで見つけてきたか知らんけど、中学校からそこに行けと言われ
右も左も分からん中卒の15歳は、これしか道はないと思い込み素直にトボトボ歩いて行ったわけだ
で、早速傷ついたってさ くっだらねぇ
思えば、それが‘社員様’になるために受けた、人生で最初で最後の面接となった
バイトは人殺し意外なんでもやったけどね

バイタリティのある、出来れば何かで成功した親父でもいてくれたらな
ひょっとしたら、もっと早く気づけたかもな なんて んなことどうでもいい

ちゃんとやってるんやから
一人で

底力か うん、中々いい響きだな 俺に似合ってる 
人生さらっとはいかない いや、いく人もいるか
でも、どうやら俺はそうじゃない 生まれた時から既に出遅れて
勉強も経験も出遅れて 何度も挫折を味わって そりゃ散々バカにもされたわ 
でも、実はそこまでバカじゃない ただ亀なだけで

底力ってのはそういうことかな?